俳句を読む 52 高浜虚子

三つ食へば葉三片や桜餅 高浜虚子

桜餅という、名前も姿も色も味も、すべてがやわらかなものを詠っています。パックにした桜餅は、最近はよくスーパーのレジの脇においてあります。買い物籠をレジに置いたときに、その姿を見れば、つい手に取ってかごの中に入れたくなります。「葉三片や」というのは、「葉三片」が皿の上に残っているということでしょうか。つまり、葉を食べていないのです。わたしは、桜餅の葉は一緒に食べてしまいます。あんなに柔らかく餅と一体化したものを、わざわざ剥がしたくないのです。もしもこれが三人で食べた句なら、三人が三人とも葉を残したことになりますが、この句ではやはり、「三つ食へば」とあるので一人で三つ食べたと言っているのでしょう。どことなくとぼけた味のある句です。桜餅を一度に三つも食べること自体が、ユーモラスに感じられます。ああいうものは、一人にひとつずつ、軽やかに味わうもので、続けざまに口に入れるものではありません。句全体が力が抜けていて、ふんわりしています。個性的で、ぎらぎらしていて、才能をこれみよがしにしたものではありません。それが虚子からの、ひとつのメッセージなのかもしれません。さらに、これほどに当たり前のことをわざわざ作品にできるという、俳句の持つすごみを考えさせてくれる一句ではあります。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?