初心者のための詩の書き方 ― 実践編 (詩を書く)

初心者のための詩の書き方
   ―  実践編 (詩を書く)

「目次」

第一章(詩のきっかけ、発想について)
102  (詩の発想とは)
132  (詩の発想とは)
271  (詩の発想)
498  (空っぽの器になりきる)
570 (発想を選別する)
639 (詩の発想とは)
1085  (詩の発想について)
587  (二つの発想がからみあう)
1535  (ありふれた発想)
167 (詩ができてくる瞬間は)
1314  (場所が詩を書かせてくれる)
859 (ちょっとした違和感から始まる)
233 (詩のきっかけ)

第二章(比喩について)
218 (比喩とは)
697 (直喩の練習)
1030  (比喩について)

第三章(擬人法について)
604 (擬人法について)
784  (擬人法とは)

第四章(推敲について)
716  (推敲について)
885  (詩の推敲について)
956  (詩の推敲について)
1655  (詩の推敲)

第五章(詩の勉強法、上達法について)
418  (書き写して学ぶ)
895  (詩の勉強法)
1703  (詩の勉強法)
1479  (詩の上達法)
1586  (詩の上達法)
1124  (ノートを作る)
1927  (詩を学ぶとは)
1184  (国語辞典を読む)

第六章(詩の勉強法 ― 短い詩を書いてみる)
377  (短い詩を書いてみよう)
417  (短い詩を書いてみる)
1618  (短い詩を書く)
1066  (短い詩を書く)

第七章(詩が書けない時は)
991  (詩が書けない時は)
1487  (詩が書けない日は)
1573  (詩が書けないとき)
196  (書けないことを好きになる)
420  (ありふれたことしか思いつかない)
454  (八木重吉に戻る)
557  (手ごろな動詞を思い浮かべる)
501  (捨て身になる)

第八章(詩の最後は)
118  (詩の最終行は)
408  (詩の最後の連)
532  (詩の最後の行は)
1593  (詩の最後の行について)

第九章(改行について/句読点について)
447  (改行は呼吸)
1213  (改行について)
725 (詩にとっての句読点とは)

第十章(改行詩と散文詩)
1628  (改行詩と散文詩)
1949  (改行詩と散文詩)

第十一章(いつもの言葉で書く/自分の言葉で書く)
481  (いつもの言葉で詩を書く)
1567  (いつもの言葉で書く)
1683  (いつもの言葉で書く)
381  (自分の言葉で詩を書く)
353  (どんな言葉で詩を書くか)
434  (自分の日本語を集める)
1697  (味方になってくれる言葉)
1023 (意味の通じる詩を書く)
1034 (詩のための言葉について)
975  (抽象語や観念語について)

第十二章(詩を書いたあとの点検)
422  (時々点検したいこと)
1321  (詩を書き終わった後のチェックポイント)
1817  (書いた後で見直すべきこと)
2131  (数日後に読み直す)
1803  (忘れた頃に読み返す)

第十三章(詩と現実について)
1165  (詩と現実について)(
1708  (現実を書く)

第十四章(詩作の過程について)
1284  (詩を作る過程)
1773  (詩作の二段階)

第十五章(こうしてはいけない)
373  (昔書いた詩に頼らない)
487  (知ったかぶりをしない)
600  (現代詩らしさへ逃げない)
662  (現代詩を書かない、詩を書かない)
743  (大それたものを書こうとしない)
1370  (面白くしようと思わない)
1694  (すごいものを書こうとしない)
210  (詩作で避けたいこと)
948 (省略しすぎない)

第十六章(書き損じの詩について)
150  (書き損じの詩はどうする?)
451  (書き損じの詩は)
893  (書き損じの詩は)
1975  (失敗作とは)

第十七章(こんなふうに書いてみる)
115  (次の行は)
119  (箇条書きに書いてみる)
128  (見せたくないものを書く)
177 (ありふれた詩を書こう)
182 (詩ではないものを書いて詩を書く)
195  (詩を説明してみる)
358  (どう感じているかわからないことを詩に書く)
393  (困難な方法で詩を書く)
411  (いつもとは違った道筋を)
696 (導入部を捨てる)
424  (詩の後半を捨てる)
452  (連作詩のつもりで一篇の詩を書く)
500  (単純な詩を書く)
503  (そのままの自分を書く)
596  (ひとつのことを書く)
787  (漢熟語を置き換える)
1538  (ひとつのことだけを書く)
1553  (同じテーマを何度も書く)
1788  (ともかく書いてみる)
530 (真に書きたいもの)

第十八章(人からの助言、感想は)
174  (詩に助言をもらっても)
461  (人からの感想は)
1762  (人からの助言について)

第十九章(心構え、そのほかのこと)
126  (書くことがない方が)
142  (秘訣なんてない)
188 (詩の余白)
216  (ためらいの大切さ)
348  (詩はどこにでもある)
400 (好きな詩に似てしまう)
404  (感じ方の細かな違い)
405  (いつもと違う詩が書けた)
432  (心を整えてから)
438  (ありふれた自分が書く)
448  (胸熱く)
450  (感覚の隅っこを見つめる)
467  (頭でなく指先で考える)
472  (形のないものに形を)
483  (幼稚な詩に見えること)
489  (だれかがわかる詩を書く)
497 (自分の話を聞いてあげる)
502  (生まれてきたことの意味に帰る)
504  (人と同じことしか感じない)
506 (詩は問いかけるもの)
507  (詩作にコツはない)
520  (その先を考える)
527  (ひらがなの詩は)
542  (ためらいがある時は)
554  (鮮やかな発見が必要)
561  (独りよがりについて)
565  (書く前に読む)
655 (「呼びかけ」という技法)
659 (詩のテーマとは)
681  (説明するということ)
703 (書かれなかった行を持つ詩)
715  (手書きとPC)
720 (立ち止まってみる)
774  (並列について)
775  (次の連とは)
867  (書きたいものを書いているか)
907  (なりきってしまう詩)
989   (どんな言葉も書いてみる)
1018  (いつもの得意な言い回しについて)
1057  (詩作の心構え)
1091  (ためらいを通過する)
1099  (方法や技術について)
1440  (捨て詩について)
1478  (詩の文体)
1543  (詩の個性について)
1654  (普段の自分から)
1700  (詩のマンネリ化)
1720  (習慣づける)
1799  (通り道が見える)
1863  (初めて詩を書くときは)
1976  (何を書くか)


「ここから本文」

第一章(詩のきっかけ、発想について)

102  (詩の発想とは)
詩の発想って、さて思いつくぞと身構えてもなかなか下りてきてはくれない。かといってただ暮らしていても永遠にやってこない。底辺のところを静めて、焦らず待っている。でも、傍目には詩のことなんか考えたりせずに笑顔で暮らす。そんな時ではないだろうか。膝の上に詩の小さな体重を感じるのは。
132  (詩の発想とは)

詩の発想って  なにもないところからある日  降りてくるものじゃない   いつも考えていることの  枝葉   何度も感じていることの  あらためてのふり向き   そんなのが  では今度は私の番かとしゃしゃり出てきて  詩になる   だからどこまで丁寧に  この世を受け止めてきたかに  かかっている

233 (詩のきっかけ)

わたしたちが詩を書くときに、詩に入って行く便利な道はあるだろうか。いつだって簡単に詩ができてしまう、そんな裏通りが。

あると思う。

これはもちろん私の感じ方だから、人によって詩の生まれる場所が違うのは当然。だから、あくまでも参考ということで。

以下、「発想」の便利な材料集、その1

(1) 体の部位は詩になりやすいと思う。腕とか、目とか、ひじとか、耳とか、その部位に視線を落として、描く。肉体は言うまでもなく自分自身だから、肉体を描くことがそのまま自己の内面を象徴してくれる。便利だ。たとえば「足」を描こうと思ったら、足に触れる「ゆか」が想像される。「足」と「ゆか」の関係性を追及してみるのも、いい。また、足に係る動詞「歩く」という機能から詩を広げることもできる。「歩く」動きの不思議さとか、「歩いた先の」風景とか。詩は、いくらでも肉体の部位を基点として、出来上がってくる。

(2) 動詞を擬人化してみる。たとえば、「つんのめる」という動詞の顔を思い浮かべる。わたしには、やせぎすの、あごのとがった顔が想像される。「つんのめる」という動詞がまさしく「つんのめる」瞬間のすがたを思いうかべる。「つんのめる」は、何につんのめるかと、「何」のところを膨らませてもいいかもしれない。その情景を思い浮かべて、遊ぶ。

(3) 解説文を利用する。たとえば、花について書きたいときに、その花の解説を書いた本を探す。その花を説明している説明文を膨らませる。極端に言えば、辞書そのものでもかまいわない。「あるく」という言葉を詩にしたかったら、「あるく」という言葉を辞書で引いて、その説明文を膨らませる。電気器具や携帯電話、あるいはカーナビの使用説明書なども、詩になる。

(4) 専門用語に注目する。へらぶな釣りの用語の、あまりの詩的な響きにわたしは驚いたことがある。そのほかに、気象に関する専門用語や、医療用語、炭鉱用語、古語、歳時記も、かなりわたしたちの発想を刺激する。NHKの各種テキスト、「趣味の園芸」などを本来の興味からではなく、言葉のあつまりという面から、読んでみる。

(5) 目に見えないものを視覚化する。感情や思想、雰囲気、等々、目に見えたらどうなのかを考え、それを詩にする。あらゆるものを具体的な形にしてしまう。例えば「約束」というのは、どんな形だろか。

(6) 目に見えるものを、ありえない映像にまで深めてしまう。人のからだが透き通ったり、金魚鉢のようにその中に水が漂っていたり、世の中全部に木目が浮いていたり、とにかく、実際には映像化できないようなことを、想像し、書く。

(7) 色、について書くと、詩ができやすくなる。見慣れたものを何かの色で表現する。色の名をつけると、なんでもない言葉がそれだけで詩に近づく。

(8) 空間も、詩になりやすいもののひとつ。距離感、高さ、遠さ、など描けば、豊かな詩空間が広がる。自身の視点を、描くものから遠ざけるのも、作品を広げるこつ。

まだまだきっかけになるものはある。自分にとってはどんなものが詩の入口になるのか、整理して見るのも楽しい。

271   (詩の発想)

発想のつかみ方は人によって違う。でも、べったりした日常からそっちの世界へ裏返る接点は間違いなくある。この世界のようでいて微妙に違う。例えば夜の風呂に浸ると発想へめくれやすい。水の表面で私がほどける。うすくはがれる。きれいにしずまる。ミズモノに近づくと、たしかに詩はできあがる。

498  (空っぽの器になりきる)

好きな詩人の詩を
実際に書き写すのもいいかもしれない

写している間に
言葉の出方やリズムが入ってくる

発想のきっかけさえ
見えてくることもある

でも
そこから生まれるものには限界がある

詩を書くことは
その都度
技術や学びを忘れて
空っぽの器になりきることだから

570 (発想を選別する)

発想はいくらでも浮かんでくる

だから選別すべきもの

せっせと詩をこしらえている途中で
その未熟さに気付くことは
重要な能力

気付いたら立ち止まって
つらくても
今は生まれ出ないようにしてくれと
説得する

いったん別れた発想に
再び巡り会えたら
もう
詩のできあがってよい日

639 (詩の発想とは)

詩の発想
というのは
どこかから突然下りてくるものでは
ない

もっと地味に
できている

その日に感じた
様々な違和感を
ただ
思い出すこと

その思い出しを
ひきのばしたり
ねじ曲げたり
ひっくり返したり
していると
詩につながる

だから大事なのは
単に日々の
呼吸の丁寧さ

それ以外にない

1085  (詩の発想について)

じっと考えているよりも、歩いたほうが詩ができる。夕方の散歩は、僕にとっては詩作の時間になる。

散歩ほど、考え事に身をゆだねることのできる時間はないし、考え事はそのまま詩作につながる。

毎日、同じ五叉路を同じ角度で曲がってゆけば、不思議な道に迷いこむ。

詩は指先ではなく、脚で書く。

1947  (詩の発想について)

発想というのは
ある日
どこかから降ってくるものでは
なくて

ひたすら自分の中を
掘り進めて行ったところから
現れてくるのではないかと
思う

奥底から
頭をもたげてくるものだ

だから
新しい詩を書こうと
思うなら
よそ見をせず
あくまでもいつものやり方で
いつもの詩を書き続けることではないか

354  (詩の二種類の発想)

発想に2種類ある。

1つは言葉に引っかかりを感じる時。詩はその言葉を源にして生まれる。そのような詩は大抵上滑りする。

もう1つはこの世の成り立ちに違和感を覚える時。こちらはその違和感を言葉に変換する必要がある。ただ、その変換は思ったよりも容易にできる。詩の技術があれば。

587  (二つの発想がからみあう)

詩の発想って
ひとつだけぽつんと浮かんだだけでは
なかなか作品にはならない

その発想に折り目がついて
ちょっとねじれて
別の形が見えてくる

あるいはその発想が
もうひとつの似た発想を呼び込んできて
からみあってくれる

そこまでいったら
やっと詩ができる

わかりづらい
言い方だけどね

1535   (ありふれた発想)

詩の初心者によく見られるのが
だれでもが思いつくようなことを
詩にしてしまうことだ

そこから抜け出さないと
変われない

発想を得たら
それがありふれていないかどうかを
吟味する

大した発想ではないな

感じたら
その先へもう一歩踏み込めないかを
考えてみる

それだけで
随分変わると思う

167 (詩ができてくる瞬間は)

お風呂に入っている時
目が覚めた時
電車やバスに乗っている時
掃除機をかけている時
辞書を読んでいる時
「大草原の小さな家」を観ている時
歩いている時
業界用語を知った時
ミニストップの隅の椅子で紙コップのアイスコーヒーを飲んでいる時
雨の時
元気のない時

これが僕の
詩ができてくる時

1314  (場所が詩を書かせてくれる)

場所が詩を書かせてくれる
ということがある

あの喫茶店の
あの席に着くと
詩ができる

電柱をよけて
曲がり角を曲がる時に
詩ができる

湯船にひたって
水に囲まれると
詩ができる

おぼえておこう

体と頭が適度に揺れていて
わたしの中の
秤のようなものが傾いたときに
詩ができる

859 (ちょっとした違和感から始る)

詩を作る時に大切にしたいのは
ちょっとした違和感

ほんの少し
あれ?

思うこと

たとえば
これも
あれも
私と同じ時にこの世の中にいるんだな
という
かわいそうな感覚

いつもの感じ方の
まま
ほったらかすように生きるのではなく

一歩引き下がって
その感じ方をあらためて
見てみる
ということ

第二章(比喩について)

218 (比喩とは)

比喩というのは
喩えたそのものと
混じってしまうことなのだと
廿楽さんが言っていた

なるほどうまいことを言うものだな

十一月十六日
随分と

人を木に
喩えるというのは
樹皮に
やわらかな皮膚が入り込んで
みずからを内から閉じ込め
木の高さへ
うっとりと
生命が引きのばされる
ことなのか

697 (直喩の練習)

いいなと思う詩は
たいてい直喩が優れている

だから日曜日
もし暇なら
直喩を磨く練習をしてみるのもいい

あらゆるものを
何かに喩えてみる

自分の人生でさえ
例外でなく

何を
何に喩えるかは
知性そのものによるものかもしれない

知性を超えた直喩が
たまにできてしまうところが
創作の不思議

1030  (比喩について)

詩にはね
比喩というものがある

詩に潤いをもたらす霧吹きのようなものだ

この霧吹きが
つまりはひとつの湿った比喩なんだ

比喩っていうのはね
世界の
これと
あれを
結びつけるゴム紐みたいなものだ

このゴム紐も
つまりは
しっかり繋がっていることの
比喩なんだ

生きるって
私の比喩を探すこと

第三章(擬人法について)

604 (擬人法について)

擬人法
というのは昔から
あって

今どきは
動物や植物を人に擬することには
驚かない

でも
風が髪をなぶって
すぎていった時に
風が私の
取り調べをしていたのだと
感じることには
胸をつかれる

木坂涼さんの詩は
生命のアルナシを
無視して歌う

たぶん創作のずっと
手前で

784  (擬人法とは)

擬人法っていうのはね
たとえば風や
木々を
人にしてしまうこと

でね
姿かたちを
そうするだけではなくて
内側にも
人の心を
持たせてしまうことなんだ

いのちをひとつ
気軽に
与えてしまうこと

だからとても
こわいことだ

擬人法の詩をひとつ
つくるたびに
私のいのちは
減ってゆく

第四章(推敲について)

716  (推敲について)

(問い)「推敲がいつまでも終わりません。いつか、これで完成と判断できるようになりますか?」

なります

予め書かれるためにあった詩は
この言葉がここにありたい
というのが決まっている

見つかるまではひたすら試みる

それでも見えない時には
推敲するほどの詩にも
なっていなかったということ

885 (詩の推敲について)

詩の推敲って
もちろん大事

でも
やり方を間違えると
詩を台なしにしてしまう

ひと晩に
詩を追い詰めるようにして
何度も書き換えて
元の姿がわからなくなるのは
単に詩を
いじめていることになる

詩の推敲は
いちどきにしない

日を変えて
何日かに亘って
さらっと
知らぬ詩とすれ違うように
する

956  (詩の推敲について)

何度も推敲しない

推敲ばかりしていると
何を書こうとしていたのか
わからなくなる

そういう時は
いったん手放す

詩はもともと
単純にできあがってしまうものなのだから

あっけないほどに
容易にできてしまうものなのだから

心配になるほどに
ありふれたことを書くことなのだから

1390   (推敲について)

推敲が大事だと思うのは、多少なりとも自分でない人が読んだらどう感じるかを知ることができるからだ。だからその詩を忘れた頃にまた読んで、それでいいかを判断する。まれに推敲をしたら詩がダメになったということもある。でも、その詩はたぶん推敲前からダメだったのだ。納得するまで推敲をする。

1655  (詩の推敲)

詩の推敲もいいけれど、気をつけないと、表面的なカッコ良さばかりを追いかけて、大切な部分をないがしろにしてしまっていることがある。

あんまりいじくり回すと、言葉も疲れてくる。

詩が出来上がるときって、言葉を素直に使えている時なんだ。

第五章(詩の勉強法、上達法について)

418  (書き写して学ぶ)

自分の袋から自然とよいものは出てこない。学ぶことが大切になる。詩集のコーナーの充実した図書館に行く。これまでに書かれた日本語の見事な短詩を片端から探す。見つけたら、あたかも自分が書いたもののようにして心を込めてゆっくりとノートに書き写す。どうやって出来上がったのかが、見えてくる。

895 (詩の勉強法)

詩を書くための
基本的な勉強法は
人の詩を読みっぱなしにしない
ということ

どんな詩も
素通りしない
ということ

正面から受け止めること

いいな
と思うフレーズや
行には
線を引くか
書き写す

どんな詩にも
なんらかの感想をひとこと書く

わからない詩こそ
どんなわからなさかを
懸命に書く

1703  (詩の勉強法)

詩の効果的な勉強方法はありますかと、聞かれた。

人の詩を
自分が書いたもののように
内側から
たんねんに読み

自分の詩を
人が書いたもののように
外側から
めんみつに見つめる

というのは
どうだろう

1479   (詩の上達法)

詩の上達法ってなんですか

聞いてくる人がいる

自分をなくし
常に
世界を感じとる姿勢で
いることなんじゃないかなと
僕は思う

服は着ていても
感受性はいつも裸のままでいる
むきだしでいる

風に驚き
水に驚き
今に驚き
空に驚く心

毎朝
生まれ変わってきたばかりのように
心身が湿っている

1586  (詩の上達法)

詩の上達法は(1)たくさんの詩を読み(2)たくさんの詩を書くこと。

(1) 読むだけではなくて、心を動かされた行に線を引く。その線の中に、詩がどうあるべきかが込められている。

(2)書くだけではなくて、いらない言葉は全部消してゆく。読んでくれる人の負荷になるような行は速やかに削る。

1124  (ノートを作る)

「詩になれなかったノート」を作る。スマホでもかまわない。そこに日々思いついたことをひたすら書いておく。あるいは、詩になれなかった詩もそこに書いておく。創作のゴミ置き場のようなもの。それを時々読んでいると、たまに「これは」というカケラを拾うことができる。それが思いもしない詩になる。

1927 (詩を学ぶとは)

詩を学ぶ
というのは
こうであるべき
というものを知ってゆくことではないんだ

詩を学ぶ
というのは
こうであるべき
というものから自由になってゆくことなんだ

書きたいことを書きたいように
書く

強靭なひとりよがり
が理想だけど

それが一番むずかしいんだ

1184  (国語辞典を読む)

もう読まないだろう
という
古い国語辞典があったら
そのまま捨てるのではなくて
一枚ずつ
捨ててゆく


出がけに
その中の一ページを破って
ポケットに入れる

通勤の電車に揺られながら
辞書をあらためて
読む

山ほどの日本語が
きれいな姿で書かれている

君の手を取って
詩を書かせてくれる

第六章(詩の勉強法 ― 短い詩を書いてみる)

377  (短い詩を書いてみよう)

詩が上手くなってくると、つい長い詩を書いてしまう。どの部分もそれなりに気が利いているから、いくらでも書けてしまう。何かを書いているというよりも、なんとなく気持ちのいい言い回しを続けている。それでも大したものだとは思うけれど、たまにはクッキリとした形の、短い詩も書いてほしい。

417  (短い詩を書いてみる)

詩の価値は長さに拠らない。詩を書き始めの頃は、とにかく短い詩をたくさん作る。十行以内で勝負する。小刀ほどの長さの詩行の、先端をひたすら尖らせる。読者にどこまで入り込めるかだけを考える。血管のように詩行がかけめぐる、逃げ場のない短詩を目指す。

1618  (短い詩を書く)

詩は好きに書いていていいと思うけど、たまに、十行以内の短い詩を書いてみるといい。

短いけど、しっかり中身の詰まった詩。丁寧にきめ細かく作られた詩。私の中心をそこに置いてみたような詩。小箱のような詩に、たまにもどる。

そうでないと、だらだらと何を書いているのだか見失うことになる。

1066  (短い詩を書く)

前にも言ったことがあるけど
まずはしっかりと
10行以内の短い詩を
書けるようになりたい

一行一行に目を近づけて
手を抜かずに
隅々まで自分の言葉の面倒を見てあげたい

それができてから
思いを引き延ばすように
少しずつ長くして行く

その方が
自分だけの
自分らしい詩が
できてくると思う

第七章(詩が書けない時は)

991  (詩が書けない時は)

どうしても詩が書けない時には

「もしもぼくが」
とか
「どうしてこれほど」
から
詩を書き始めてみる

「もしもぼくが
透明なものをてのひらでうけとめたら」
とか

「どうしてこれほどまぶしいものが
ぼくのそばにあるのだろう」
とか

こんな感じ

やってごらん

詩はいくらでも
書けるはず

1487  (詩が書けない日は)

詩が書けない日には、敬体(です・ます)で書いてみるといい。敬体ならなんとか言葉が出てくることがある。なぜだろう。ひきさがる心持ちが表現をつかもうとするからだろうか。

それから、悲しいほどいそがしい日々には、立ち止まって、敬体(です・ます)で息をしてみるといい。

1573   (詩が書けないとき)

詩がうまく思いつかない時に、ぼくはこれまでに書き損じた詩の断片を読み返す。詩に辿り着けなかった劣等生たちだ。

これまでに書きあげた完成品としての詩を読むよりも、うまく書けなくて苦しんだ残骸を読み直している方が、まともな詩ができる。

たぶん、自分に寄り添おうとしているからだろう。

196  (書けないことを好きになる)

詩が書けないときにはだれかに手紙を書くつもりで始めるとわりと気楽に書ける。でも、いつもそうしてはいけない。楽をするために詩を書いているのではないから。なにをどう書くかの前で、常に震えながら立ち尽くしていること、向き合っていること。詩が書けないという絶望が、とても好きだ。

420  (ありふれたことしか思いつかない)

ありふれたことしか思い浮かばない。これでは今日は詩なんか書けないな。そう思うことってある。でも、そう思うことが詩を書くための通り道でもある。ありふれたものの心が分からなければ、ありふれていないものを生み出すことはできない。だから堂々と、ありふれた発想に身を浸す。

454  (八木重吉に戻る)

長年書いてきたからこそ
詩がわからなくなってしまうことがある

そんな時には八木重吉にもどる
淀む前にもどる

言葉を煮たり焼いたりしなくても
詩は立派に出来上がるのだと思い出す

なんのために言葉が詩に使われるかが
そこには証明されている

八木重吉は悩む詩人の
薬箱でもある

557  (手ごろな動詞を思い浮かべる)

初めて詩を書こうとしていて
でもとっかかりが見つからない時には
まず手頃な動詞を
思い浮かべる

動詞は手っ取り早く君を
詩へ
連れて行ってくれる

そうしたらその動詞と
君の人生を少し
繋いでみる

どんな町中を
どんなふうにぎこちなく操られてきたかを
無表情に
書いてみる

第八章(詩の最後は)

118  (詩の最終行は)

詩の最後はまとめようとしない  何かを言いかけた口のまま遠ざかる その足音だけ残しておけばいい  最後の行に重いものを背負わせない  詩の中に ホントにいたのかいなかったのか それくらいの存在感でいい  どんな結論も 詩の発想の衝撃を受け止められない
408  (詩の最後の連)

どんなに短い詩でも、最後に来るとまとめたくなる。まとめることはゆるむこと。だから詩を書いたら、あえて最後の連を削除する。そうすれば緊張のままで詩は残る。でも削除された最終連が、引き出しいっぱい溜まってくる。いつか最終連をつなげて、たった一人の映写会。

532  (詩の最後の行は)

詩の最後の行って
どうしても決めたくなる

でも
そうすると妙に力んでしまう

かといって命のように
ただ終わるのも物足りない

ではどうしたらいいのだろう

とにかく幾通りもの終わり方を考える

そのうちに
悲しいほど身の丈に合った収まり方が
見つかる

見つかってしまう

1593   (詩の最後の行について)

詩の最後の行は
どのように書いたらいいでしょうと
よく聞かれる

まとめ方がわからない

つまりね
まとめようとするから
むずかしく感じる

ほどけたまま
なにも解決しないまま
終わっていいんだ

第九章(改行について/句読点について)

447  (改行は呼吸)

改行は詩人の呼吸だと思う

思い入れの息さえ整っていれば
言葉は自然と折れ曲がる

もしも最終行が伸びていって
地平線にたどりついてしまったとしても
拾いに行かなくても
いい

そうさせておく

これまでの人生のように
曲がるべき時には
人がなんと言おうと息を詰めて
曲がる

1213  (改行について)

改行のタイミングは

1 基本的には読点代わりに改行、句点代わりに空き行

2 語が次の語にかかる場合は、紛らわしいので同じ行の中

3 これはという語は単独行

4 呼吸のリズムに合わせる

もちろん言葉の途中で改行するのも自由

何よりも
その詩が際立つように
してあげる

725 (詩にとっての句読点とは)

(問い) 詩の中で句読点がつくことについて、どのように読むか。

(答え)

普通に考えるなら
詩においては
改行が読点(てん)がわり
空き行で連を区切るのが句点(まる)がわり
ということなので
だから僕は詩には
必要と感じないから句読点はつけない

でも
改行の息の止めかたの大きさ
激しさ
切なさ
とは
違った種類のものを欲しいときには
(てん)をそっと打つっていう行為も
あってかまわないと思う

広っぱのように何もない空き行よりも
ここではっきりと止めたいという時には
(まる)を重く置いても
かまわない

要は人によって
詩によって
自由なわけだし

自由
というよりも
それによって思いの丈が表されるのであれば
(てん)だって(まる)だって
好きなところに好きなだけ置いたってかまわないっていうこと

では
読むほうはどうするかっていうと
(そもそもこれが質問だったかな)
当たり前の答えになってしまうかも
知れないけど

あるがままに読む
ということに
尽きると思う

表した姿をひたすら尊重して受け止める

句読点の真意とか
なんとか
よりも

1篇ごとに
何も考えずにまっさらな状態で受け止めていればいいと
思う

第十章(改行詩と散文詩)

1628  (改行詩と散文詩)

改行詩と散文詩の違いは、それほど大きなものではないのではないかと、ぼくは思う。読んだ時の息継ぎやリズムに違いはあるものの、改行にしたからよくなったとか、ダメになったとか、そんな薄っぺらなものではない。充実した内容の詩は、容器を選ばないと僕は思う。

1949  (改行詩と散文詩)

よく聞かれるのが、改行詩と散文詩はどのように書き分けるのですか、という質問。よい質問だとは思うのだけど、そういったところに、詩を書くことの楽しみがあるのではないだろうか。一つの詩を、改行詩と散文詩の二様に書いてみて、じっと眺め、自分でその答を、ワクワク感じてみることだと思う。

第十一章(いつもの言葉で書く)

481  (いつもの言葉で詩を書く)
  
詩を書くために
立派な言葉を探してこない

詩を書くために
よそ行きの考えを持ち出さない

詩を書くために
よりよい自分を見せようとしない

いつものテーブルの
いつもの頬杖

手垢にまみれた言葉に
あらためて出会いなおす

詩を書くためには
貧しい自分しかいらない

1567  (いつもの言葉で書く)

詩は、いつも使う自分の言葉で書くといい。難しい言葉を使えば詩は一見立派に見える。でも、その立派は君の詩の立派ではなく、言葉が元々持っていた立派でしかない。

だから普通の言葉で、つまらない詩であることがすぐにバレるような詩を書こう。詩を鍛えるための、それが最も勇気ある行為だと思う。

1683  (いつもの言葉で書く)

詩を書く時にはね
普段はつかったこともない言葉を
わざわざ持ってくる必要は
ないんだ

手持ちの
よく慣れた日本語だけで
なんでも書ける

本当なんだ

いつもの言葉を
つかうからこそ
ぎりぎりの思いが注ぎこめるのだし
読む人にも
少しはわかってもらえる

単純だけど
忘れてはいけないことなんだ

381  (自分の言葉で詩を書く)

人の詩が上手く見えるのは、選りすぐったものしか目の前に出てこないから。でも自分の詩は、無惨な書き損じも含めて知っているから、比較にはならない。書き損じの詩のレベルを上げる必要はない。自分しか見ないのだから、なりふり構わない。普段着の幼稚な語彙でいい。そこから、よそゆきに着替える。

第十二章(詩を書いたあとの点検)

422  (時々点検したいこと)

読者はこれくらいで満足するだろうと
タカをくくること

手垢にまみれた感覚を
誰でも好きな叙情だと勝手に思い込むこと

誰でも書ける詩を
自分だけの世界だと思い込むこと

思い浮かぶことを優しく書けば
簡単に詩になるのだと思い込むこと

時々点検し
安上がりな詩と私を排除しよう

1321 (詩を書き終わった後のチェックポイント)

詩を書き終わった時の
僕のチェックポイント

人の言い回しをそのまま使っていないか

自慢をしていないか

かっこつけていないか

賢いと思われようとしていないか

詩のよさを読み手に探してもらおうとしていないか

詩はこんなものだと、たかをくくっていないか

失敗を恐れていないか

1817   (書いた後で見直すべきこと)

詩を書いた時に、その詩がほんとうに自分がぎりぎり考えていることを書いているかと、自分に問うてみることは大切だと思う。

何かに迎合してはいないか。
一般的な感じ方に合わせてはいないか。
これくらいでいいだろうと立ち止まってはいないか。

本当の詩は、その後にできる。

2131  (数日後に読み直す)

発想を得て書き記した言葉は、時に、そのまま放っておくといい。なんだろう、熟成してゆく、というのだろうか。数日後にその言葉を読むと、さらに発想が膨らみを持ってくれて、真っ当な道筋へ行ってくれる。思いついたらすぐに書いておく、それからしばらく放っておく。それが詩作のひとつの秘訣。

1803  (忘れた頃に読み返す)

詩を書き上げた時には「これ以外には書きようがない」と思います。でも、書いた時にはどうしても見えない盲点、というものがあります。

その詩を忘れたころに冷静に読み直すと、ここは別の角度から書いたほうが詩が生きてくる、などが容易にわかります。そこを直せば、本当に完成した詩になります。

第十三章(詩と現実について)

1165  (詩と現実について)

詩はどこかで現実の出来事につながっていないと脆弱になる。例えば、SNSでひとりの女性の子育て日記を心打たれて読んでしまう自分がいるというのは、表現の技術よりも、実際の出来事に伝達の核心があるからなのだろう。詩のでどころは常に、毎日の中の、この現実を生きるわたくしの怖れでありたい。

1708  (現実を書く)

詩を書いていると、言葉を無意味にこねくりまわしてしまうことがある。そういう時って、たいてい具体的なことが何も書かれていない。自己満足。その人だけの現実を書こうとすれば、そんなことにはならない。現実って、詩作にとってはすごく頼りになる。自分にしか書けないことを書く。大事な事だと思う。

第十四章(詩作の過程について)

1284 (詩を作る過程)

僕の詩の作り方です

(1) 詩を書いたらそのまましまって一週間は見ない

(2) 一週間後、言葉も内容も忘れている詩を、人の詩を読むように読む。書きすぎや不明な点を直す

(3) その翌日にもう一度読み直して、発表するに値するかを確認する

(4) 上記(3)の確認を数日間繰り返して、それから発表する

1773  (詩作の二段階)

すぐれた人は、詩を書きながらその詩を正当に読むことができます。でも、大抵の人はそんなふうにはできません。だから、詩作を二段階にします。

(第一段階)とにかく夢中で書いてしまう。
(第二段階)その詩を忘れた頃に、まっさらな気持ちで読んで、直す。

それだけで詩がだいぶましになります。

第十五章(こうしてはいけない)

373  (昔書いた詩に頼らない)

昔書いた詩を読みすぎると、書けなくなる。自分に酔ってしまうから。前の詩の続きを書くわけではないのだから、昔の詩なんかに頼らない。そもそも昔の自分って、なんだ。せいぜい遠い親戚のようなもの。読むべきは、これから書こうとしている詩。まさに血を注ごうとして、肌に触れている詩。

487  (知ったかぶりをしない)

特別なことを
書こうとしない

書けることを
書ける書き方で書く

知ったかぶりを
しない

いつも同じことを書いていても
なんらかまわない

大きく飛躍しようと
しない

だれかにわかってもらうことに
すがらない

とにかく自分の詩をしっかり分かってあげる
そこから始まる

600  (現代詩らしさへ逃げない)

いろんな詩があっていいと思う

ただ
個人的には
暗いことを書いて逃げない
抽象語を入れて逃げない
意味を壊して逃げない

単純にそういうところから
始め直したい

弱さを
誇らない

単純であることを
恐れない

目を細めてしまうほどの明るさの方へ
言葉と身を
ずらして行くこと

662  (現代詩を書かない、詩を書かない)

現代詩を書こうとするから
いらぬ力がはいる

書きたいのは
ただの詩

いや

なんてたいそうなものでも
ない

もっとありふれていて
でも
いいようのないもの

いいようのないものが
たしかに
君の生を
どうにかしようとしている

その感じを書くしかない

詩とか
現代詩とか
名前なんてずっとあと

743  (大それたものを書こうとしない)

詩を書くときに
心がけているのは
大それたものを書こうとしない

いうこと

ほうっておくと
つい
わけのわからないところへ
行ってしまうから
おしとどめて
ひきもどすこと

大それたものを書こうとしない
という
思いのくぼみに
溜まったしずくを
ひとつ
こぼせれば
それでいいんだと思う

1370  (面白くしようと思わない)

詩を書く時に気をつけているのが「面白くしよう」と思わないこと。ただ生きているそのままをしっかり書こうとすること。それでも書いていると、ここをこんなふうに書けば読む人は面白いと思ってくれるだろうと、期待してしまう。でも、読む人は浅くはない。真顔で取り憑かれている姿を晒してゆく。

1694  (すごいものを書こうとしない)

詩を書くなら、すごいものを書こうとしない。でも、だれだって力んでしまうし失敗もする。すごいものどころか、独りよがりのわけのわからない詩ばかりを書いてしまう。ただ、それも詩作の通る道。楽しめばいい。自分のダメな詩に絶望してこそ、その向こうの力の抜けた本当の詩に、たまにたどり着ける。

210  (詩作で避けたいこと)

僕もうっかりやってしまうけど、詩では避けたいこと十個。

漢字二文字の抽象語
体言止め
詠嘆の「ああ」
なんでもかんでも並列
お手軽な擬人
ゆるい比喩
はやり言葉そのまま
とりあえず「愛」
なにかと言えば「空」
自分だけ気持ちよくなりすぎ

これだけ気をつけるだけで、詩は変わってくると思うよ。

948 (省略しすぎない)

詩を書いているという

意識が強すぎると
つい
言葉を省略しすぎてしまう

気がつけば
最も熱い思いでさえ
追いやっていたりする

まずは散文で
書きたいことをもれなく書く

それから正面から
見つめて
いらないところを削る

詩を書くって
大切なことから外れずに生きてゆく方法と
同じだ

第十六章(書き損じの詩について)

150  (書き損じの詩はどうする?)

書き損じの詩は捨てたほうがいいでしょうか  いいえ 捨てないほうがいい  むしろ完成した詩の方が いらない  書き損じの その中にこそ いやになるほどの君らしさや 思い通りにならないからくりが しまわれている  このままでは終わりたくないという 震えるほどの 俯きが 大切にしまわれている

451   (書き損じの詩は)

出来上がって発表した詩は
もう自分のものではない

でも書き損じの詩は
まだ自分のもの

デキソコナイでも
捨てないでとっておく

デキソコナイの息づかいを
真摯に聴く

デキソコナイを作ってしまう自分から
目を逸らさない

掛け替えのない発想を無駄にする生き方も
大切に思える心

893  (書き損じの詩は)

詩にしようとして
詩にならなかった
書き損じの詩は
捨てない方が
いい

いったんは
しまっておく

なにものにもなれなかったものを
むげに捨てるなんて
忍びない

なにものにもなれない
なんて
まるで僕のようでも
あるし

そんな
だめな詩こそが
次の詩のありかをさししめしてくれることが
ある

1975 (失敗作とは)

失敗作を発表してしまうと
自分が情けなくなる

でも
失敗作を作ってしまう
というのは
その詩だけの試みをしてみたことの
証でもある

ほどほどの詩を書こうなんて
思わなかったから
こんな詩になってしまった

失敗作の書ける詩人で
ずっとあろうと
思う

409 (書き損じの詩)

書きあがったけどくだらないなと思った詩は、でも捨てない方がいい。君自身を捨てないように。くだらないのは単に、扱う手さばきの問題だから。しばらく経ってあらためて見直せば、どうしてあげたらよいのかがわかってくる。よい部分だけ抜き出せば、いつか別のみずみずしい詩ができる。

第十七章(こんなふうに書いてみる)

115  (次の行は)

次に来る言葉が何かを 簡単に予想されてしまう詩はつまらない  だからといって 予想を外せばいいってものでもない  思いもしない展開で それでいてそれしかないと 思われるもの  その詩のために待っていてくれた言葉を しっかりと探す  詩作は常に 命懸けの謎解きでありたい

119   (箇条書きに書いてみる)

書いているとつい理屈っぽくなってしまうことがある。書きあがった詩を読み直すと、書いた本人でさえ意味不明になってしまう。そんな時は詩を箇条書きに書く。どんな接続詞も使わない。独りぼっちの叙情を独りのまま並べる。朝起きて、歯を磨いて、バスに乗って。  人生だって箇条書きで出来ている

128  (見せたくないものを書く)

詩を書くということはさらけ出すことではない。でも、見せたくない自分を隠していては詩にはならない。人に見せてもいい自分なんて面白くもなんともない。自分のみっともなさ、いやらしさ、小ささ、未熟さ、しつこさ、だらしなさの中にこそ手を差し伸べて詩にしてあげたい自分がいる。

177 (ありふれた詩を書こう)

だれも書いたことのない表現なんて
たやすく思いつくわけがない

だから
そこまで自分を追いつめなくていい

もっとありふれた自分でいよう

だれだって感じるし
考えることに
寄り添って
書いてみる

生きようとして
書いている詩なのだから

人と違う必要なんてない

自分をもっと
ゆるめてもいい

182 (詩ではないものを書いて詩を書く)

詩を書く時は詩ではないものを書こうとすればいい。心を奪われていることを、単に平叙文にするところから始める。詩を書くぞと力むと、妙なものができあがる。平叙文のすごさを知らずに詩なんて書けない。大切なものをとり取り落とさないために、詩ではないものを書くつもりで、書き始めた方がいい。

195  (詩を説明してみる)

詩の教室で時々、提出された詩よりもそれを本人が解説している言葉の方がずっときれいにこちらに入ってくる、ということがある。詩を書く、というより詩を語ってみる。詩を書いたらそれを一度自分にかみくだいて説明してみる。かみくだいた後の言葉だけで詩を書く。

232 (文章を入れ替えてみる)

一番簡単なのは、二つの文章を用意して、その上下を入れ替える方法。膝を組みかえる時のように、言葉を組み替える。それが詩へのきっかけになる。

まずは二つの文章を考える。普通の文章でかまわない。たとえば「窓をあけはなつ」と「波がうちよせる」という文章がある。つまり、

窓を あけはなつ
波が うちよせる

というわけ。この二つの言葉を入れ替えると次のようになる。

窓が うちよせる
波を あけはなつ

ここから詩を始める。窓が君のまぶたに打ち寄せる光景を想像する。波の荒れ狂う風景に指を差し込んで全開する心持を思ってみる。

いろいろな文章で試してみる。あとは実践と応用。たいていのものがそうであるように、自分でやってみるしかない。

難しく考えていてもなにも始まらない。

すべてを語り口調にして、行を変えるだけで、詩のようなものはいつだってできる。やってみよう。こんな感じだ。

組み替える

身近なところからはじめるんだ
自分のことを考えるところからね

たとえば君は
考えごとをするときによく脚を
組み替える

その「組みかえる」ことを 
詩に
するんだ

君が組み替えたのは
いすに座っている君の
脚だけだったろうかって

そういうふうに思考を
進めるんだ

組み替えるっていう言葉が
いつもと違って感じられてきたら
しめたものだ

それが詩の
入り口に立ったって ことなんだ

きみの部屋には
外につながった窓が
ある

たとえばその窓と
窓の外の海を
組み変える

目を閉じて
その動きを想像してみるんだ

海がいっきに
開け放たれる

あるいは

窓がはるかむこうで窓の外へ
くりかえし
打ち寄せている

そういうことなんだ
詩を書くって
いうことは

358  (どう感じているかわからないことを詩に書く)

すごく感動したことは、なかなか詩に表現できない。完結した事象は手に負えないということ。もっとわけがわからなくて、自信がなさそうでいて、叱りつけたくなるようなことを、冷静に言葉に置き換える。詩を書いてあげて、やっと一人前になれるようなコトを探す。たぶん探さなくても、すぐ近くにある。

380  (言葉を膨らませる)

この言葉は面白いなと感じる。その言葉を膨らませて詩を書こうとする。上手くいかない。はじめに感じた「面白いな」に捉われすぎているから。でも書こうとする気持ちはすでに高まっている。詩にはならなくても、その言葉が詩の方へ連れて行ってくれた。それだけでも有難いと思う。あとはじっと待つ。

393  (困難な方法で詩を書く)

書けない時は、好きな人に手紙を書くつもりで書き出すといいと考える。でも、やってみるとうまくはいかない。

あるいは昨日見た夢の奇妙さなら、書けるんじゃないかと思う。でも、人にはそれほど奇妙には感じられない。

結局、詩を書くぞと、正面からぶつかるしかない。一番困難な方法を選ぶ。

411  (いつもとは違った道筋を)

詩を書くとは
いつもの考えの道筋とは違った道を探すことだ

自分の考え方を裏切ることだ

下へ流れてゆく水を強引に上へ向かわせることだ

自分の詩の中に他人の思考を見いだすことだ

私らしさを嫌いになることだ

自分の詩をはるかに遠く
よそよそしく感じることだ

696 (導入部を捨てる)

一連目で
状況の説明であったり
なぜ書かれたのかをまず
説明している詩がある

いわゆる導入部

詩を書き上げたら
その一連目を思い切って
捨てる

もとは後ろの方で
安心して俯いていた詩行を
先頭にさらすことによって
流れている血液に
触れることができる

詩はいつだって
じかに
触れるもの

424  (詩の後半を捨てる)

自分の型にはまりすぎていて
詩が面白くない

いつもの流れで書き
いつものまとめ方で終わっている

そんな時は
詩の後半を捨てる

そこから
どんな曲がり角があるかを探す

立ち止まって考えれば
無数の小路が見えてくる

優れた詩は
見知らぬ街を歩いてきたような足の痛みを持つ

443  (手垢のついた言葉から始めてみる)

「夢」とか「鏡」とか「眠り」とか
詩の入り口を容易に開いてくれる言葉がある

何も思いつかない時は
ともかくそこから書き始めてみる

手垢のついた言葉で遊んでいるうちに
モノを作る君が出来てくる

君を超えた人が
呼び出されてくる

掛け替えのない詩は
その人が書いてくれる

452  (連作詩のつもりで一篇の詩を書く)

すごいアイデアが浮かんで、これは連作詩ができるのではないかと夢は広がる。例えば商店街をテーマに、一軒に一つの詩を書いてゆけば、どんなに素敵な詩集が出来るだろうと思う。でも、夢は夢。連作詩を作ろうと思うほどの情熱で、一篇の詩に立ち向かう。ずっとそうしていれば、別の夢へたどり着く。

500   (単純な詩を書く)

単純さは
詩作の大切なひとつの指標になる

物を書いていると
ついこねくり回してしまうから

こねくり回していると
いつ終わってよいものかわからなくなる

そういう迷路に入り込んだら
いったん諦める

はっきりと先の見えるひ弱な単純さの中で
詩を作り上げる覚悟は
必要だと思う

503  (そのままの自分を書く)

やることが思い通りにいかなくて、立ち直れないほどに落ち込むことってある。なにをやっても中途半端で、人の思惑ばかりを気にしてしまう。自分らしさっていうものに、そもそもうんざりしている。 そんな夜には そのままの自分を詩に書く 元気になんてならずに 自尊心なんて取り戻さずに

596  (ひとつのことを書く)

詩人には両腕が
ある

仕事や
すぐそばのできごとや知り合いを
そのまま書き記したいという右腕と

奔放な観念を
思う存分遊ばせてみたいという
左腕

間違っても
両腕を組んで
バランスよく立っていようなんて
思ってはならない

その時々に
どちらかの腕に身を任せる

バランスを失った先に
詩はある

787  (漢熟語を置き換える)

ひとつの方法

詩を書いたら
漢字二文字の熟語を取り除く

困惑
暗闇
焦燥

その取り除いた空欄を
例えばどんな困惑で
どれほどつらいところへ追い込まれているものなのかを
いつも遣っている日本語で
埋める

詩でしか遣わない言葉を
詩の時だけにもってくるなんて
したくないから

私の詩
なのだから

1538  (ひとつのことだけを書く)

Aについて数行の詩を書いたとする。そうするとついその後に自分を出してきたり、Bについて書きたくなる。

でも大抵の場合、Aのことを素直に少し書き足す方が、詩が落ち着くし収まりがつく。

詩を書くって、書きたいことがさらに思い浮かんでも、それを抑え込んで、地味にそこに留まることだ。

1553 (同じテーマを何度も書く)

一度書いたことはもう書けない。次は別のことを書こうと思って頭をめぐらす。でも、いつかは種切れになる。

そうではないのだと気づいたのは、ずいぶん歳をとってからのこと。

同じことを何度でも書いてよかったのだ。それしか書くべきものはないのだし、突きつめれば自分のために書く詩なのだから。

1605  (足が詩を書いてくれる)

詩が書けない時は歩くといい。足が詩を書いてくれる。ぼくの場合、散歩をしていて、同じ道の同じ場所に来ると詩ができる、ということがある。なんだか、その場所から詩を受け取っている気分だ。その場所って、たぶん通路の出口なのだ。その通路を伝って、ぼくはこの世に流れ込んだ。

1788  (ともかく書いてみる)

頭で考えているだけでは、詩はなかなか前へ進まない。ともかく書いてみると、自分が何を書きたかったのかが見えてくる。

こんなこと、ありふれているから書いてもしかたがない、ということでも、心を込めて自分の言葉で書き直しているうちに、「これなら書いてもいいよ」という切り口が見えてくる。

第十八章(自分の言葉で詩を書く)

353   (どんな言葉で詩を書くか)

中学校で習う英単語だけで英会話ができるように、詩を作るためには、それほど多くの単語はいらない。身の丈にあった気の合う言葉がいくつかあれば、それが素敵な詩を作ってくれる。辞書を引かなければ意味のわからない言葉を詩につかうのは危険。君の詩であって、もう君の詩ではない。

434  (自分の日本語を集める)

朔太郎を読んで思うのは、詩を書くというのは扱える日本語をどれほど集められるかにかかっているのだということ。蛤とか犬とか地面とか竹の根っことか、一つずつ見つけて詩の囲いの中に入れて行く。挙句に商業とか貿易とかも調教できるのだと思いついた時には、どれほど震えたことだろう。詩作は投網。

1697  (味方になってくれる言葉)

沢山の言葉を知っているから、よい詩が書けるわけではない。味方になってくれる言葉を、いくつか見つけ出し、それを繰り返し使う。同じ言葉を、何度も何度も使っていてかまわない。そうしているうちに、その言葉のことをよりよく知ることができるようになるし、言葉の方も、ぼくの限界を知ってくれる。

1023 (意味の通じる詩を書く)

意味のきちんと通じる詩を書いてゆこうと
僕は思っている

できるだけ多くの人が分かる詩を書こうと
心がけている

それはなにも
もっとたくさんの人に
詩を読んでもらいたいと思っているからではない

意味というものの
すごさと
人が分かるということの
怖さに
なによりも圧倒されているからなんだ

1034 (詩のための言葉について)

詩作のために
どこかから
探し出してきたよそ行きの言葉を
使うのではなく

さんざん使い古された言葉を
清潔に洗い直して
詩をつくる

そんなふうでありたい

いやになるほど
ありふれてしまった言葉と
あらためて出会う

涙とか
夕日とか
おはようとか

もう一度アイロンをかけて
使わせてもらうよ

第十九章(人からの助言、感想は)

174  (詩に助言をもらっても)

詩についての助言は気づかなかったことを指摘してくれるから受けてもいい。でも、次の詩を作るときにはその助言の機嫌をとるような詩は決して書かない。自分の詩であるという所は譲らない。まだ生まれてきていないつややかな詩に出会うときには、ぜんぶを忘れて忘れたところから書くのがいい。

461  (人からの感想は)

詩の教室で私は
君の詩についてありのままの感想を言う

でもその感想に君は
過剰に反応をしてはならない

次に書く詩の
向かう先をそのたびに変えてはならない

人の感想は別の
物置小屋にぞんざいに放り込んで置く

いつも同じような詩が書けてしまうことに
うっとりしていてかまわない

1762  (人からの助言について)

詩の教室の詩に対して、僕は一読者として感じたことを言う。具体的なアドバイスもする。でも、注意してもらいたいのは、指摘されたことにもとづいて詩を書きかえること。あまりやりすぎると、自分が詩を書いたときの勢いと意味が失われる。書いたのは自分だということの意味は、人の意見よりも重い。

第二十章(心構え、そのほかのこと)

126  (書くことがない方が)

あらかじめ書きたいことがある時には  詩はできあがらない   何を書こうかと  途方にくれている時の方が  詩はやってくる   迷子になると  詩の方が君を見つけてくれる   あるいは  何を書こうかと  考えることが  詩そのものだから

142  (秘訣なんてない)

難しい言葉をつかうと  詩が立派に見える   立派に見えていけないことは  ないけど  自分のちからを見失う   ずっと立派な言葉に  しがみついていなきゃならなく  なる   こうしたら詩が書ける  という  便利な秘訣を見つけたと思ったら  用心  用心   そんなものどこにもない   愛すべき下手くそから  くりかえす

188 (詩の余白)

詩を書く時には、のりしろを作っておく。書きたいことのちょっと手前でとめておく。そうすると人に伝わりやすくなる。書きたいことを目一杯書いてしまうと、独りよがりのだれにも伝わらない詩になってしまう。伝えるために行けるところへ行かない意志。とどまれる力。そういうのが大切だと思う。

216  (ためらいの大切さ)

詩を作るためには
ためらいが必要だと思う

詩を書いていれば
言葉は思いつく

そんな時
この言葉でいいのだろうか

小さく堰き止める力が
大切

自分であることの心地よさを
押し留めようと
すること

母国語だから
こぼれ出てきてしまう言葉への
臆病な退きが
詩を磨き上げるのではないかと
思う

348  (詩はどこにでもある)

詩はどこにでもある。通勤時の車内アナウンスの寂しげな一言にも、地下通路の電気の切れた化粧品の広告板にも、車窓から垣間見られる空の切れ端にも、隣でスマホに俯ける疲れた顔にも、降車駅でつり革から剥がされる指先にも、扉に書かれた指詰めに注意にも、詩はいつでも、あふれるほどに襲ってくる。

400 (好きな詩に似てしまう)

もちろん詩の剽窃はまずいけど、好きな詩人の詩に似てきてしまうのは避けられない。フレーズではなく、志を真似る。生きるってそもそも、憧れている人のあとをついて行くことだから。呼吸だって歩行だって眠りだって愛しかただって、うまくできる人をうっとりと見つめてしまうのは、仕方がない。

404  (感じ方の細かな違い)

こんな時にはだれでもこんな感じ方をするものだなって、思うことがある。感覚って均一でつまらないと。でも、ほぼ同じでも、細かく見ると人それぞれ違う。君の思いはほかの誰の思いとも別だし、かけがえのないもの。その細かい違いをなんとか分かりたいというのが、詩を書くということなんだと思う。

405  (いつもと違う詩が書けた)

いつもと違ったタイプの詩ができてしまうことがある。いつもの詩なら扱いも分かるが、この詩はどうしたらよいのだろう。もしかしたらとんでもない傑作とみなされるだろうか。あるいはただの笑い者にされるだろうか。目をつぶって発表してしまおうか、やめようか。できてからの方が、疲れてしまった。

432  (心を整えてから)

なぜかわからないけどワクワクしていて、自分を抑えられない時がある。そんな時に詩は書けない。

ひどく気になる心配事があって、思いは常にそっちへ向かってしまう。そんな時にも詩は書けない。

詩が書けるのはなんでもない時。なんでもない自分を、少しだけそうでなくするために書いてみる。

438  (ありふれた自分が書く)

ある詩人の下書き用のノートを見せてもらった。くだらない詩の断片が書いてあった。でも、いつも出来上がってくる詩は信じられないほど美しい。あの断片のどこをどうしたらあれほどの作品ができるのだろう。詩作ってそんなもの。ありふれた自分から、のたうち回って際立った自分を紡ぎ出すことだから。

448  (胸熱く)

ミュージカルとかオペラとか
現実とはかけ離れた所作だと思う

詩を書くという行為も
実は似ている

歌いあげる心がなければ
詩を選んだ意味がない

言葉の技術よりも
生きることにうっとりとできていること

胸熱く言葉を発していられること

穏やかでない優しさを
身に持つ

450  (感覚の隅っこを見つめる)

書くことがないなんてありえない

書くことって
引き出しの中に整理してしまわれてなんかいない

むしろ引き出しの奥にたまった
埃のようなもの

生きていればいやでも日々の埃はたまってくる
四六時中降ってくる
感覚のオクソコをただ見つめる

書くことがないなんて
だからありえない

467  (頭でなく指先で考える)

頭の中で出来上がってしまった詩は
大したものにはならない

できたモノを
ただ説明するだけだから

詩は頭よりも
指先で考える

何を書きたいのかわからないけど
書きたくて仕方がない

そんな時がまさに
書いて良い時 書くべき時

指先が切なく言葉を生み出し
頭が脇で 節度を担う

472  (形のないものに形を)

形のないものを
見えるように描くのが
詩の役割だと思う

命のないものに
かすかな呼吸を始めさせるのが
詩の役割だと思う

威張った抽象語に
おのれ自身を具体的に語らせるのが
詩の役割だと思う

483  (幼稚な詩に見えること)

できあがった詩が
幼稚に見えることがある

でも幼く見えるって
むき出しでありのままの表現であることが多い

飾り立てることが
技巧ではない

だから幼稚であることを
勇気をもって隠さない

自分の中に
何かがあるように見せかけない

それらしい詩を
目指したわけではないはず

489  (だれかがわかる詩を書く)

だれにでもわかる詩を書きたいと
思うのはかまわない

でもそれによって
書きたいことを狭めるのはどうかと思う

だれかがわかる詩を
書いていたい

言葉に触れるたびに
恐いほどの震えを感じられる人

そんな読者と一緒に
詩は作り上げて行くものだと思う

497 (自分の話を聞いてあげる)

立派な詩を書こうとするからなかなかできない

そんな大げさなことではなく
忙しくてしばらく会いに行ってあげられなかった自分の
目を見てあげる
言葉を聴いてあげる
そばにいてあげる

このところの自分を
傷つけてはいなかったかを
点検することが
詩を書くという行為

501   (捨て身になる)

詩ができない時には
だれか特定の人に向けて
手紙を書くようにしてもいい

思いは熱い方向を持つし
言葉は容易に
出てくるようになる

でも
そうするなら
自分のみっともないところまで晒して
捨て身にならなければ
本当の思いは伝わらない

責任をもって人を
愛する時のように

502   (生まれてきたことの意味に帰る)

絶妙な言い回しや
綺麗な表現
気の利いた比喩や機知にとんだ理屈も
大切でないとは言わないけど

何よりも忘れてならないのは
どうして自分は表現にとらわれてしまうのだろうという
まっすぐな疑問

生まれてきたことの意味さえ
その中にある

だからいつもそこに戻って
詩を書く

504  (人と同じことしか感じない)

人と同じようなことしか感じられないし
考えられない

そんな自分が特別な詩なんか書けるわけがないと思う

それって明らかに
間違っている

人と同じようなことしか感じられないから
人のことがしっかりと分かる

人と同じようなことしか考えられないから
人の奥底へ下りて行ける

506 (詩は問いかけるもの)

詩は
何かを説明するためのものではない

書いていて
どうもこれは正しい理屈だなと感じたら
違うところに来ている

詩はむしろ
説明を要求するもの

何を知りたいのかと
おそるおそる自分に近寄って行くこと

詩は生きていることの
ひたすらなインタビューのようなものだと思う

507  (詩作にコツはない)

偶然にも
ちょっとしたコツがわかって
詩がひとつできてしまう

ああ こういうのならいくつも出来るなと
得した気持ちになる

勝者のような
気分になる

でも
たいていそういうのは
勘違い

生まれ出る苦しさを
迂回したいと願った自分に
しっかりと向き合うべき

520  (その先を考える)

ある日
空の詩を書こうとする

でも
高いとか
果てしがないとか
みんなが感じることしか浮かばない

でも
そこで諦めない

なぜ空のことを詩にしたいのか
その理由を考えてみる

果てしのないものが目の前にある
そのことを感じてみる

衝撃でないものなんて
もともと
どこにもない

527  (ひらがなの詩は)

ひらがなばかりの詩って
ひらがなに助けてもらう詩であってはならない

ひらがなばかりの詩って
ひらがなのやわらかさに頼ってはならない

まともに漢字を扱えるようになるまでは
ひらがなばかりの詩で
楽してはならない

人のことは
言えないけれど

530 (真に書きたいもの)

りんご
という言葉を使わずに
りんごの詩を書いてみよう

目をそらした時にだけ
見えてくるものを
詩に書いてみよう

いつも使っている言葉
だけで
詩を書いてみよう

人の目よりも
シンに書きたいものを思い出して
詩を書いてみよう

自分を好きで
いられるような
詩を書いてみよう

542  (ためらいがある時は)

何を書くのも自由だが
それが書かれて発表されるべきものであるかどうかは
別の話

基準 というのではないものの
心のざわめきが決めてくれる

どこかに躊躇いがある
時には
いったんしまい込む

戸惑う隙もなく
迷いもなく
晴れ晴れと差し出されてしまったもの
だけが
結果
私の詩

554  (鮮やかな発見が必要)

思いついたことを書くことは誰にでもできる
でもそれだけでは詩にならない

ああこんなことが
こんなふうに書けるのかという
鮮やかな発見が
少なくとも必要

大げさなものでなくていい

自分の背中にまわって
ちょっと驚かせてみる

振り向いたところに
誇らしげな詩ができあがっている

561   (独りよがりについて)

詩を書いていて時々
こわくなるのは
これが
勝手な
独りよがりの妄想ではないかということ

行った先でそんなことが気になりだしたら
もう書き進めない

でも
独りよがりを避けて
詩なんか書けない

研ぎすまされた自分勝手は
きっと通じる

読者はとぼとぼ
ついてくる

565  (書く前に読む)

あたりまえのことだけど
書く前には
読むという静かな行為が
ある

吐くための新鮮な息を
まずは吸って
君をふくらませる

ある日ある場所で
この詩はすごいな

うたれてしまう

すべては無条件な憧れから始まるものだし

つまりはその時点でもう
君の詩の半分は
できあがっている

575  (詩が完成する時)

いったん出来上がったものでも
読み返せばどこかを書きかえたくなる
直したくなる

なんだか詩は
永遠に完成しないみたいだ

ところで
詩が完成するって
どういうことだろう

私のすきを見て逃げ出すこと

私ではなくなること

だから
しがみついてきている間は
まだできあがらない

655 (「呼びかけ」という技法)

対句とかリフレイン
とか

隠喩とか換喩とか

いろんな詩の技法が
あるけど

「呼びかけ」
というのも
ワザのひとつらしい

親しみをおとなしげに出すことが
技法だなんて
なんだかおかしい

おもねり
とか
突き放し

だったら詩の武器に
なるのだろうか

ホンジツの後ろ手の
自分を握る細かな震えも

659 (詩のテーマとは)

詩の題材というものは
詩の外にあって
出かけて行って
つかまえてくるものではない

詩にまつわる動作や
思考

それらがまさに

そのものであるという
妙な関係性

だから雑誌に詩を投稿して
落とされたときの
心の傾斜

詩への
うらみにも似た情けなさ

それをも
次に書くべき詩の
大事な題材となる

681  (説明するということ)

詩は端から端まで
詩が満ちているべきで

ただ説明している行は
よろしくないと言われている

その言葉はたしかに
正しいと
思うんだけど

だからといって
極力説明を省いて
誰にも通じない詩は
詩でも
なくなってしまう

説明しろと
言っているのでは
なく
通じてもらうための綺麗な引きさがりも
必要

703 (書かれなかった行を持つ詩)

余す決断
というのも
詩作には必要だと思う

興が乗ったら
書きたいだけ書いてしまう

というのは
それ自体仕方がないことだとは
思うけど

そうすると
過剰な作品が
出来上がってしまう

読む人が抱えられないものが
できてしまう

書かれなかった行(ぎょう)を
いくつか持つ
詩でありたい

715  (手書きとPC)

(問い)詩はPCで打つのと手書きで書くのに差異はありますか?

ある

詩は顔の後ろだけで作っているのではない
指先だって
考える

思考から文字へ
優しく受け渡す
その作法が影響を与えないわけがない

画面につらく立つ文字を
みっともない手書きにして
ノートに寝かしてみれば

流れ込む詩情もある

720 (立ち止まってみる)

ちょっとした思いつきを詩にして
自然と出てくる言葉を書いて
いつもの信念で詩を終わる

楽しいならそれで構わないんだけど
もっとうまくなりたいなら
立ち止まってみる

詩はみんなとおんなじであることを書くことで
それでいて
みんなと違うということを書くことなんだ

この謎々を
まず解いてみる

774  (並列について)

たとえば
鮮やかに受け止めた印象を詩にする時に

一連目で海に喩え
二連目で風に喩え
三連目で星に喩え

だれもがきれいだと感じるものを並べた詩は
多い

いけないというわけでは
ないけど
並列は
書き手が思うほどの効果を
持たない

並べずに
たったひとつの
大切な言葉を差し出せば
詩は充分

775  (次の連とは)

歯を磨く
という一行を書いたら
次に何を書くだろう

たのむから
口をすすぐ
なんて
書かないでくれ

歯ブラシを動かしながら
思っていたことが
あったはず

それを何かに喩えるのでもいいし
さらに
喩えたもののこまごました事情に
突き進んでしまうのでも
いい

連を変えたら
視線の遠さを
変える

867  (書きたいものを書いているか)

ほんとうに書きたいものを書いているか

自身に問うてみることを
忘れてはいけない

ただ書くために
書いていないか

ただこちらを向いてもらうために
書いてはいないか

それがいけないと
言うのではないが

時折
ほんとうに書くべきものを書いているか

声に出して
問うてみる

907  (なりきってしまう詩)

いつも似たような詩しか書けない

悩んでいる人への
提案

なりきってしまう詩

試してみるというのは
どうだろう

「今日私は魚だ」

書き始めれば
詩は
君の人生の水をたたえた一つの入れ物になる

水面を見上げる
肩のやるせない痛みを
書けばいい

「今日私は
涙の止まらない
鬼だ」

975  (抽象語や観念語について)

抽象語や観念語を使うと
それだけで詩が
立派に見えてしまうから
気をつけたい

出来るなら
もっとおとなしくて
めぐまれない言葉を集めて
詩を書きたい

ひとつきりでは
なにも言えない言葉を集めて
肩を組むように詩を書きたい

書き終わったあとで
偉そうな単語がいないかどうか

僕は詩を点検する

989   (どんな言葉も書いてみる)

思いついた言葉があって、でもくだらないかなと思って、書くのをやめてしまう。それ、もったいないと思う。言葉って、書きとめてみると、思っていた時とは違った姿に見える。空気に触れると不思議と美しくなる。ホントだよ。だから、頭に浮かんだ発想は、どんなものでも書いてしまう。

1018  (いつもの得意な言い回しについて)

詩を書いていると
いつも自分の得意な言い回しや
考え方の方へ向かってしまう

そんなときには立ち止まる

自分では面白いと思っているその展開を
避ける
力を抜いてみる

そして
もっと当たり前な言い回しを選んでみる

詩作には
途中での立ち止まりと
ありふれた表現を取り入れることが
大事だと思う

1057  (詩作の心構え)

「僕の詩作の心構え」

構文はとてもシンプルに

形容詞と副詞は掛かる言葉の近くに

主語を曖昧にせず

並列して書きたいことがあるときには
一つだけにしてあとは捨て

比喩にたよらず

書き出しは自らの手が痛むほどの切れ味を

結末はしつこいほどの丁寧さを

そして
みずからの詩をこよなく愛し

1091  (ためらいを通過する)

詩を書こうと思えば
言葉は出てくる

出てくるけど
そのまま書いていいのかどうかと
立ち止まる

自分の書くものは
基本
ありふれていてつまらない

わかっているから
うなだれる

つまらない自分の詩は
読んでもらう価値はないかもしれない

ためらいを通過しないと
人に見せる詩はできないと思う

1099  (方法や技術について)

詩を書くために、ある方法や技術を見つけることは有効だ。でもその方法が必ず優れた詩を生み出すなんてありえない。どんな方法によっても出来不出来ができる。詩の良し悪しは微妙な所で決まる。不明なもの。そのありかに巡り会うために私たちは創作する。信じられるのは書きたいという思いの根源だけ。

1440  (捨て詩について)

詩が書けなくて
でもどうしてもなにか書きたい
という夜は

とにかくなんでもいいから書いてしまって
題をつける

むろん
どうしようもない詩では
あるけれども
その詩が
次のきちんとした詩へ導いてくれることが
ある

捨て石ならぬ
捨て詩と
呼んでいる

ぼくはたくさんの
捨て詩で
できあがっている

1478 (詩の文体)

詩の文体というのは、頑張ってつくるものではないような気がする。そういう人もいるだろうけど、どちらかというと、自分にどう向き合っているかを示しているものだと思う。だから、自分の文体は自分ではどうにもできない。文体が定まらない人は、たぶん、まだ自分に真摯に向き合っていないのだと思う。

1543   (詩の個性について)

詩を書いていて、自分だけの個性やスタイルを確立することは大事だと思う。だけど、そのスタイルで書いていれば詩が書ける、となったら、危険でもある。

ぼくの詩がダメになったのは、そのためだ。それまでにどれほど多くの詩を書いてきていても、次の詩の前では、最初のぼくにもどるべきだったのだ。

1654  (普段の自分から)

詩は、ふだんの自分の中からしか出てこない。常に言葉に敏感でいること。そうしていれば、一日の内に溜まってくる言葉がたくさんある。それを思い出しているうちに、不思議に見えてくるものがある。それが詩だ。だから、ぼくらにできることは、自分をいつもむき出しで世界に触れさせていることだけだ。

1700  (詩のマンネリ化)

自分の詩がマンネリ化して、自分にとってさえ驚きがないと感じることがある。そんな時は変わりたいと思う。でも、後で気づいたのだけど、マンネリ化の先にこそ進むべき道があった。自分の詩に飽きることは詩を書いてゆく過程の一つだし、飽きることの恐れと向き合って書いて行けという戒めでもあった。

1720   (習慣づける)

詩を書くという行為は習慣づけることができる。Macbookの電源を入れて画面を見ると自然と書くことが出てくる。容器を用意するとそこに水が湧き出てくるような具合だ。だから疲れている夜は、詩を書こうと思うと心の負担が大きいから、ただ画面を見つめようとする。たぶんその日の詩が湧き出てくる。

1799  (通り道が見える)

詩を書いていると、スッと一本の通り道が見えることがあります。それが見えると、詩はできあがります。ああだこうだ考えていないで、これだけを素直に書けば詩になるのだ、ということがわかる瞬間です。沢山のものを詰め込まなくてもいいのだとわかります。はじめからそうできないところが不思議です。

1849  (なにもないところで立ち向かう)

ある文体や形式で一つの詩が書けて、これでやっていけば幾つも詩が書けると思うことがある。たしかに書けることは書ける。でも、そこにはどこか緩みのようなものが混じる。一つの詩を作ろうとする時は、しんどくはあるけど、やはり何もないところから立ち向かうべきなのだろう。

1863  (初めて詩を書くときは)

まだ一度も詩を書いたことがなくて
でも書いてみたいという気持ちがあるのならば

まずは
自分をやるせない気持ちにさせてくれた言葉を
ノートに書き写す

生活の中からでも
人の詩の中からでもかまわない

その言葉が
自分にとっての詩のありかなのだし
長い生涯
詩への渡り廊下になってくれるはず

1976 (何を書くか)

詩を書こうなんて思わずに、その日一日過ごして、少しでも心を動かされたものを書き記しておくだけでいい。書いておかなければその日は全部どこかへ行ってしまう。あっと思ったことや、泣きそうになって押しとどめたこと。一日の間には感情が何度も揺さぶられているはず。それを箇条書きでいいから。


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