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「古俗の祭天」を「明治の大典」にすり替えた明治期発祥の国家神道と皇室神道が抑圧してきた教派神道・民俗神道-過ちを繰りかえす日本会議の「国家神道」観(1)

 ※-1「古俗の祭天」を「明治の大典」にすり替えた明治期発祥の国家神道と皇室神道が抑圧してきた教派神道・民俗神道-過ちを繰りかえす日本会議の「国家神道」観

 本記述の初出は2016年6月4日であったが,その後8年の時間が経った現在でもこの内容についてはそのまま再掲できる。しかし,この再公表に当たっては2024年3月下旬なりに補正・加筆をおこなっている。

 本記述の基本的な問題意識や論及される歴史の事象は,つぎの要点として提示しておきたい。

 ★-1 日本会議の時代錯誤と無知蒙昧,デッチ上げられた明治帝政時代を郷愁する宗教的反動性に,宗教本来の真意義はなかった

 ★-2 日本の古きよき伝統を破壊した日本会議,その明治帝国主義風の幻想的な国家神道路線は時代錯誤であり,百害あって一利なし

 ★-3 皇室にのっとられた「伊勢神宮」,日本国内のみならずアジアの人びとにまで宗教対立をもちこんだ「日本の神社」

 ★-4 古代史風の大型古墳をわざわざ復活させた明治天皇陵,そして同じように孝明天皇陵まで造営した倒錯の「陵墓」思想は,平成天皇の墓(陵墓)もすでに準備されている事実にも継続

 ★-5 敗戦が撃滅させたのはその明治期帝国主義であり,それ以前における大和国ではないにもかかわらず,なぜか〈明治期だけを懐かしがる愚か者たちのエセ神道観〉は,日本古来から伝わる神道宗教ではなく,邪道・異教としての国家神道・皇室神道を,後生大事と妄想しつつも擁護

本記述の基本となる問題意識と議論対象

 

 ※-2 神社宮司が日本会議や神社本庁を批判

 宮島みつや稿「現役の神社宮司が『日本会議や神社本庁のいう伝統は伝統じゃない』『改憲で全体主義に逆戻りする』と真っ向批判」『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』2016年6月1日,http://lite-ra.com/2016/06/post-2296.html を紹介しつつ,前項でかかげた問題意識の方向に沿って議論していきたい。

 補注)なお,以下において最初に言及される『週刊金曜日』2016年5月27日号は,入手する機会(きっかけ)が失っていたが,このような『リテラ』の記事を読んで,購入する気が再度湧いてきた。

 ところが,同誌は同年6月3日の時点ですでに売り切れており,Amazon ではヒトの足下をみたように,定価を大きく上回った値段で売り出されていた。それを買う気にはなれなかったので,地元の公立図書館で借りて読むことにしようとした。

広告をとらない雑誌として有名

 ここでは当時の話となっているが,図書館から借りるにしても,その時は順番待ちの状態であって,実際に手にとるまではまだ日数がかかりそうであった。

 だが,幸い,その『週刊金曜日』5月27日号に掲載された該当記事のうちでも,この記述の関係で参照してみた『リテラ』の記事が,それも要所に当たる文章(段落)を拾うかたちで,議論のなかにもちだしてくれていた。

 ということで本日〔ここでは2016年6月4日のこと〕は,『リテラ』の記事に主に依拠しながらも,事後,入手した『金曜日』の当該記事からの引用も,多少ごた混ぜにした状態で利用するかたちで記述をおこなっている。

 そのあたりに関した識別が必要な箇所は,なるべく途中で断わっておくことにしたが,論旨の流れになかで “要らぬ雑音的な断わり” にもなりそうであった。当方としては,気にしないでおくことにしたけれども,読者にあってはそのあたりについては,悪しからず,ご容赦を乞う。


 ※-3 安倍政権ともつながりが深い日本最大の右派団体「日本会議」が,出版・言論界で注目を浴びていた

 今〔2016〕年5月には,著述家の菅野 完氏がウェブメディア “ハーバー・ビジネス・オンライン” で,昨〔2015〕年2月から連載していた論考を書籍化した『日本会議の研究』が発売。

菅野 完・表紙カバー画像

 ところが,この菅野の本に対しては早速,とりあげられた日本会議側からつぎのようにも報道されていたが,それも異様なまでに反発した動きが起こされていた。

参考画像・記事紹介

菅野 完自身に関しては次項でとりあげる


 書店に並ぶ前から,椛島有三日本会議事務総長の名義で,版元の扶桑社に出版差し止めを要求する申し入れ書が送られるなどし,大きな話題になっている。椛島氏は,菅野氏が同書で日本会議の中枢に座る「生長の家原理主義」の1人として名指しした人物だ。

 言論活動に対して,それが巷間に出る以前から「抗議」と称して差し止めを要求する。これは明らかに言論,出版の萎縮を狙った威嚇行為だ。断じて許されるものではない。

 しかし,日本会議側がいくら圧力をかけても,昨〔2015〕年以降,メディアは日本会議を大きくとりあげるようになった。新聞でもたびたびとりあげられるようになり,追及の動きは止まることはないだろう。

 ここで,途中になるが挿入しておく材料があった。これは,自民極右政権において『陣笠議員の資格さえない』3流の『選良』たち」 としてでも紹介しておくべき「〈日本会議〉などへの関与者を一覧した表」である。菅野 完自身の作成になる表であった。

国家神道は「日本の国教」なのか?
義理や票集めのためにくわわっている議員もいるはず

 以下に,この表に関係したつぎのごとき説明を添えておきたい。

 --安倍晋三内閣(ここでは第2次政権)の閣僚のうち大部分が「日本会議」に名をつらねている事実があった。日本会議という組織については,つぎの点に触れておこう。

  問題の焦点は,「安倍首相も属する 極右団体『日本会議』が政治を牛耳ってる」かの様相さえ呈した,「この国の為政」のイデオロギー的な実体に向けられてよいのである。

 前段に挙げた画像資料は,「日本会議」などに参加している大臣たちの一覧表であったが,第2次安倍改造内閣で松島みどりと小渕優子が辞任したあとの時点での 一覧であった。

 この表のなかには,お付きあい程度での参加者もいると思われる。だが,まさしく安倍晋三政権の極右反動性を如実に表現した面子になっていた点も,事実であった。

 

 ※-4 こうしたなか,最近(当時)目を引いたのが『週刊金曜日』2016年5月27日号の特集「日本会議とは何か」

 この『週刊金曜日』のこの特集には,『証言 村上正邦』などで日本会議のなりたちを記したジャーナリスト・魚住 昭氏や,一水会元代表の鈴木邦男氏,右派の歴史修正主義等を研究してきた能川元一氏などが寄稿しているのだが,とくに注目したいのが,現役の神社宮司である三輪隆裕氏へのインタビュー記事であった。

 補注)三輪隆裕は自身のブログ中で,「国家神道の成立とその背景」という論題になる〈韓国におけるIARF世界大会の講演原稿〉(初出,1996年4月26日)を公表していた。このなかに三輪の基本的な考えが表明されている。この主張にういても,のちに参照する。

 註記)三輪隆裕「国家神道の成立とその背景」『青洲山王宮日吉神社』2013年1月26日,http://hiyoshikami.jp/hiyoshiblog/?p=66 

 三輪隆裕の主張は全文を引用することにしたが,たいへん有益で勉強になる解説を与えていた。一読の価値があるゆえ,つぎに紹介する。本日のこの記述もだいぶ長文になっているが,面倒でもつづけて読んでほしい。

 --三輪宮司は愛知県・清洲山王宮日吉神社の神職56代。周知のとおり,全国約8万社の神社を統括する宗教法人「神社本庁」は日本会議と密接な関係にあり,神社本庁統理や神宮代宮司らが顧問として日本会議の役員に名を連ねている。

三輪隆裕ブログ紹介
本文の記述とは直接関係はないもの


 だが,三輪宮司のこのインタビュー(その紹介は後段になる)を読むと,神社界全体が日本会議の推し進める “戦前回帰” 的な運動に賛同しているわけではないことが,はっきりと伝わってくる。

 補注)神社本庁に関する解説文として,公益財団法人日本宗教連盟に紹介されている「神社本庁との同文」を,つぎに紹介しておく。

 神社本庁は,伊勢の神宮を本宗と仰ぐ全国約80,000社の神社を包括する団体として,昭和21〔1946〕年2月3日,全国神社の総意によって設立されました。

 昭和20〔1945〕年,我が国が連合軍のポツダム宣言を受諾し終戦を迎えた後,進駐してきた連合国軍総司令部は矢継早に日本改造に着手,その一貫として昭和20年12月15日に「神道指令」を発し,神社の国家からの分離を命じました。

 そのため神社界は,当時民間の神社関係団体であった皇典講究所・大日本神祇会・神宮奉斎会の3団体が相寄り,短期日のうちに占領行政に対処し,新たに「神社本庁」を設けて,道統の護持にあたることになりました。

 神社本庁の目的は,包括下の神社の管理と指導を中心に,伝統を重んじて祭祀の振興や道義の昂揚をはかり,祖国日本の繁栄を祈念して,世界の平安に寄与することにあります。こうした活動をさらに充実させるとともに,神道や神社に関する正しい認識を提供してゆくことが,一つの使命と考えております。

 また,神社本庁は地方機関として各都道府県に神社庁を置いています。神社庁は神社に関する事務をとるほか,地域活動の振興をはかる仕事をしています。神社本庁では,神社に関すること,お祭りに関する疑問などの問合せも受け付けております。

神社本庁のいいぶん

 ここで疑問を提示しておく。はたして,神社本庁が「伝統を重んじて祭祀の振興や道義の昂揚をはかり,祖国日本の繁栄を祈念して,世界の平安に寄与すること」を,実際におこないえていたかといえば,完全に嘘である。

 明治以来,日本の神社は,それもとくに国家神道と皇室神道は帝国主義路線と抱合しつつ,いうなれば,政治志向的に発展させられてきた。

 その宗教路線の「真の(?)意味」は,日本における古来からの神道からは大きく外れた,いわば,異端そのものだったと位置づけられて当然の,それも「明治近代に由来した〈畸型の新神道〉」にみいだせた。

 しかも,その神道外的だったと形容してよかった宗教的特性,これをさらにいいかえれば,政治からただに多大な影響を受け過ぎて発生させた異様な宗教的な権威性は,結果的には,日帝の敗戦を契機にせざるをえなかったにせよ,その「国家神道と皇室神道」の神聖性のあり方に大転換を迫られることにあいなった。

 それでもなお,21世紀のいまごろにもなっても,いかにも宗教的な普遍性を具有させえているのが,神社本庁が定義(理解し観念)する神道だと,つまり綺麗事に変調させたうえで,厚かましくも唱えていた。

 しかもそのいいぶんの中身は,本当のところ,虚偽そのものであったところに重ねたかたちを採ってだが,敗戦以前の「国家的・皇室的な異界における神道」のあり方が,まったく無反省のまま,21世紀になってもそれをさらに押し通そうとする無神経まで披露されていた。

 国家神道とか皇室神道に固有の資性となったごとき「宗教的な無節操さ」は,まことに始末に悪い「神道としては外道」であって,その国家神道ならびに皇室神道の「行儀の悪さ」,そして「道徳・倫理感の欠落ぶり」は,一般的な神道「本来の宗教精神」とは,完全に無縁になっていた。
 
 要するに,この国に大昔から存在しつづけてきた教派神道・民俗神道に向かって,あたかも異界(魔界?)から飛びこんできたような,より正確にいえば「江戸末期から明治時代に生成してきた」国家神道や皇室神道は,まさしく帝国主義路線から「鬼子のごときに登場してきた」「国家神道および皇室神道」であった。

 それでいながら,国家神道や皇室神道が「日本の神道界全体」を代表できるかのように虚説する宗教的なイデオロギーは,しょせん,お門違いの方途へ迷走せざるをえない無教説・無教理の立場(無立場?)を,バカらしくもかつおこがましくも自己表明してきた。

 つまり,以上のごとき「国家神道・皇室神道」に対して向けた批判は,「虚説を事実である」かのように騙りたがる〈事実無根の便法〉を駆使してきた,それも明治謹製でしかありえなかったこの「国家神道・皇室神道」の満天のごとくに広がる虚偽のイデオロギー性を問題にしていた。

 前段で若干ふれてみた「神社本庁の説明方法」は,歴史の事実(真相)に照合するまでもなく,大きな間違いであった。

 ※-5 三輪宮司は,冒頭から “日本会議は「皇室と国民の強い絆」が「伝統」だと主張しているが” という『週刊金曜日』の質問に対し,こう答えていた

 「いや,それは『伝統』ではありません。江戸時代にはごく一部の知識階級を除き,『京都に天皇様がおられる』ということを庶民がしっていたか,はなはだ疑問です」

 「本来神社とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので,この日吉神社でいえば,江戸時代は氏神の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました」

 明治になって,日本という統一国家ができたので,その象徴として『天皇』を据えたのです」

 註記)『週刊金曜日』2016年5月27日,1089号,20頁。

 補注)われわれは,日本の宗教史における神道の歴史の位置づけをきちんと理解しておく必要がある。たとえば,こういう事件が明治時代に起きていたが,これは明治帝政にとって都合の悪い「神道認識」を学問的に抑圧しておき,真実を歪めるために,支配権力側が行使した専制力の発動であった。

       ◆ 久米邦武の『神道は祭天の古俗』◆

久米邦武筆禍事件(くめくにたけ・ひっかじけん)とは1892〔明治25〕年,久米邦武の論文「神道ハ祭天ノ古俗」が,田口卯吉が主宰する『史海』に転載されたのをきっかけに問題とされ,久米が帝国大学教を辞職させられた事件である。

 この問題は,学問の自由(とくに歴史学)と国体とのかかわり方について一石を投じ,政治に対する学問の独立性及び中立性を考えさせるものになった。

 つまり,明治政治史のなかで構想〔=夢想〕された「日本の国体」思想を,学術的に否定・損壊させるほかない論文を権柄尽くでもって抑えこみ,黙らせた事件であった。

 歴史の事実ではなく,明治帝国主義にとって都合の悪い学問を弾圧した事件,それがこの久米邦武筆禍事件であった。

 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/久米邦武筆禍事件 参照。 〔 〕内補足は引用者。

久米邦武『神道は祭天の古俗』

 久米邦武筆禍事件はいうなれば,

 明治政府の古代史疑似的な「神武創業」というデッチ上げ的なリバイバル路線,より具体的には日本を近代化・産業化させるための富国強兵・殖産興業にとって必要とされた「国営宗教としての国家神道」を否定することになった学術研究,その識見の公表を,真っ向から破砕した事件であった。

 類似の事件としては喜田貞吉が南北朝問題で詰め腹を切らされていた。問題は明治末期の話題となっていた。

 当時の歴史学界においては,南北朝時代に関して『太平記』の記述を,ほかの史書や日記などの資料と比較する実証的な研究がなされていた。そして,これにもとづいて,1903〔明治36〕年およびび1909〔明治42〕年の小学校で使用されている国定教科書改訂のさい,「南北両朝は並立していたもの」として書かれていた。

 ところが,1910〔明治43〕年の教師用教科書改訂にあたって問題化しはじめ,とりわけ大逆事件の秘密裁判での幸徳秋水の発言が,これに拍車をかけた。秋水は法廷でこう喝破した。

 「いまの天子は、南朝の天子を暗殺して三種の神器をうばいとった北朝の天子ではないか」 この発言が外部へもれ,南北朝正閏論が起こったのである。

 1911〔明治44〕年1月19日付の読売新聞社説は,こういう社説をかかげた。「もし両朝の対立をしも許さば,国家の既に分裂したること,灼然火を賭るよりも明かに,天下の失態之より大なる莫かるべし。何ぞ文部省側の主張の如く一時の変態として之を看過するを得んや」

 「日本帝国に於て真に人格の判定を為すの標準は知識徳行の優劣より先づ国民的情操,即ち大義名分の明否如何に在り。今日の多く個人主義の日に発達し,ニヒリストさへ輩出する時代に於ては特に緊要重大にして欠くべからず」

 これを機に南北朝のどちらの皇統が正統であるかをめぐり,帝国議会での政治論争にまで発展した(南北朝正閏問題)。

 この問題をめぐっては,野党立憲国民党や大日本国体擁護団体などが当時の第2次桂内閣を糾弾した。このため,政府は野党や世論に押され,1911〔明治44〕年2月4日には帝国議会で南朝を正統とする決議をおこなった。さらに,教科書改訂をおこない,教科書執筆責任者である喜田貞吉を休職処分とした。

 最終的には『大日本史』の記述を根拠に,明治天皇の裁断で三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされた。南北朝時代は南朝が吉野にあったことにちなんで「吉野朝時代」と呼ばれることとなった。それでも,田中義成などの一部の学者は「吉野朝」の表記に対して抗議している。

 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/南北朝正閏問題 および https://ja.wikipedia.org/wiki/幸徳秋水 参照。

 以上の解説のなかでは,北朝を正統としていたはずの明治政府であったものの,この天皇睦仁の裁断によって「三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされた」という,実に珍妙な結論に至っていた事実が指摘されている。

 つまり,『三種の神器を所有する者』が『正統の朝廷の主』であると認定されうると判定していた。それも,明治天皇自身(「判断される対象である」はずの人物)が,みずから結論を下したというのだから,話はややこしくなるという以前に,まことに〈珍奇〉な結論が出されていたことになる。

 事実,神社本庁が「本宗」として仰ぎたて,安倍首相がサミット開催地にゴリ推し(過去記事参照)して,各国首脳に訪問までさせた伊勢神宮ですら,明治になるまで一度も天皇が参拝したことはなく,

 とくに江戸時代に庶民のあいだでブームとなった伊勢参りは,皇室への信仰心によるものではなく,豊作を願ってのもので,今風にいえば「人気の “観光スポット” 」という意味合いが強かった。

 しかし,明治維新という “軍事クーデター” によって樹立した明治政府は,それまで民間の信仰であった神社神道を,天照大神を内宮に祀る伊勢神宮を頂点とする「国家神道」に組み替えた。

 この神話的ヒエラルキーのもと国民を〈天皇の赤子〉として支配しようとしたのだ。その結果が,「世界無比の神国日本」による侵略戦争の肯定・積極的推進であった。先日逝去した歴史学者・思想史家の安丸良夫氏も,著書でこのように書いている。

 伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は,一見すれば祭政一致という古代的風貌をもっているが,そのじつ,あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を求めて,国民の内面性を国家がからめとり,国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。

 そして,それは,復古という幻想を伴っていたとはいえ,民衆の精神生活の実態からみれば,なんらの復古でも伝統的なものでもなく,民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された,あらたな宗教体系の強制であった。

 註記)安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書,1979年 参照。

 

 なお,本書,安丸良夫『神々の明治維新』を読むと実は,われわれがこの程度の知識でさえ「日本の神道の概要(歴史と実態)」についてしらないまま,日本会議のように,非合理主義・反知性主義の立場から宗教的次元において無理難題を押し通させている空間を提供してしまう結果(現状)になっている。

 この「狂信的な国家神道主義」を許すような日本社会であれば再び,19世紀的な封建的な宗教観念が大手を振って闊歩しかねない世の中が出現させられるかもしれない。

 その意味でも日本会議に対しては,あらためて十分に知識をえたうえで用心しつつ,批判をくわえておく必要がある。ただし,このことに気づくことに,それほどむずかしい勉強はいらない。

 神道関係の著作はいくらでも公刊されており,安丸良夫が解説している日本神道史の断絶,いいかえれば明治維新によって全面的に歪曲されつくしたその古代からの伝統が,本来(古来より)どのような特徴のものであったのかを勉強できる。

 われわれが住んでいる近隣には,国家神道でも皇室神道でもない『日本伝統の各種神社』が豊富に点在する。国家神道・皇室神道こそが本当は,明治維新を契機に以後において登場させられた,それも帝国主義を宗教的に修飾し,推進するための神道として悪用された,いわば新興宗教であったその「歴史の事実」を的確に認識しておくべきである。

 ここでいったん,つぎのごとき傍論的話題を入れておく。

NHK-2016年6月4日放送

 NHK総合テレビ, 2016年6月4日(土) 午後 7:30~午後 8:15(45分) に放映されていた『ブラタモリ #40 伊勢神宮』(【出演】タモリ,近江友里恵,【語り】草彅剛)を,うまい具合に同日の夜に(このブログが公表した日の夜ということ)視聴できた。来週(6月 11日)も伊勢神宮の続編が放映されると予告していた。

 そのときの『ブラタモリ #40 伊勢神宮』の番組内容は,こう解説されていた。明治以降の関連史にはほとんど触れない内容であった。

 ブラタモリ,ついに伊勢へ! 伊勢神宮を中心に年間800万人が訪れる伊勢は江戸時代からの人気スポット。今も昔もなぜ人は伊勢をめざすのか? その謎にタモリさんが迫る!

「詳 細」 2回にわたって伊勢の秘密を解き明かす第1回目。まずは伊勢神宮の内宮を訪ねたタモリさん,地形に隠された意外な事実を発見。なんと御本殿はタモリさんが大好きな「河岸段丘」の上にあった?

 続いては20年に一度,すべての社殿を一新するという伊勢神宮最大の神事「式年遷宮」。でもなぜ 20年に一度なのか,その答えは “すき間” にあった? 1300年にわたって受け継がれる,伊勢神宮ならでは建築技術にタモリさん大興奮!

 註記・出所)http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2016-06-04&ch=21&eid=15267&f=1081 画像もここから。

『ブラタモリ #40 伊勢神宮』

 なお「20年ごとの遷宮」に関する解答は,この答えだけでは不十分である。もっと,基本の問題を明かしておく必要がある。

 昔から採っていた社殿の建築方法に,その理由があったのである。土台(基礎)部分の構造物を造らず,柱をじかに地面に突き立てる構造(工法)である。だから「20年しかもちにくい」だけのことである。

 ただし,それが古式からの「なにか意味のある」すばらしい伝統だと決めてある(宗教的に観念し,約束している)ので,「そうしているだけ」の話であって,建築の歴史に進歩があるかぎり,建築のしかたがもっと合理的に工夫されていけないとは限らない。

 適当にいっておくが,基礎の部分だけでも修正すれば,百年でも2百年でももつはずである。ところが,けっして「そうはしない」ところに,「この神宮の神秘なる〔真新しい!〕伝統がある」というふうに,その意義づけをしてみるのも一興……。

 ぶっちゃけた話,ただ,それだけのことである。ここでは,それ以上の批評はしない。また,遷宮できない時期(戦国時代)もあった事実も付言しておく。
 
 参考文献)井上章一『伊勢神宮と日本美』講談社(学術文庫),2013年。なお本書は,文庫版ながら本文661頁の大冊。

〔ここでだいぶ前段の記事本文:三輪宮司の話に戻る ↓ 〕
 国家神道は日本の「伝統」でもなんでもない。もともと,日本の神社は寺と不可分だった(神仏習合)が,明治政府は神仏分離令(1868年)によって神社から仏像や仏具を撤去するなどし,神道を仏教の上に無理やり位置づけようとした。

 この神仏分離令は一部で廃仏毀釈と呼ばれる激しい寺院・仏教の排斥運動を呼びこんだが,こうした点について三輪宮司は『週刊金曜日』で,「明治政府は文化と宗教の破壊者です」と強く批判。

 そして,明治政府の「国家の宗祀」理論や「教育勅語」についても,「このように一つの価値観と規律で国民をしばる,などという発想は,多神教の神道にはありません」と一刀両断している。

 さらに批判は神社本庁にも及ぶ。三輪宮司は,国家神道が神道の歴史ではきわめて特殊であることを「いまの神社本庁には理解できないのですね」といい,このように解説するのだ。

 「戦後,占領軍の『神道指令』で国家神道は解体されました。その後,神社は生き残るために宗教法人・神社本庁として再出発しますが,当時の神道界のリーダーは,ほとんど明治時代に神主になった人だったため,それ以前の本来の神道ではなく,明治政府が作った神道が『伝統』だと思ってしまった。その感覚が,戦後70年経ってもまだ残っているのです」(以上,前掲『週刊金曜日』20-21頁より)。

〔順序がこみいっているが,内容本意で読んでもらえると好都合である。つぎの段落は『リテラ』からの引用する段落になっている ↓ 〕
 実際,神社本庁は「伝統」の御旗のもと,機関誌「神社新報」で新たな憲法を制定して軍の「統帥権」を天皇に帰属させるべきだという主張すらしている。これは大日本帝国憲法で明文化されていた,すなわちどう考えても「近代的」なシロモノ。

 要するに神社本庁は,偽りの「伝統」を振りかざして,戦中に軍部が暴走した反省から日本国憲法に記した「文民統制」すら廃止すべし,といっているわけだ。

 補注)明治維新が成るに当たっては,偽勅を捏造したり錦の御旗を勝手につくって使ったりして使っていたのが,岩倉具視などその後において明治政府の中枢部を担っていく人物たちであった。彼らは〈政治工作=策術・陰謀〉の優れた担い手であった。この事実も,歴史研究家がすでに鮮明に説明してくれている「歴史の事実」である。

〔再度『リテラ』記事本文に戻る→〕 このことひとつとっても,神社本庁のいう「伝統」は単なる政治的装置でしかないことは自明だが,さらに三輪宮司は,神社本庁や日本会議が憲法に組みこむことを求めている「伝統的家族観」の復活や,2012年の自民党憲法改正草案にも含まれているいわゆる「家族条項」の本質についても,このように喝破している。

 「家族主義というのは,せいぜい通用するのは家庭内とか友人関係,つまり『顔』の見える範囲の社会です。それを国家のような巨大な社会まで拡大したら,危険ですよ。(略) 家族主義を国家まで拡大すると,権威主義や全体主義となります」

【参考画像】-三土修平が作成した参考になる画像資料を挙げておく-

「大枠の三角形」が大日本帝国を現わす

21世紀のいまになってもこう構図のなかに
国民たち全員を押しこもうとする
特定の人間たちがいる

LGBTに反対する観念もこうした図解に
関係している事実に注意したい

 『良いリーダーのもとに素直な人びとが結集して良い社会を作る』。これが一番危険です。戦前のファシズム,あるいは共産主義もそうです。カルト宗教なんかも同じです。いまのイスラム原理主義もそうです。民族派の人たちが主張するような社会になったら,また昔の全体主義に逆戻りしますよ」

 三輪宮司は,改憲について「日本の独自性とか,妙な伝統とかいったものを振りかざして,現代の人類社会が到達した価値を捨ててしまう可能性があるような憲法なら,変えないほうがよい。日本会議の改憲案は世界の共通価値と離れ,時代錯誤の原理主義と権威主義に満ちている」と語る。

 神社本庁は目下,日本会議と連携して改憲運動を活発化させており,今〔2016〕年の年始にも傘下の神社の一部で改憲賛成の署名運動を展開していたが,三輪宮司によれば,「ほとんどの神社の宮司は,本庁から書類が来ているのでそのようにしているだけ」という。

 事実,本サイトの記者が年始に都内神社を取材し,職員に聞きこみをしたさいには「神社庁のほうで決まったことで……」との答えが複数聞かれた。

 要するに,神社界全体が,いや,たとえ神社本庁の傘下の神社であったとても,けっして日本会議らが企む明治復古的な改憲に諸手を上げて賛同しているわけではないのだろう。

 むしろ,三輪宮司が『週刊金曜日』で解説しているように,国家神道が “偽りの伝統” であることを熟知している宮司や職員の多くは,安倍政権による改憲に内心危機感を覚えているのかもしれない。

 だが,神社本庁は近年,個別の神社の人事に対して強権的な介入を繰りかえすなど「傘下神社への締めつけを強化している」(全国紙社会部記者)との声も漏れ伝わってくる。

 参院選後に安倍首相が着手するとみられる憲法改悪の前に,1人でも多くの神社関係者が日本会議,神社本庁に反旗を翻して欲しいが,残念ながらそう簡単にはいきそうにないだろう。

 註記)以上『リテラ』本文を中心に『週刊金曜日』の記事も混融させての記述だったので,参考文献の指示においていくらか分かりにくい前後関係が生じていた。しかし,論旨の流れとしては,註記関係そのものはひとまず除外して読んでもらって,なんら支障はない。


 ※-6「籠池〔泰典〕が役員 関係取りざた いらだつ日本会議」『朝日新聞』2017年4月12日の記事を紹介

 つぎの記事はいまから7年前に報道されたものであるが,安倍晋三と一時期親密になった籠池泰典・詢子夫妻(現在はなぜか服役中で,刑務所のなかに放りこまれている)に関係していた。

 安倍晋三の第2次政権時代に「森友学園問題」が大きな話題を日本社会に提供していた,その過程において浮上したひとつの記事である。いずれにせよなにかとお騒がせばかりであった「世襲3代目の政治屋」のせいで,この日本という国は,トンデモにも「衰退途上国」化させられた。

日本会議? なにを謀議?


【参考記事】
-以下の記事のなかで出てくる明治神宮は,現在,神社本庁から脱退している。

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【付記】 「本稿(1)」の「続編(2)」2024年3月29日は,つぎのリンク(住所)である。

  ⇒ https://note.com/brainy_turntable/n/nb65328786169

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