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自民党政治の腐敗・堕落の問題に並行させて北朝鮮拉致問題を想起してみる話題

 「パー券裏金問題の仕組」を作った元兇,老害政治屋の森 喜朗がいまだにのさばっている。安倍晋三を育て,萩生田光一を増長させた日本の自民党政治は,いまや完全なるダメ現象だけを演じる段階にはまりこんだが,このときだからこそ,安倍晋三が政治利用だけしてきた「北朝鮮による日本人拉致問題」を再考する意味がある。被害者となった1人蓮池 薫についても,いまいちど詮索を重ねてみる必要もある。

 付記)冒頭の『X』(『ツイート』)は2023年12月14日。

 ※-1 日本政治の後進性-森 喜朗だとか安倍晋三がのさばってきた4流未満の政治の未熟さ,「衰退途上国」といわしめる素因を提供してきた「これら粗忽者たち」-

 2000年4月5日の出来事であったが小渕恵三首相が急死したとき,自民党の一部幹部議員たちの謀略的な操作で首相の座を盗みとった森 喜朗が,その後における世論調査ではさすがに,内閣支持率でなんと9%という記録を出していた。

 2000年末で9ヵ月を迎えていた当時の森 喜朗内閣は,同年12月には16.8%の内閣支持率まですでに低下していたが,それからさらに一桁台の支持率をたたき出すごとき,まことに不名誉な首相として有名になっていた。

 補注)現在の首相岸田文雄の場合は,『時事通信』による最新の世論調査(2023年12月)が17%という低率まで出した。

『時事通信』2023年12月世論調査「結果」記事

その誕生からして密室性を指摘され,正当性すら問題視されつづけ,支持率も “ジリ貧” 状態を続けていた当時の森内閣は,自民党政治のもっとも恥ずかしい特徴を剥き出しにする,世論調査の記録を残していた。

 ところが2023年この12月になってもまだ,この森 喜朗(1937年7月14日,86歳)は,政界のドンのつもりかフィクサーのつもりかしらぬが,自分の弟子筋に相当していた,あの不肖の「世襲3代目の政治屋」(森もこの「政治屋:範疇」に属する1人だが)だった「安倍晋三の第2次政権」以降においても

 金権政治の腐朽体制を維持・浸透させるごとき「影の指導」に専念してきたらしく,この12月になるや,岸田文雄政権の体たらく為政に対して,検察庁東京地検の大々的な捜査が進行しだしていて,ここ数日中には逮捕者が出そうな雲行きだと,その情報にくわしいジャーナリストは指摘している。

森 喜朗や安倍晋三の為政のなれのはてが……

 森 喜朗は現職議員でもないのに院政をきどってなのか,東京地検の捜査が進展している最中にも,とくに旧安倍派なる派閥に所属する主要議員たちに対して「ああしろ,こうしろ」と,電話による指導を必死になって試みている。

 「今回におけるパー券裏金作り問題」をめぐって森 喜朗は,とくに安倍派(99人)のなかから逮捕が出そうな近似中の情勢のなかで,それも,以前から自身が大きな影響力をもっている幹部級の人物たちが,その対象に予想されているからには,心中穏やかではいられない気分である。

 今回におけるそのパー券裏金作り事件は,リクルート事件以来の大汚職疑獄事件だと形容する人もいる。安倍晋三の第2次政権以降における「この国の〈政〉の腐敗・堕落ぶり」は,目も当てられないくらいひどかった。

 安倍晋三の圧政・横柄な抑圧行為は,検察庁の内部管理秩序にまで及んでいたのだから,この国はこの「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」だけがとりえであったこの「世襲3代目の政治屋」のために,完全に政治3流どころか,4流未満とまでいわねばならないほどダメになってしまった。

 補注)1988年6月18日に発覚したリクルート事件は,日本の汚職事件として有名である。 リクルートの関連会社であり,未上場の不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株が賄賂として譲渡され,贈賄側のリクルート関係者と,収賄側の政治家や官僚らが逮捕され,政界・官界・マスコミを揺るがす大不祥事となった。

 リクルート事件の場合はこの会社の経営者が事件を発生させる中心にいたが,今回における「パー券裏金作り」問題は,自民党議員たち自身がこの問題の枠組を創造していた。政治資金は「国からの補助金,政治献金,資金パーティ」の3つに分類されるが,今回は政治資金パーティの利用方法にそもそもの問題が発生していた。

 2022年7月8日,安倍晋三が統一教会の「宗教2世:山上徹也」に銃撃され命を奪われた。それ以来,日本の自民党政治はこの殺人事件を転回点にしてようやく,やっとまともな方途に向かいうる契機をえられたといっても過言ではない。

 いまごろ,2023年12月中旬にもなってだが,森 喜朗が創設し,小泉純一郎や安倍晋三が育成してきた「自民党式のパー券裏金作り問題」は,日本の政治が後進性に停頓するほかない〈裏事情〉を教えた。いいかえると,日本の政界は金券政治を基本にうごめいてきた実情は,前近代的な特徴を抜きがたく抱えている事実そのものとして,このパー券裏金作り問題を介してごく自然に披露されていた。

 しかも,この「政治(?)資金作りのカラクリ」は,本来の政治運営そのもののために充てられる「おカネ」の調達にために使われるのではなく,政治屋たちの私服を肥やすために悪用されていた。その結果,この国の政治のありようが「後進国的に堕落・腐敗している実情」にある事実を,裏づけることになる「その仕組と利用のあり方」を具体的に顕現させていた。

 こうした日本国になっていたのだから,いままでのような「政治の私物化(死物化)」ばかりが跳梁跋扈するのは,あまりにも当然であった。民主主義の根本原理がよりまともに働くような政治活動基盤など,ほとんど形成も構築もされていなかったのは,また自然のなりゆきだったと観るほかない。

 いつしかからか記憶は定かではないが,日本の政治家(主に国会議員たちを指すが)は,そのほとんどが「いまだけ,カネだけ,自分だけ」の政治意識しかもちあわせず,政治家としての基本的な任務を抱こうとする自覚じたいが希薄であった。それゆえか「政治資金パーティ」が盛んに開催される慣行は,これが「汚いおカネ」を逆ロンダリング的に生むための仕組として,大いに利用できたからであった。

 この「仕組:カラクリ」を創設したのが森 喜朗だったというから,あの「サメの脳みそ」と酷評された人物が,余人にはとても想像しにくい「打ち出の小槌」としての「政治資金の捻出方法」を造りあげていたことになる。

 岸田文雄政権の「現在:今日」「2023年12月15日」は,昨日に国会を閉会した直後であるだけに,検察庁の手がどこまで,誰をねらって捜査しているか,とくに自民党の各派閥に所属する議員,なかでもすでに逮捕されるのではないかと予測が飛びかっている者たちは,いま戦々恐々である。

 2012年12月26日に発足した安倍晋三「第2次政権以降の7年と8カ月」,そして,この政権の体質をそのまま引き継いできた菅 義偉と岸田文雄の2つの政権が,現在までとなるから,早11年間も自民党〔と創価学会公明党という「下駄の▼ソ政党」との野合〕政権がつづいてきたこの日本国は,だいぶ以前から「トコトン腐りはてた」というほかない体たらく,換言すると,その間ずっと,異臭・汚汁を垂れ流しながらの為政を〈堅持〉してきたことになる。

 21世紀のここまで,その流れのなかでとくに悪質をきわめていた政治屋の1人が,ほかならぬ森 喜朗という存在であった。若い時代は早稲田大学ではラグビー枠をもらい,商学部2部に入学させてもらった。だが,このラグビーではなにも活躍できなかった。

 政治家になったところで,勉強を一生懸命にしてきたかのような雰囲気は,いっさい感じさせえない御仁であった。しかし,銅臭には関してのみは格別に鋭敏な臭覚が利く人物であった。

 この森 喜朗自身が,「後輩の政治屋」として目をかけたのが安倍晋三であった。晋三は,成蹊大学の法学部に入学したけれども,著名な憲法学者の名前もしらないまま卒業していても,しばらくすると,森 喜朗と同じように「世襲3代目の政治屋」としてだからか,政界にデビューできていた。

 以上のごとき「世襲3代目の政治屋」がつぎつぎと日本の総理大臣なったからには,この日本の政治がよくなるわけなど皆無であった。森 喜朗はさらに,高校時代は朝鮮高校(正確には高級学校)の生徒と乱闘騒ぎを起こす元気さを気に入ってなのか,萩生田光一のような人物を取りたてては,安倍晋三亡きあとのこの安倍派の頭目に据えさせたいとまで妄想した。

 だが,そのもくろみは,今回の「パー券裏金作り問題」じたいの政治事件化によって,いわば完全に「パー」になった。

 

 ※-2 本日のこの記述における話題は「安倍晋三の北朝鮮観」にも反映されていた「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」も意識している

 最近であるが急に,アンミカへのヘイト発言に相当する出来事が登場していた。その記事は「《どん兵衛CM》アンミカ『密入国者を使うな』」に本人困惑,デマが広がった背景にあった『再現VTR』」『NEWSポストセブン』2023.12.12 18:10,https://www.news-postseven.com/archives/20231212_1927297.html であるが,この話を聞いていると,例の杉田水脈の少数民族差別発言を思い出した。

 杉田の発言は,アイヌや朝鮮民族への侮辱的な投稿(発言)をしていた問題であり,札幌の法務局に続いて,大阪の法務局からも『人権侵害の認定』を受けていたが,このアンミカへの差別的な発言を投じた東京都港区の新藤加菜港区議(30歳)は,杉田に精神的によく似た発想をしていた。ここではくわしく論述できないが,とりあえず,つぎの関連する記事からのみ引用しておく。

 新藤区議は〔2023年12月〕8日,人気カップ麺の公式アカウントが投稿したCM動画を引用して「密入国者〔アンミカのこと〕をCMに使う企業は許されて,トランスジェンダーの問題を指摘した本は出版停止に追いこまれる世の中,ホントに嫌だ。キモすぎ」と投稿。

 このCM動画には韓国出身の女性タレントが出演していた。この投稿に「密入国者って誰のこと? それは事実なの?」「公人ならば『密入国者』というご自身の発言について根拠を示すべきですね」「もう議員辞職以外の道は無いように思う」と疑問や批判が殺到し,炎上状態となった。

 補注)ところで,アンミカの出自について単に韓国出身というのはほとんど誤解,そうでなければ不正確そのものであった。出自というコトバの理解にも関連する問題である。ウィキペディアにもアンミカの解説が出ていたが,これを読めばすぐに分かる関連の事情もある。

 以上の問題発言を取り上げた中日スポーツの記事に対し,新藤区議は9日,自分を擁護する「ヤフコメ」のスクリーンショットを添付して「ネットの声を偏向報道する中日スポーツめ」と反論。さらに「密入国」の根拠を棚に上げ,記事中の自分の写真について「3年前の写真を使ってる。中日スポーツって化石新聞かなんかか?」と謎の論理を展開した。

 さらに10日,自分をかばう他のユーザーに返信するかたちで「そうなんですよね。本人が話されたことにもとづき判断しているのであって,そもそも非公式な手段である密入国の証明なんて出せるわけない」と投稿し,「密入国」の事実を証明できないことを認めた。一方で「本人が話されたこと」の詳しい内容や情報源は明示していない。

 この一連の対応が,火に油を注ぐ結果に。Xでは「最初から裏付け取れないの分かっていて企業活動の妨害をしたんですか?」「『本人が話した』という証拠を出しましょう」「ヤフコメみて政治するって本当にレベル低いなこの区議」などと非難が集中している。(引用終わり)

 この港区議:新藤加奈のいいぶんは聞きようにもよるが,だいたいからして支離滅裂。民族差別ギリギリとなるほかない「好き勝手な発言」に,自分自身では気づいていない。というか,港区議という立場であるかどうかにかかわらず,トンチンカンというかアンポンタンな脳細胞の造りが示唆されていたようにも,強く感じさせる「稚拙な発言」が目立つ。

 

 ※-3 蓮池 透 ✕ 辛 淑玉『拉致と日本人』岩波書店,2017年を読んで

 本ブログ筆者はいままで,この蓮池と辛『拉致と日本人』2017年という本はなんとなく記憶に残っていたが,未読であった。最近,なんとはなしに,読んでみようという気になって,アマゾン通販で 550円(定価は 1700円 +税)で調達した。昨日,出がけた途中の電車のなかで読みはじめた。読了してから感じたのは,対談本にしてはけっこう上出来に仕上がっていたという点であった。

 蓮池 透と辛 淑玉の2人が,対談形式の議論としてだが,かなりしっかりた,実のある議論を展開している。ただし,この本を読むことになったきっかけは,本ブログ内でつぎの記述をしていた事情があった。

 古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』第三書館,2011年という本があった。本ブログは,この古川の語った話題について,つぎのふたつの記述を今年(2023年)の5月段階で公表していた。

 ▼-1「北朝鮮拉致問題(1)-蓮池 薫は拉致加害者でもあったのか-」2023年5月30日 10:14,https://note.com/brainy_turntable/n/nc044c90f3a0f

 ▼-2「北朝鮮拉致問題(2)-蓮池 透の問題認識が変化した事情など-」2023年5月31日 11:32,https://note.com/brainy_turntable/n/nadb33fa3abdc

 この2回に分けて公表した記述は,古川の本がつぎの画像資料(その本の表紙カバー画像)に記されている疑問点が,蓮池兄弟の口からはいっさい語られていなかった「事実」となって,どうしても生じざるをえなかったからであった。

古川利明『〈さるぐつわ〉の祖国』表紙カバー画像

 兄の透はともかく,実際に拉致されてしまい24年間も北朝鮮に閉じこめられていたはずの弟の薫が,この古川の本に書かれているとおりに事実としてかかわっていたとしたら,すなわち,その24年間のあいだに薫は,北朝鮮の工作員となって「日本に潜入し,みずから日本人を誘拐する任務を果たそうとしていた行為」を「実戦していた」ことになる。

 前段のようなその疑問については,「薫・関連のことがら」としてだが,仮に古川が指摘するとおり事実であると受けとってみれば,こう述べることが可能である。

 薫自身が,たとえ北朝鮮に拉致・軟禁状態にあった24年間においてであっても,自分のかかわっていた事件として指摘されていた1件を,自身が拉致されていた時代において関与していた出来事=経歴のひとつとして語ることができないとすれば,古川の本が提示した薫に関する疑問は解けるわけがなかった。

 以上の指摘は古川側の指摘が絶対に事実だという解釈で述べるものではない。そのあたりの事情についてはさらに,古川の本や前段の本ブログ筆者の記述を読んでもらうことを希望するが,蓮池と辛『拉致と日本人』2017年のなかにもむろん,そうした疑問に関係する文言はひとつも出てこない。当然である。もしもそれがあったとしても,これだけは絶対に語れない。

 以上のごとき疑念を示したら,「なかった事実」を「あった事実」として書くなと怒られるかもしれない。しかし,北朝鮮のなかに誘拐されて,つまり実質幽閉されてしまい,24年間もその監獄のような国家のなかで生き抜いてきた薫であった。薫自身が書いて公刊した本のなかでも的確に言及していたように,北朝鮮の政治社会においては,自分を完全に適応させていかねば生きていけない点を学習していた。

 蓮池・辛『拉致と日本人』から,そのあたりに関して発言のあった「北朝鮮」のきびしい生活環境,その政治的な雰囲気についてなどに注意しつつ,兄の蓮池 透が弟・薫の発言や気持ちについて語った箇所を,紹介してみたい。以下の引用からなにかが透視できる。

a)「北朝鮮ではいいたいこともいえない,相手にいわれるがままに動くのではなく,むしろ相手がなにを考えているのかを察して先回りしないといけない。そういう日々だったそうですから,人との接し方も変わらざるをえないですよね。そのせいか,子どものころ,子どものころはずぼらな奴だったのに,心配りが細やかになりましたね。それに,弟はものすごい勢いで怒るようになりましたね。『これは “朝鮮仕込み” だから許してくれ』とかいいながら」(58頁)

 b)〔ここは辛の発言〕「弟さんが帰ってこられるときに,与党の女性政治家が,『蓮池さんはまさにスパイとして(日本に)送りこまれてきてますから,あの人には注意しなくちゃ』という主旨の湖面としました。私はいまでも覚えています。本当にその言葉が怖かった」

 「薫さんは自国民で,しかも被害者ですよ。まっとうな国なら四半世紀にわたって異国で耐えぬいた英雄として迎えるところです。それなのに与党の政治家が平気でそういうことを口にする。私にとってあれは,金 大中が東京で韓国の情報機関に拉致されたときと同じくらいの恐怖を覚えました。韓国や北朝鮮が,日本で在日朝鮮人を誘拐しても,日本の政府は絶対に助けに動くことはないな,と」(66-67頁)

 〔蓮池に戻る〕「弟の解説によれば,いまは存在しないのだけど,かつて『三号庁舎』という重宝期間があって,それはいろいろな拉致部隊で編成されていて,自分を拉致したのはそのなかの調査部というセクションだった。その調査部というのは拉致について,ヘマばかりやっていたらしいんです」

 (以下,その説明がつづくが,中略)

 補注)途中だが,この段落の説明は「気になる説明」をおこなっていた。

 〔戻る〕「だから,『俺が自分で帰りたいと希望して帰ってきたわけじゃない。向こうが選んだんだ』という思いがあるのでしょうね」(ここまで透,80頁)

 「薫さんの本を読んででも,当たり障りがない範囲で,朝鮮半島のことをしらない日本人が許容できる範囲内で書いていますね」(ここは辛,81頁)

 〔蓮池に戻る〕「〔透は〕自分の位置取りを見極めながら書いているんです。だから,私はいつも弟にいっているんです。『本当にいいたいことをいまのうちに書きためておけ』と。(中略) 弟は私たちのしらないことをしっていると思いますよ,自分と周囲の体験したことについても,無効の諜報機関や権力構造のこととか,まだ私にもいえないことがある」(81頁)

 〔辛から〕「兄弟だから,親だからといって,自分のみてきた経験や体験のしんどさを,なんでもかんでも話すことなんてないですよ。ふつうの家族でさえない。離したところで理解してもらえるか不安ですし,たったひとつのことを話すにしても,そのバックボーンたる北朝鮮の社会を体験している人に話すのと,そうでないとではまったく違う。だから,弟さんにとっては,日本の社会も北朝鮮の社会と同じく,自由にものがいえる社会ではないのかもしれません」(81頁)

 つぎは,蓮池・辛の本から, “人間関係で生死が分かれる国-なぜいきのびられたのか” という小見出しをつけた箇所からの引用となる。

 〔辛〕「北の方針んが変わったとき,蓮池 薫さんたちが殺されずに済んだのはなぜでしょうか」(94頁)

 〔蓮池〕「それは,弟が現地で築いた人間関係だと思います」

 「現地の『指導員』と呼ばれている人たちと信頼関係を醸成することで弟は助かった。それでも金 賢姫が捕まったときとか,ソ連崩壊時や食糧難のときなど,命の危険をかんじことは南海もあったと聞いています。

 (中略)

 橫田めぐみさんが招待所から脱走して掴まったときも,なんとかお願いして,連帯責任として科せられようとした重い罰を逃れたといいます。だから,弟は自分では語りませんが,そういう依頼ができるほどには北朝鮮側の指導員との信頼関係を築いたのだと思います」

 〔辛〕「北では人間関係によって生と死が分かれるです。(中略) まして拉致された日本人が人間関係をくずいて生きのびることは,私たちには想像できない苦労だったでしょう」

 「運良く北朝鮮から出てこられても,つぎは生きていくのに必要な話をすりょうになっていきます。だから,こちら側が望んでいる物語を語る人もすくなくない」(以上,95頁)

 〔蓮池〕「弟を早く自由にさせてやってくれ,という願いもあります。拉致されて24年間も自由を奪われて生きてきた弟が,帰国してきたいまも自由に話したいことも話せないというのは不条理すぎる」(140頁)。

 以上で蓮池・辛『拉致と日本人』2017年からの引用は終えるが,ここではつぎの仮説としての前提をおいて読んでほしかったこの2名の対話であったと解釈してみたい。

 【仮説1】 蓮池・兄は弟から聞けた話,その事実のすべてを語っていなかった。

 【仮説2】 弟が兄に対してであっても話していない部分があった。

 【仮説3】 辛は自分の立場に引きつけて対話するあまり,蓮池・兄の話を全面的に信頼して聞くだけになっていた。

 以上のうち「仮説3」は置いておき,仮説1と仮説2が問題となる。

 古川利明『〈猿ぐつわ〉の祖国』が解明,追及していたごとき内容,つまり,蓮池 薫が北朝鮮の日本人工作員となるように「指導(強制され,かつ洗脳されて)きた」かもしれない点を否定できない。

 薫の発言については,想像力・推察力をより働かせて分析,把握すべき〈なにか〉が,残っていないとはいえない。残っていないほうが,不自然である。

 古川の本は,工作員として日本に来たときの「日本人蓮池 薫」を現認したといい,そうだった,間違いなくあいつだ,蓮池 薫だと書いている。古川の間違いであるならば,蓮池兄弟,とくに弟は反論しておく必要があった。もっとも,その疑問に応えるかどうかは勝手であり,応える必要などない。反論したら場合によってはかえって,やぶ蛇の可能性があるかもしれず無視しておいたほうが得策である。

 しかし,その種の疑問が永久に融けないまま,以上のごとき諸疑問やその可能性が,問題じたいと忘れられてしまうとしたら,またそれはそれで問題なしとはいえない。

 古川利明の本『〈さるぐつわ〉の祖国』が表紙カバー画像に印字しておいた文句は,『北朝鮮拉致被害者たちはなぜ日本で「何もしゃべれない」のか?』と問うていたが,

 とくに薫といっしょに日本に当初は「一時帰国した」「地村保志夫妻・蓮池 薫夫妻・曽我ひとみさん」の5人の間柄においては,なかでも「薫の行動」についてほかの4人が,古川の本が追及した「薫関係の事情」を,多少でもしりうる立場・関係にあったと疑ってみる余地がありうる。まったくしらないわけではないという解釈も可能である。

 前段で挙げた本ブログの記述(「北朝鮮拉致問題(1)-蓮池 薫は拉致加害者でもあったのか」2023年5月30日)は,2002年10月15日時点における話であったが,

 蓮池 薫が「帰国後,地村〔保志と富貴恵夫妻〕から『先生』と呼ばれていたことなどから,帰国者5人のなかでも目付役的な存在と目されたが,本人はこれを否定」したという事実に言及していた。

 もしも,蓮池 薫自身が四半世紀も北朝鮮に囚われていた期間中に,日本に工作員として来ていたという指摘(現認)が本当に事実であれば,「薫の日本帰還物語に対する評価」は一変する可能性がある。

 補注)「先生」ということばはもちろん,日本語でも使用されているが,韓国語(朝鮮語)とは若干,語感・意味に差がないわけではないので,注意したい。
 
 以上のごとき問題性の指摘は,蓮池 薫の立場に対する謀略史観だといって,そう簡単には排除できない。蓮池 透は,自分のこの弟が北朝鮮にとらわれの身になっていたあいだに,すっかりに身についてしまったらしい「北朝鮮風の価値観・世界観」,つまり,強く・深く洗脳されていた精神状態を解除するのに相当苦労した。透はこのことを確かに語っていた。

 だが,蓮池 薫が北朝鮮から受けざるをえなかったその洗脳の中身はいかなる性質のものであったのか,さらには,帰国できてからの薫が透との共同作業をとおして,それをどのようにして解いていったのかについて蓮池 透は,具体的に語っていない。

 兄・透が辛 淑玉に対して語ってもいたように,弟・薫に関しては「語りえない領域の話題」が別個にあったらしく,それは兄弟間だけで閉塞されておくべき「北朝鮮の記憶」として封印されたのではないか。

 その種の疑問はけっして排除できまい。単に,薫がすっかり北朝鮮に洗脳されていたかどうかといったふうな関心事とともに,かつまた,より重要な論点として着目されてもいい〈なにか〉が,そこにはいまも秘められているのではないか。

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