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原発(電源のエネルギーは原子力)に対しては「絶縁の宣告」が下されるべき事情など

 ※-1 原子力信仰を深因とする「原発狂・症候群」がいまだに猖獗をきわめる日本のエネルギー事情

 いまどき,いったいなんのための後生大事であるのか,それともなにかの特定の利害が残っているせいか,いまだに「原子力(原発)を電源として,それもベースロードに位置づけておきたい」『原子力村の確信犯的なKYぶり』は,度しがたい時代錯誤であるどころか,いまどき,とても罪深くそれこそ死ななきゃ直らないようなエネルギー「感」になっている。

 付記)冒頭の画像は後段の途中に引用され,引用元が紹介されている。

 21世紀の現在において,すでに高い段階にまで進んできた再生可能エネルギー利用体制を妨害するだけでしかない,それもとくに日本のエネルギーに関した電源構成比率中における原発(原子力)の問題は,政治経済的な基本姿勢とみても不有利であり反動的だという以前に,あまりにも因習的・惰性的であり,つまり反科学的的な非合理性を剥き出ししていた。

 というのは,原発(原子力)に固執するエネルギー体制そのものが,ただ単に特定の利害関係集団のためだけの「政治利害関係次元の問題」として保持されているだけであって,つまり「いまだけ,金だけ,自分だけ」の私権的な欲望を,原子力村内に生息する一部の者たちが維持・達成していくための手段・道具になっているからである。

 原発体制の先には核燃料サイクルの実現,高速増殖炉の商用化達成という目標があったが,この願望は半世紀以上もの長い時間が経過していても,なおその実現のみこみはなく,むしろ不可能である以外の未来展望は99.99%待ち受けていない。

 要するに,その願望は不可能そのものでありつづけてきたといっても間違いはない。現状における原子力というエネルギー問題は,「原発という発電装置・機械を利用しつづける体制」をもって,原子力村の損得勘定の帳尻を合わせていくためにのみ,なんとか維持していこうとするばかりであった。

 日本原子力学会の論稿のなかでは,つぎのように語られていた。だが,この内容(⇒長期目標の主軸)と表現された実体が有した意味あいは,現在の時点において受けとるにしては,その歴史的な含意があまりにも茫洋としすぎていた。

 常人の感覚からするともはや,理解できる範囲から超え出ていた。なぜなら,21世紀のいまとなっても,このなにひとつさえ実現できないまま問題だけが残されたとなれば,このような発言をじっと聞いていられる人は,よほど我慢強い精神の持ち主である。

 ウランも輸入に頼るわが国では,再処理・リサイクル方式確立は原子力利用開発の長期目標の主軸をなし,わが国最初の原子力発電所である日本原子力発電株式会社(日本原電)東海発電所(原子炉は英国からの導入の黒鉛減速炉)の建設開始(1960年1月)の3年後には,当時の原子燃料公社で東海再処理工場の設計が開始された。

註記)元核燃料サイクル開発機構理事・河田東海「核燃料サイクルの歴史と意義」『日本原子力学会』2021年7月, http://www.aesj.or.jp/~snw/kouen_shiryou/document/210818historyFuelCycle.pdf,7頁。

「核燃料サイクルの歴史と意義」に未来はない
 
猫が毛糸玉と遊ぶ

 すでに,「原子力:原発」は「ダメだという結論」を出していたはずの,核燃料サイクルをめぐる技術経済的な諸実績・諸事情などものとせず,いつまでもその原子力:原発の継続利用に確執してきた「原子力村的な事実」はまるで,毛糸玉にからんで逆に毛糸にからまれて動きがとれなくなった子猫の姿そっくりである。


 ※-2 ベースロードという古くさい電源観念をいまだにもちだすことを止めない原発推進派の旧套・頑迷・固陋のエネルギー「感」の罪深さ

 a)  21世紀も「第3期目:10年代」に入っている段階であるが,日本はエネルギー資源をどこから,どのように調達するのかについて依然,原発に加重的にかつ異様に依存しようとする気分を,けっして変えようとはしていない。

「2度あることは3度あることにしたい」のか?
原発安全神話は3・11以前までは疑うことさえ
許されていなかった原子力村の狂信であったが
【なお赤線内は引用者の加筆・記入】

 21世紀になって記録された東電福島第1原発事故という「深刻かつ重大な原発の大事故」を起こしていながら,そもそもその廃炉工程に入る以前に,原発の後始末としてのデブリの取り出しすらほとんど着手できていないにもかかわらず,2030年時点における原発の電源比率ならば「22~20%」に “増やす” といった狂気に近い電力観が,国家の立場から掲示されていた。

 補注)ここで廃炉という用語は「事故を起こした原子炉」に対しては使用しない記述にしているので,注意してほしい。

 つぎの図解をみたい。この図解を用意していた記述は,「福島第一原発『燃料デブリ』取り出しへの挑戦①~燃料デブリとは?」『経済産業省 資源エネルギー庁』2020年2月14日,https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/debris_1.html であるが,

 今後においてこの「現状」が,いったいどこまで続くのかも,われわれにはとうてい分かりえない。だから,その記述の題名は『挑戦』ということばが充てられていた。

東電福島第1原発事故現場の状況-2020年2月現在

 ましてや,2021年10月4日から首相になった岸田文雄は,エネルギー資源問題にはまるで無知のまま,たとえば2022年8月下旬のことであったが,「原発の再稼働」のみならずその「新増設」までおこなうことを決めたと宣言した。

 現在は,2023年10月下旬を2日あとに迎える現時点にあるが,「3・11」以来は,最大の比率でも10%を超えたことがない原発の電源比率を,しかも電力の総需要が徐々に抑制されるその後の傾向があり,1日24時間内の電力使用法に工夫もくわえられてきているなかで,

 すなわち,その総需要(とくに最大値を記録する時間帯に注意したい問題)の伸びも,いまく減少しつつある状況のなかで,原発の比率をわざわざこの先(実質6年ほど)にむけて,原発の電源比率を2割台にまで増やすという発想は,完全に無識者しか考えつかない電力観であった。

 補注)今夏(2023年)における夏季の電力需給関係に関した経済産業の分析報告については,つぎの報告『今夏の電力需給及び冬季の見通しについて』2023年9月27日(その住所は ↓ )を参照されたい。

 これは,くわしく読んでみるだけの中身がある。原発推進派の経済産業省資源エネルギー庁のような立場にあっても,「事実の推移」になかに観取できる「現実の動向」は無視できない。

 ⇒ https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/denryoku_gas/pdf/065_03_00.pdf

 この報告書を綿密に読むのはけっこうしんどいと感じる人もいると思うので,今夏においてそれも東京地区(エリア)に関してのみ,それもつぎのように指摘されていた諸事項のみ取り出し,紹介しておきたい。

     ◉ 2023年度夏季の電力需要分析(東京エリア)◉

 イ) 2023年度夏季(7・8月)の電力需要について,東京電力PG〔パワーグリッド,東電内の配電分社のこと〕において,電力需要と気温実績等をもとに,一定の仮定のもとで節電量の推計をおこなった。

 今般実施した推計の結果,7・8月の気温等の影響を考慮した1日あたりの電力需要の合計は,いずれも昨年に比べ,今年の方が減少した。

 具体的には,7月は家庭用(低圧)で 3.1%,業務用(高圧・特別高圧の業務用)で 2.0%減少した。8月は家庭用で 1.6%,業務用で 0.4%減少した。

 とくに,家庭用において一般的に在宅率が高く,電力需要が増加する夕方から夜にかけて,7月は 3.9%,8月は 2.1%の電力需要が減少した。

 ☆ 電力需要の減少量の推計結果には,新型コロナウイルス感染症に伴う行動制限,生活様式などの変化,電気料金の上昇に伴う行動変容などの影響も含んでいることに留意が必要。
  
 註記)13頁。

 ロ) 2022年度と2023年度夏季最大需要時の比較(東京エリア)

 2023年度夏季の最大需要は5,525万kW(7月18日)となり,昨夏の最大需要の5,930万kWと比較すると405万kWの減少となった。

 その要因としては,節電要請や新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行に伴う,外出の増加によるエアコン・照明利用の減少,湿度や日射量の気象影響等が考えられる。

 註記)14頁。

 ハ) 【参考】家庭用の節電量について(東京エリア)

  東京エリアにおける,7・8月の気温等の影響を考慮した家庭用の電気使用量の合計は,いずれの時間帯も,昨年と比べ下回っている。

 とくに,7月の11時~18時は4~5%程度の電力需要が減少しており,テレワーク率の減少や電気料金の上昇などの影響のほか,一定程度節電の効果があったものと推定される。

 註記)16頁。

 ニ) 【参考】業務用の節電量について(東京エリア)

 東京エリアにおける,7月の気温等の影響を考慮した業務用の電気使用量の合計は,いずれの時間帯も,昨年と比べ下回っている。

 8月においては深夜から早朝にかけて昨年よりも電力使用量が増加※したものの,日中の時間帯は1%程度を超える節電がおこなわれていたと推定される。

 ☆ 新型コロナウイルス感染症の5類移行に伴う行動制限の解除による夜間を中心とした電力量の増加等,複数の要因が想定される

 註記)18頁。

2023年度夏季の電力需要分析(東京エリア)

 この「2023年度夏季の電力需要分析(東京エリア)」には,特定の年次における変化などの傾向として個別に捕捉・理解せずに,通年にわたってこれからも発生していくはずの動向・趨勢が指摘されている。

 その指摘はいままでにおける1日24時間を通しての電力需給関係をなるべく統御可能としうるような,各種各様の工夫が徐々に試行されつつ,少しつづだが実現している様相をもうかがわせている。

 b) さてここで,電力需給の関係について「ベースロード」という概念について言及してみたい。

 いまだに執拗になのだが,この的外れであって,かつ時代遅れでもあった「見解:ベースロード」を,それも原発を再稼働させる意図のために必死になって披露,説明し,喧伝してきた原子力村のエネルギー「感」は,

 ともかく原発をその電源構成の中心部分にいつまでも置いておくべきだという,あいもかわらずの “昔風の誤った観念” を披露しつづけきたその頑固さかげんには,ただ呆れるほかない。

 もっとも,「3・11」以前であれば,電源構成に占める原発の存在感はこれを電源構成全体のなかでは,絶対的に「ベースロード」(土台というか基礎)そのものであるとみなす理解がまかり通っていた。けれども,それ以後は「重要な」とか「主要な」といった形容を冠するようにしておき,その意味に若干の変化を含ませるようになってもいた。

 原発(原子力)がベースロード電源だと位置づけられるのは,その「ベースロード電源に相応しいからそうだ」といわれているのでは,けっしてなかった。むしろ,そのベースロードとしての電源にしか位置づけられない,いいかえれば,それにしか割り当てられず役に立たないのが「原子力というエネルギー」であった。電力生産の燃料として使用する方法としていうと,まことにあつかいにくいエネルギーがこの原子力であったというに過ぎない。

 原子力村側で堅固に統一された意志表示である「原発=ベースロード」観は,いまではまともに通用する概念理解ではありえない。したがってもっといえば,その「観」は不要である以上に,21世紀における各種のエネルギーの全体的な導入・利用に対して,ただに妨害要因にしかなっていなかった。別のいい方をするとしたら,本来からまことにタチの悪い「理化学的な特性:放射性物質」を保有していた。

 本ブログ筆者は原子力のことを《悪魔の火》と読んできたが,東電福島第1原発事故の被災者たちの立場にいわせれば,まったく同感だといって応じてくれるはずである。この《悪魔の火》は,悪魔の手にしか自由に操作できない点は,説明するまでもなく〈自明なる真相〉であった。

 もっとも,ベースロードの概念は,再エネ方面においてその存在が不要なのではない。そもそも,ベースロード「性」だけを,周囲に向けて無闇に強制し,押しつける電源であった原発じたいに,大本の問題があった。だから,原子力を燃料に焚いて利用する「原発」は,「でくの坊」だとか,あるいは「うどの大木」にたとえられてよい。

 原発(原子力)以外の「化石燃料の利用がよい」とは「考えない」とわざわざ断わられてきた点は,換言すれば,「原子力という燃料」と「ほかの火力発電に使用される各種の燃料」(石炭・石油〔原油〕・LNG)とのあいだには顕著な相違があるとみなした立場は,炭酸ガスの排出の問題,すなわち温暖化問題との関係で主張されていた。しかし,その「不当な根拠づけ」であるに過ぎない,しかも「一方的な宣言」みたいないいぶんは,まともな理屈=説明をともなっていなかった。

 前段の記述は分かりにくい面があったが,要は,火力発電の場合,炭酸ガスを出す・出さないという論点と,それぞれが排出する分量の違い(多寡)が燃料によってそれぞれ異なる点ををとらえて,原発(原子力)が地球温暖化にやさしいなどと,本当はまったく科学的には根拠のない言説が,声高に唱えられていた。けれども,原発が炭酸ガスを,ほかの諸種・火力発電と決定的に識別できるほどに少量しか排出しないというのは,完全に間違っていた。

 原発の建設にかかる期間,さらに稼働を終えたあと,廃炉のために費やす期間などは,一般的に原発そのものが稼働しうる期間より長期であって,この両期間の関係は,通常における「物的設備の耐用年数」および「その棄却処分」とにかかわっては,そもそも科学的・合理的といいいるような「長期間」からも,はるかに超えていた。

 東電福島第1原発事故現場は毎日,廃炉工程に進むための準備となる作業管理がなされている。だが,炭酸ガスがどのくらい排出されているのかを具体的に計算することに関して,最近いわれるようになった言説は「原発は稼働中は炭酸ガスを少量しか出さない」といういいぶんであった。しかし建設と廃炉とで長期間になる舞台のほうにおいてこそ,大量に炭酸ガスを出しているのだから,なんとも空しく響く弁解である。

 要は,原発・原子力の問題になると,いまどき「理解しがたいエネルギー観」が恥も外聞もなく,それもで正々堂々と「ウソと100回いえば通る」ことを期待してなのか,復唱されつづけてきた。


 ※-3 最近(2023年10月中旬)の新聞報道から読みとれる「原発は電源としてはやはりお邪魔虫」だという観点

 1)『日本経済新聞』2023年10月16日朝刊「経済教室」に,安田 陽が寄稿した記事,「〈電力危機への備えは十分か〉下 逼迫回避,需要側の行動カギ」は,このように「再生可能エネルギーが電源構成において占める比率が高いと停電率が低い」という,しごく当たりまえの事実に言及していた。

 この日経記事は画像資料で紹介する。注目すべき「当該の段落」は赤線でかこんである。安田が指摘している「逼迫回避」のためには「需要側の行動カギ」だという要点は,すでに前段において,東電パワーグリッド「東京地区(エリア)」がこの夏季に実際に体験・記録してきた「電力需給の関連推移」からも観取できていた。

『日本経済新聞』2023年10月16日朝刊「経済教室」

 2) 『毎日新聞』2023年10月17日朝刊7面,「電気料金 日中安く 経産省 太陽光停止回避策」という見出しのこの記事も,以下に画像にして紹介しておく。「原発(原子力)」の存在が,このような報道をさせる真因になっていた事実(いうなれば総合的に関連しあうその事情)を教えていない。

『毎日新聞』2023年10月17日朝刊7面

 この記事は,こうして報道された電力需給の関係を,いわば裏舞台から堂々と妨害ないしは撹乱させる原因になっている「原発(原子力)の介在」の意味をまともに言及していない。こういう片落ちの報道内容は問題があった。

 「再エネ」と「原発の稼働」とが一見,同質・同類の電源であるかのように報じる基本姿勢は,問題がありすぎる。再生可能エネルギーと原子力(原発)は,各エネルギーにおける間柄としては一番相性が悪いもの同士ゆえ,それを隣同士・親戚関係にあるかのように誤解されかねない修辞の仕方は,極力回避する必要があった。

 ここではつぎの『朝日新聞』2019年9月6日朝刊の報道,「大地震,その時北海道電力で何が ブラックアウトの真相」を参照してもらうことにしたい。ただし,有料記事なので途中までしか読めないが,おおよその事情は分かる。

 つづけて,経済産業省エネルギー資源庁の解説も添えておくので,その全体像そのものについては,こちらも参照されたい。

 要点のみいうことにするが,この2018年9月6日,北電で発生した大停電は,原発体制を組みこんだ電力供給側の問題として,「木偶の坊」「ウドの大木」という特性を有するこの「原発という発電装置・機械」の脆弱姓を,瞬時に露呈させていた。

 極論すると,再生可能エネルギー 100%の電力「発電・送電・配電」が,スマートグリッドにもとづく電力の需給関係体制として,もしも北電内で確立していたと想定したら,前段で触れたごとき大停電は起きることはなかった可能性が高かったはずだと断言できる。

 ところが,原発に頼るべきところがまったく頼れず,というか,電力の需給関係は原発が介在していたがために,かえっ適応力:融通性を欠落させていた。これは,北電が実体験させられた2018年の大停電の記録を介してとなったが,われわれがあらためてしらされる事実となっていた。

 関西電力は2022年あたりからは,原発を再稼働させえる基数が増やしてきた。だが,この関電でも北電の大停電に似た事象が起きないという保証はない。ましてや,南海トラフ巨大地震が発生したときはその危険性が非常に高く,一気に大停電を発生させるかもしれない。地震のための原発に大事故など起こしたぶんには,こんどこそは本当に「日本沈没」となる。

 3)『日本経済新聞』2023年10月18日朝刊5面,「今夏 世界的猛暑だったが… ピーク電力利用7%減 首都圏 節電や操業調整 効果か」という記事もあった。

 この記事については,ここまで記述してきた内容と重複しているので,このなかでは,あれこれと色鉛筆的にかこんだ各段落に注目してほしい。最後のそれには「東電の原発」,しかも「3・11」以後,実質的に稼働がゼロというほかなかった柏崎刈羽原発の無用化に触れていた点が注目に値する。

 東電が原発の大事故を起こした日本最大手の

『日本経済新聞』2023年10月18日朝刊5面

 4)松永安左エ門の話題。 最後にこういう指摘をおこなっておきたい。

 日本の電力産業の基礎を作った松永安左エ門は,「建設費用がドカン,ドカンとかかる水力発電所をたくさんつくるような経営方針を採れば,そのすべてがフル稼働できるように,全国の電力市場をグリッド(送電網)でつないでひとつに集約したほうがよい」と語った。

 そして「電力会社は建設費用の高い水力によって,『平均的な需要』に対応するととともに,電力需要の微少な変動については火力発電所の稼働率調整で対応するという,きめ細かな経営方式を松永は考えていた」と解説されている。

 註記)竹森俊平『国策民営の罠-原子力政策に秘められた戦いー』日本経済新聞社出版社,2011年10月,98頁。

 この竹森の著作が言及したのは,「水力+火力」の組合わせになる発電連係方式であったゆえ,当時の話題であったが,そのやり方しだいでは,いくらでも実現は期待できるはずの方向性であった。

 だが,それが「原子力(原発)+火力」という組合わせになると,必ずしもうまくはいかない。そもそも原発側に稼働率(ここでは1基単位の操業度のこと)にもとづく適応性は,もともと期待してはいけない条件であった。その適応性をめぐり発生する負担する問題は,もっぱら火力のほうにかかってくるほかない。原発側においては,操業度に変化をつけて恒常的に運転することは技術的には危険が多くて,もともとできない相談であった。

 ところが,松永安左エ門の生きた時代といまの時代はすっかり様変わりしており,再生可能エネルギーを最大限に生かせる電力生産の時期に移行できている。水力は再生エネ的に十分生かせる電力生産方式である。

 ところでまた,原発が発電している最中にもてあましたとくに夜間電力については,その木偶の坊・ウドの大木ぶりとして発揮させる事態を,いくらかは庇ってもらえる関係が構築できていないわけではない。

 それは,揚水発電というかたちで,水力発電所よりも水面の標高が下部にある水を,わざわざ上部にある貯水池に汲み上げる作業をおこなうために「夜間の電力」を充てているからである。そうした操作をおこなっている事実は,だから,観方にもよるが「無駄のなかに効用も含まれている」といえなくはない。

 しかし,揚水発電に利用される電力は,ある意味では邪道の使い方をされているというほかない。原発のために水力発電の方式が歪められた現在は,いわば,水力発電が「悪用されている」といえなくはない。《悪魔の火》を燃料に焚く原発は「稼働率に関して柔軟性を決定的に欠いている事実」からして,水力発電の〈脇道的な利用〉を強いているわけである。

 ところが,日本はいまだにこの程度の電源構成,つまり,松永安左エ門がいったところの「水主・火従」であるような電力生産体制を,実際には「原子力が主で,火力が従」であるそれとしか考えていない。

 ここで,高橋 洋・都留文科大学教授「エネルギー基本計画の改定への期待」『自然エネルギー財団』2020年10月28日,https://www.renewable-ei.org/activities/column/REupdate/20201028.php に聞くことにしたい。まずつぎの表をみよう。

高橋 洋の見解

 まず,高橋 洋がこの記述のなかでかかげていた「その表」を踏まえてとなるが,以下の引用をする。高橋はこう指摘していた。

 以上をまとめれば(表のこと),再エネの主力電源化と脱石炭火力は先進国の共通理解であり,これらにくわえて省エネを徹底する政策が,「エネルギー転換」である。

 米国ではトランプ政権が石炭産業を振興し,パリ協定からの離脱を進めているが,州政府は異なる方針のところも多く,バイデン大統領が誕生すればエネルギー転換政策が推進されるだろう。

 要するに主要先進国のなかで日本だけが,エネルギー転換政策に背を向けてきた。石炭火力も原子力も将来性に乏しい電源であり,日本は石炭資源にもウラン資源にも恵まれていない。日本こそ,エネルギー転換からもっとも恩恵を受ける国であるにもかかわらず,これら衰退産業に固執してきたのである。(引用終わり)

 エネルギー問題について日本が,以上のごとくに「ああだこうだいっている」うちに,この国はすっかり「先進国落ちした国家」に転落していた。

 ここでは,原発(原子力)について,つぎのように説明されている点を,あらためて根本から批判しておかねばならない。

 a) 〔原発は〕「安定的に大量の発電が可能」というのはウソに近い。原発安定できる操業度は,もっぱら100%の稼働水準のときだけなのだから。安定的という表現は,気をつけて限定的に使用しないと嘘になるということであった。

 b)「発電コストが比較的安い」というのもウソであった。廃炉工程を予定してこのさきにおける計算をしていけば,廃炉会計として発生しつづけていくコストが,そのウソを証明しつづけていくに違いない。

 c)「発電時にCO2 を排出しない」というのも苦しいウソであった。原発は稼働時でも炭酸ガスを出さないことはなく,だからこのごろは少しは出しますと,正直に語らないではいられなくなった。

 以上の3点を決定的に突きつめさせる契機が,原発が大事故を起こした場合に発生し,登場する。それこそかなり明瞭に浮上してくる。電力の生産も利用も,その元も子もなにもなくさせる(地域社会全体まで巻きこんで破滅させるよおうな)出来事が,原発(原子力)体制から突如発生した。

 現在の首相が2022年8月下旬,「原発の再稼働と新増設」を勝手に決めて発言していた。最近になると彼は,国民たちから原発問題と増税問題と防衛費問題の三重苦的な負担を原因にした〈嫌われ方〉をされたあげく,岸田の「増税クソメガネ奴」とまで憎称されるにまで至った。

 この「世襲3代目の政治屋」は実のところ,原発(原子力)に関した基礎的な素養さえないまま,原発行政を,しかも経済産業省官僚たちのいうとおりに「腹話術師に操られる人形」のように語る以外,能のない存在になっていたに過ぎない。

 「亡国の首相」は,あの “アンダーコントロール発言” を犯した故・安倍晋三のみならず,現・首相の岸田文雄もまたその「亡国の首相」の仲間であった事実は,エネルギー政策面における迷采配ぶりからも実証されていた。

 なぜか,この2人とも「世襲3代目の政治屋」。そもそも「世襲3代目の政治屋」が自民党内には多いが,愚昧な首相になりえなかったのが「世襲3代目の政治屋」たちなのか? 皮肉のひとつもいいたくなるわい。

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