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アニメ版『僕の心のヤバイやつ』批評⑥-関根萌子の恋ー

1.はじめに

 今回は第六回。ここまで来たかと嘆息する。つらつらだらだら続けているだけだけど、何か掴めていたらいいなって、本当に思うよ。

 前回は、突然、S&Mシリーズ『すべてがFになる』を扱ったよ。いや、四季シリーズも扱ったけどね。特に、真賀田四季の通過儀礼を扱ったね。

 何故って?

 批評の道具が心もとなく感じたからだよ。前回の批評で、交差型を大幅に洗練することができた。これで、色々と見通しが良くなったよ。

 今回は、何度か口にしてきた関根萌子の恋について語って行こうと思う。やるやる詐欺なんじゃないかって、自分でも思ってたけど。
 
 萌子の恋?

 いや、未然というか、本チャンはなかった気がしない?

 そう、だから、今回は、恋の妄想がテーマなんだ。恋の妄想。多くの人がしたことがあるんじゃないかな。多かれ、少なかれ、ね。

 というより、恋愛作品を鑑賞するのって、恋の妄想を代替してもらってる側面があると思うんだよね。しかも、ハイクオリティでさ。

 とりあえず、交差型と恋愛の組み合わせをまとめたパワポを掲載。

 1×2、つまり、一対(一)と一対多の組み合わせの項に、関根×南条を新しく記入した。そして、恋愛の対のパワポも少しいじったよ。

 もっと軽やかに自分の言葉で批評した方がいいのか。ここに至って、自分の批評の根本的な姿勢や手法に対して、疑念を抱いている。

 もっとキャラクターに触れて、場所やアイテムに触れて、丁寧に追って行った方がいいんじゃないか。そう思い始めている。

 結局、僕は思想を深めたいだけなんじゃないかって。作品への愛とか、批評とかって、実は二の次で、それほど大事じゃないんじゃないかって。

 だから、少し、この辺りで改心したいね。

 といって、今回も、型ありき、モデルありきなんだけどね。それがないと、僕は作品に上手く切り込める気がしないんだよね。ハハハ。

 おいおい自分の手で丁寧に批評できるようになれたらなと思うよ。

 今回の批評目標は、一対(一)の恋愛の様相を明らかにすること。そして、その恋愛にありがちな心理過程を描けたらと思うよ。

 今回も、連載見ている人にはおなじみの『恋愛の授業』を使うよ。特に、フランツ・カフカを取り上げている所。一対(一)の所だね。

 では、早速行ってみよう。

2.萌子の恋

 まず、フランツ・カフカの恋を取り上げて、あらかた一対(一)の様相を示した後で、それを、道標にしつつ、萌子の恋を深堀するよ。

 フランツ・カフカ。有名な文豪だね。『変身』とか、『城』とか、名前を聴いたことがある人もいるんじゃないかな、どうかな…。

 まぁ、別に、どんな文豪かは、今回、どうでもいいんだよね。

 彼には、その時々に、恋人がいた。だけど、彼は肉体関係は汚いものだと考えていたし、頻繁に会ったりすることもなく、むしろ会うのを拒絶。

 どうやって愛を育んでいたかと言えば、手紙。カフカは手紙魔で、恋人との間で沢山の手紙を交換していた。

 これ、よく分からないよね。恋人に会って話したい、触れてみたいってのが、「普通」じゃないのって、多くの人は思うだろうね。

 会おうとしないけど、手紙は書く。これをどう考えるか?

 カフカは、実物の相手、現実の相手を少しは好きなのだろうけど、その相手との実際の関係の発展や接触には興味がないと、推測が立つ。

 何をしているかと言えば、手紙のやり取りを通して、立ち上がってくる想像上の相手に恋しているってこと。そう、自分の想像力が大事なんだ。

 手紙の自分も含めて、恋の劇を妄想し、想像上の恋人を愛し、恋の劇そのものを愛し、恋に恋して、恋に酔いしれる。そういう恋。

 『恋愛の授業』は著者が大学の先生で、まさしく大学での講義を元にしているから、大学生の反応も掲載してくれているだけど、評判はひどい。

 カフカは、結局、恋に恋してるだけ、自分が好きなだけ、自己愛の延長で、他人を振り回しているだけ。かなり批判的に受け止められている。

 さて、カフカを通じての一対(一)の恋愛の様相の深堀はここまでにして、にゃあの恋の解析に入ろうか。どこから手をつけるべきか…。

 第二話「僕は死んだ」。

 文化祭。萌子のグループはナンパイ(南条ハルヤ)のグループに声をかけられる。そして、文化祭を一緒に周ることに。

 その際、萌子はナンパイの声掛けに積極的に応じている。しかも、ちょっとぶりっ子入れつつね。

 それから、一緒に行動するんだけど、萌子はナンパイの隣を確保しつつ、ナンパイから杏奈を守るシールドの最先鋒にもなっている。

 ナンパイ。

 この時点での情報は、杏奈のことを狙っている先輩で、少し強引な所がある人。カッコよくて、いかにも女馴れしてそうな雰囲気がある人だ。

 そして、京太郎が投げて、川に落っこちた自転車を引き上げるのを率先して手伝うなど、人の良さもあったりする。

 萌子はそんなナンパイの誘いに乗り気だ。

 これ、萌子は性的な魅力度が高い相手を狙うような女の子ってこと。そういう「格」の高い男しか興味ないし、相手しないってこと。

 性的な魅力?

 この場合、カッコイイとか、女馴れしてて、引っ張って行ってくれそうとか、そういうのかな。モテるタイプで、彼女がいたりするような。

 実際、間宮って、可愛い彼女がいるんですけどね。

 そして、気になるのは、杏奈をナンパイから守ってもいること。ナンパイが杏奈狙いだと察し、杏奈とナンパイの間に入っている。

 この非対称性が面白いよね。

 自分はその相手が良いと思っている。だけど、その相手が友だちに近づくのは拒む。言葉面だけだと、嫉妬からのように思えるけど、違う。

 杏奈が見てくれの良さから、男の視線を集め、男から性的に狙われているのは周知の事実。萌子がそれを知らないわけもない。

 グループで、杏奈を守っている。杏奈が大事だから。ナンパイの杏奈へのハンティングについては良く思っていないし、それを阻止している。

 このずれ感は何なんだ?

 第七話「僕らは入れ替わっている」。

 男女混合のマラソンの後、萌子は彼ピの体操服を借りて、彼氏アピールがしたいなんて、教室の中、グループの皆の前で会話している。

 この際、特定の誰かが想定されているわけではない。だが、彼氏のいる私という恋の劇が想像され、それに、心地よさを感じているのは確かだ。

 これは、恋に恋しているの症状だろう。

 彼氏がいて、彼の服を貸してもらって、彼に包まれている感じを楽しむ。そんな感覚的な心地よさと同時に、ステータスとしてのそれをも、心地よさとして享受している。

 だって、アピールしたいんだもんね。

「うざっ!」

 恋の劇でも、これは、自己愛強めの劇だね。でも、多くの人がこんな妄想をしては、「ああ、彼氏欲しいな」なんて、思ったり?

 第九話「僕は山田が嫌い」。

 萌子はクリスマスに向けて、彼氏が欲しいらしい。だから、行動を起こすことに。杏奈が意外にも乗り気だったので、一緒にドサ周りをば。

 この時、萌子は男をランク付けしていること、そして、それを意識し、彼氏を選ぶ時の大事な指標にしていることを明かす。

 例えば、京太郎を「スライム」と言って、気軽に「イッチ」なんて声掛けし、何でもないかのように、Lineの交換を果たしている。

 ランクの低い男には興味ないから、適当なんだね。

 でも、一番高く評価している石室くん相手には、自分で聴きには行かずに、恥ずかしがって、杏奈にLineを聴いてもらいに行っている。

 ハンティングはダメでも、話の流れで、「格」の釣り合ってると思ってる相手とのカップリングは、杏奈にも適当に許しちゃう辺りがねぇ。

 まぁ、こちらは、家族ぐるみのつきあいがあるとかだし…。それに、先ほども書いたように、結局、自分が相手してもらいたいわけだから。

 そして、別のシーン。小林ちひろ(以下、林子)と杏奈が教室の入口で、間宮を連れたナンパイに声を掛けられて、止まっているシーン。

 萌子は吉田芹那とそれを遠目にしつつ、ナンパイ、そして、ナンパイが引き連れている間宮について話している。

 にゃあはナンパイが間宮と付き合っているが、他の女の子に手を出すようなクズだと知っているが、それが、いいのだとほざく。

 ナンパイはどうしてクズか?

 それは、間宮が一対一型なのに対して、ナンパイが一対多型だから、どうしても間宮側が弱い立場に置かれる。その非対称を呑ませている所がクズなのだ。

 じゃあ、そんなクズのどこがいいのか?

 ここに、今回の本命がある。結局、それは、恋の劇での話だ。妄想の中で、自分とナンパイが付き合っている。それで、何?

 それで、自分はそんな非対称を呑まされている可愛そうな女の子。いくら浮気をされ、それを呑まされても、耐えて、最後には自分を選んでくれると信じている女の子。

 そう、「クズ男を一途に思い続ける健気な私」が好物ってこと。

 また、これも、自己愛強めな恋の劇だよね。恋に酔ってみたい。恋する自分に酔ってみたい。これは、利くねぇ。ドーパミンドバドバ。

 よし。同じ話の別のシーン。

 杏奈が林子を傷つけたくなくて、言えなかったこと、ナンパイが杏奈を引き出すために、林子を利用しようとしていることを、にゃあは林子に告げる。

 萌子は基本、友だち想いなんだよね。

 杏奈の代わりに言ってあげたってのもあるし、利用されかけていて、不発に終わり、「きっと行っても楽しくない」林子を止めたんだから。

 言いにくいことも、言って、その人と自分の関係が悪化しそうなことも、友達のために言える子。それが、萌子なんだよね。

 第十一話「僕らは少し似ている」。

 もうすでに解析したシーン。コンビニでたまたま一緒になった、ナンパイと間宮、京太郎と萌子が、ファミレスに行くシーン。

 萌子は京太郎を試す。

 京太郎が本気で杏奈を好きかどうか。これは、もちろん、杏奈のため。萌子は友だち想いだってことが、もう明白。誤魔化せないレベル。

 この時点で、京太郎を認め、二人の関係を認めている。

 そして、京太郎を少しからかったりしている。いやぁ、ホント私服も、京太郎にやってることもあざとくて、何だコイツって感じだけど。

 あざとい。これは、恋愛において自分を可愛く見せるために、打算的に行動する女の子を形容する際に使われる言葉。

 さて、今回取り上げるシーンは全て上述した。ちょこちょこ分析を挟んだけど、ここからより深い解析とまとめに入ろうと思う。ね?

 萌子は一対(一)型の恋をしている。恋の劇を妄想しがちで、それは、彼ピの服を借りるとか、クリスマスデートとか、色々だ。

 その際、彼氏といる、彼氏を身近に感じるという、純粋な気分の高揚を疑似的に作り出しているし、彼氏がいるとか、彼氏との何々という、自分の「格」が上がる、その、優越性をも疑似的に楽しんでいる。

 いや、そういうもんだよね。

 具体的な相手がいなくてもいいし、具体的な相手がいてもいい。だけど、具体的な相手は、別に、誰とも定めていない感じで。はい。

 ただ、相手選びには「格」が大事で、憧れ成分多め。だから、「格」は低い相手には興味がない。恋愛の相手として見もしないのだ。

 そして、「格」の高い男を狙ったり、その相手を前にして、恥ずかしがってみたりする。「格」の低い男はホント、お呼びでないらしい。

 京太郎のこと、何とも思ってなかったようにね。

 全体的に、自己愛成分多めで、恋の劇に恋し、恋の劇の自分に恋している感がある。カフカとは違って、恋の相手の妄想はあまり関係ない。ただ、条件を満たしてくれればいいのだろう。

 条件?

 自分の恋の劇が盛り上がる条件。恋する自分に恋できる条件だ。

 だけどさ、翻って、友だちの恋になると、しごく冷静で、相手の打算やいやしさをすぐに見抜いて、友達を守ろうとしている。

 杏奈狙いのナンパイを退ける。ナンパイに利用されそうになっている林子を止める。京太郎が杏奈の相手に相応しいか試す等々。

 何度かもうすでに書いたけど、ホント萌子は友だち想いなんだなぁ。

 そして、自分がハマってる、一対(一)とか、恋の「格」とか、友だちに強要する所がない。友だちは友だちで守るを徹底している。

 友だちを守る。証人型の第三者としてのにゃあは、恋愛観がガチガチの一対一。マジの、マジでないと、本当に許さないって感じの、ね。

 そう。だから、一見、萌子の中で統合されていない感じの、タイミングによる恋愛観の差異というのは、自己愛と友情で説明が可能なのだ。

 恋の劇を、浸蝕型の第三者で楽しむ。それも、自分を中心に。これは、自己愛が強いから。だから、「格」が大切で、気分の高揚と優越性が大事。

 しかし、友情は、証人型の第三者。友だちが大切。友情が強い。だから、マジかどうかが大事で、マジじゃない相手を退け、相手を試す。

 この複雑さは、作者の妙だ。

 思春期は、アンバランスな成長具合が描写の鍵だ。大人な所と子どもな所と両方を併せ持っていて、その移行途中。それが、真相なんだ。

 だから、恋の劇で、自己愛の強さが現れちゃってる所は、子どもっぽいし、友情で、友だちをガチで守ろうとする所は大人っぽいという。

 萌子は人の気持ちに聡く、賢い。学力的にもね。これで、甘々な自己愛の結果、恋の劇に夢中になって、良くない方向に行かなければ…。

 あざとさ、ぶりっこ、そうした打算も、少し痛々しく見える。でも、本人はそれでいいと思ってるんだろうね。モテテクとか、知り尽くしてそう。

3.終わりに

 こう、僕は視野狭窄に陥ってたんじゃないかって、思う。恋愛を語ろうにも、そのキャラクター本人がどうかとか、その周りはどうかって、あまり見えてなかったような気がするんだよね。

 だから、今回は、萌子となるべく正面から向き合って、友だちの話も盛り込んで、にゃあの恋の複雑性を示せたかなって、そう思ってる。

 でもさ、友だちとか、人のことになると、途端に、自分自身に対して思っていることとは、違うことを口走ったり、行動したりするのって、あると思うんだ。

 まぁ、今の僕は恋人も、友だちさえいないからねぇ。

 アルバイト先はおばちゃんばかりだし、恋も、友情も芽生えないっつーの。でも、おばちゃんたちにはホントに優しくしてもらってるよ。

 ちょっとこの記事を書くにあたって、興奮しているとすれば、1×2、つまり、一対(一)×一対多の恋愛の組み合わせを語れたことかな。

 しかし、一対多が一対(一)に向かうって、どうやって?

 この時、どういうのがあり得るんだろうか?妄想女子の妄想を砕きに行くクズ男。スイーツな展開を与えて、身体だけパクリ?何だろうね?

 そう。萌子のことが心配になるとすれば、あの聡さ、賢さが、恋の劇での陶酔で、ノックアウトになっちゃって、クズ男に引っかかって、抜け出せなくなる未来。

 まぁ、実際、表面で泣いてても、心では喜んでいるというね。

 ほら、あるじゃない?DV夫に悩まされている妻にもさ、この人は私がいないとダメでとかで、実は、共依存状態で、妻には、本気で、心の底からは抜け出す気がないって。

 まぁ、いいや。

 次回は、イマジナリー京太郎を扱おうと思う。これ、どうあつかったものか迷ってるんだよね。あの漫画そのものをどこまで扱うか。

 じゃ、今回はこれで。アデュー。


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