日本の学界の体質,反学問的な習性,経営学界の場合を介して考えたあれこれ
この記述は,日本における諸学界の特性,そのなかにめだつ体質としてきになる反学問的な感性を,できるかぎり考えてみたい。ここではとくに,経営学界において見聞きできた諸事情をもとに説明する。
要点・その1 学問・研究の発展を抑圧・制御したい非科学的・非学究的な日本的なる特性
要点・その2 あいかわらずの,日本における研究者組織の体制,その体質の特性と問題
※-1『思想地図』2008年4月創刊-そのころの話題から-
2010年5月6日のことであった,この日は木曜日であったがたまたま,朝刊が休刊になっていたため夕刊のみが配達された。日本経済新聞がちょうどその月から正式に,有料ウェブ版による新聞記事の配信を開始した。他紙もいまでは,インターネット版をパソコンの画面でいつでも閲覧できる。便利な世の中になったものである。
そのウェブ版は「新聞現物」を見開きでみるようにも画面が提供されているものであった。この場合はもちろん契約しての話だが,ともかく今〔2023〕年だと,その歴史も13年目に入った段階になった。紙による新聞の発行が急激に減部していくなかで,日本の各新聞社は電子版を主軸とする発行・編集体制にまでまだ転換できずに遅滞している。
ここではまず,本日(2023年7月28日)において補足となるつぎの記事から,中心の論旨から外れ,またいくらか長くなるが,インターネット時代に新聞社がどのように生きていくかについて有意義な解説をしていた批評を紹介することから始めたい。その前につぎの記事の冒頭段落のみに関する画像資料を紹介しておきたい。数値面では後段の記述と異なる点もあるが,とりあえず委細かまわずとしておく。
水野泰志(メディア激動研究所代表)「この20年で6割減,1168万部の夕刊が消滅…『昨日のニュース』しか載っていない新聞はいつ完全消滅するのか『紙の新聞』にこだわっているのは新聞社だけ」『PRESIDENT Online』2023/05/21 13:00,https://president.jp/articles/-/69702 は,最近における日本の新聞紙についてこう批評している。全文は引用できないので,適宜に抽出して紹介する。
上欄の引用にあわせて,「ニューヨークタイムズ,電子版500万人突破 米新聞業界で明暗」『日本経済新聞』2021年2月5日 6:45,更新 13:44,https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN0404K0U1A200C2000000/ という記事から,つぎの表だけとなるが,紹介しておきたい。
新聞業界におけるこうした時勢は必然的な流れを反映している。この新聞紙の低迷ぶりは新聞社の「第4の権力」という立場にかかわり,多大な影響をもたらす要因であった。実際,新聞社にかぎらぬが,この系列に置かれている日本のテレビ・キー局の,言論機関としての衰退ぶりがめだつ昨今の情勢になっていた。
【参考記事】-夕刊の発行状況に関して詳細な説明あり-
いまここでの話は,冒頭にもちだしてみた『朝日新聞』2010年5月6日夕刊の話題に戻る。
当時の同紙「深層 新相」欄は,「便利」ではないというよりも,あいかわらず「まったく融通が利かない,筋を通すことをしらない,まことに困った,不便な〈ある小世界〉」の実相を,紹介する記事になっていた。
そのなかに『思想地図』5号〔という語が出ていたので〕,これをつぎに引照してみる。なおこの雑誌は2008年4月に創刊された思想誌であった。そのくわしい内容は,ウィキペディアの解説にゆずっておく。
菅原 琢東大准教授(当時)が,この『思想地図』第5号(2010年3月)に寄稿した論稿「『米国化』する政治学に異議唱える」は,告発調ではなく冷静な筆致で,「自らかかわる組織内部の病巣を実名で公に指摘することほど,勇気のいることはない」と訴えていた。
その『思想地図』第5号(2010年3月)は「特集・社会の批評」を編んでいて,その問題意識をこう説明していた。
そして,『思想地図』第5号の内容は,つぎのような編成内容を組んでいた。
※-2 日本の学界に共通する反学問的・非理論的な研究(?)体制
さて,『朝日新聞』2010年5月6日夕刊「深層 新相」欄の内容に入ろう。以下に直接引用する。のちの議論を判りやすくするために文章を段落にくぎっておき,それぞれに符号 a) b) c) ・・・ を振っておく。
a) この北田暁大氏責任編集の『思想地図』5号に寄せられた「『アメリカ化』する日本の政治学-粗製乱造・無難な研究を内部批判-」は,若手政治学者による学会批判である。
筆者は東大先端研特任准教授の菅原 琢さん。1976年生まれ,『世論の曲解』(光文社新書)などで注目された計量政治学の新鋭だ。
b) 「アメリカ化」とは,近年,政治学の若手のあいだで計量分析あるいは仮説検証型の研究が普及し,業績主義が進んだ現象を指す。これは,理念に傾きがちだとの指摘もあった日本の政治学を,一見,「科学」的によいことづくしのようにみえる。が,現実は「もっと複雑」と菅原さんは書く。
c) たとえば,熾烈な論文投稿競争をしているのは,非正規の職にしかつけていない若手や院生が多い。そこでは論文の生産効率をいかに高めるかが勝負になるから,研究者は手っとり早く論文になりそうな題材を選ぶ。既存のデータで検証できる出来合いの仮説を追いがちになる。粗製乱造で「無難」な研究が目立つようになるのだという。
d) 責任は,大学院重点化で大量のポストドクターを生み出した国にある? 菅原さんは,しかし問題の核心をそこにみない。論文の誤りに気づいていても,「検証,反証を抑えこもうとする有形無形の圧力」があり,論争に発展させない日本の政治学会の体質に求めるのだ。「競争が老若で,上下で非対称的」な以上,年長者ににらまれないよう若手は黙るしかない,と。
e) 「結局のところ,(中略)日本の政治学はもっとも大事なところがアメリカ化されていない」「若手がだらしないから,ではない。二重構造の社会が,批判を許容しない体制を生み出している」。
f) 政治学を超え,学会を超えて,うなずく人の少なくない主張だろう。さきごろ結成された「たちあがれ日本」という新党の名付け役が77歳の都知事 註記)だったように,みずからは決してノーといわれたくなさそうな年長世代が,下にハッパをかける。そんな根深い構図が,日本社会の閉塞の原因の一つのように思うからだ。
補注)ここに登場する都知事(当時の)とは,いわずとしれた石原慎太郎(1932年-2022年)のことであった。この傲慢男は,生存中はなにかと老害現象をばらまいてきて,とくに都政の死物化をめぐっては,とてもひどい行状を記録してきた。おまけに,息子のうち2人も世襲的に政治屋にさせたとなれば,日本の政治としては悪見本の実例。
g) 「アメリカ化」がまぶしかった時代はとうに過ぎ,バラ色でないことを私たちはしっている。それでも,情報の透明性や公正さ,自由な議論の土壌という点で, 「アメリカ化されない日本」は,はたして幸運なのかどうか。アメリカを相対化できる時代になったからこそ,議論を深めるべきときと思える。
注記)以上,『朝日新聞』2010年5月6日夕刊「深層 新相」,
http://www.asahi.com/culture /news_culture/TKY201005060126.html,から。
以下からさらに,本ブログの筆者の論評をくわえながら議論したい。以上 a) ~ g) までについて,若干くどくなるが,任意にとらえなおす論及ともなる。f) 以降はさらに,後段の※-3 における記述にからめた論及にしておいたつもりである。
a) は,1976年生まれの東大先端研特任准教授,若手新鋭の計量政治学者の菅原 琢が「学会批判」した対象は,ひとまず現象面における b) 業績主義である「アメリカ化」,すなわち計量分析あるいは仮説検証型の,いいかえれば量産的な研究方法であった。だが,現実は「もっと複雑」であった。
c) 若手や院生が熾烈な論文投稿競争をするのは,「論文の生産効率をいかに高めるかが勝負になるから」で,ともかく「既存のデータで検証できる出来合いの仮説」に依拠した論文が多く,「粗製乱造で『無難』な研究が目立っている」。
問題は d) が「検証,反証を抑えこもうとする有形無形の圧力」が「日本の政治学会の体質」から生れている。とりわけ「年長者ににらまれないよう若手は黙る」という「競争が老若で,上下で非対称的」な,とでもいうべき〈政治学会の精神風土〉が問題である。
e) 日本の政治学会の一般的な習性・風潮は「批判を許容しない体制」である。いまや,この学会に欠落している「情報の透明性や公正さ,自由な議論の土壌という点で」,その組織体質に関する「議論を深める時」である。
※-3 本ブログ筆者の若き日に遭遇した実体験
1) 学問上の相互批判を厭う,フシギなる「日本の学会」の体質。
いまからだいぶ以前の話,それこそ大昔の話題となる。筆者が大学院生から若手研究者として学会(学界)に仲間入りしたころから,経営学会(経営学界)の大物と目されている教授たちの学説理論をとりあげ,疑問と感じた論点を率直に指摘し,再考が必要と考えた個所は大いに論究し,論旨の展開・必要に応じては,いっさい遠慮容赦などすることなどなく,徹底的な批判をくわえてきた。
その後,何年くらい経った時期がくわしくは記憶していないけれども,周囲からつぎのような声が聞こえてきた。--「あいつはエライ先生の学説理論を批判しているゆえ,ケシカラヌ奴だ」。この話を聞いた筆者が逆に,なぜそのようにいわれるのか理解できないと正直に反問すると,こういう答えが返ってきた。
「エライ先生を批判することじたい」が好ましくなく,失礼に当たるノダ。--いわゆる問答無用,とつもない権威主義。これが「学会(学界)」に生息するエライ先生方に対する「表敬の方法」,それも絶対的に遵守すべき作法であるかのように感じられるほど,理不尽が平然(整然)とまかり通っていた。いわば,こちらの場においてなりに,そうした礼儀作法が学界内では一般常識(?)的にもかなうものだと理解されていた。
当時,筆者は,自分なりに試みた理論分析や論点究明にしたがい,その吟味・批判の対象になった人物は,たとえば,あの有名な「三橋大学商学部」の☆羽カラスといわれ,名声も高かった3教授たちや,「甲戸大学経営学部」(大学名はいずれもひとまず仮称としておいたが・・・)の看板教員として大活躍していた某教授などであった。
これら教授たちは,筆者の批判にまともに答える気がないどころか,理論的立場に立って筆者と論争をするための議論や,最低限は必要だったはずの反批判のための学問的作業を回避した。筆者の論及・議論がその教授たちの構築・展開した理論や体系の核心に迫る分析や批判をすればするほど,彼らの逃げ足は早くなるか,あるいは「無視・黙殺」の態度を採ることになった。
密教ではあるまいに「秘してこそ真価がありうる」のかしらないが,「学問的に真摯な論争」はおろか「理論的に交流させたい対話」すらままならならなかった。学者間における〈理論の構想とその具体的な中身のありかた〉に関しては,必らずといっていいほど,発生してきてもなんらおかしくはない「論点の相違」が,相互間において議論を交わす素材になったり,創造的に批判しあうためのたたき台に活用されるというなりゆきには,なっていなかった。
そのような学問の舞台のありように,はたしていかほどの存在価値がみいだしうるのか,これには強い疑問が抱かれないほうが,そもそもおかしいはずであった。
菅原 琢にいわせれば「競争が老若で,上下で非対称的」な「学界(学会)」の構図は,政治学会にかぎらず,日本経営学会の構造・機能的な特性でもあった。
さらにいえば,日本においては同じような「体質の学会(学界)」が,もっとざらに普遍的に存在している。そう類推してなんら間違いにならない。
〈学問の真理〉だとか〈研究の成果〉だとかが,学会(学界)内の人間関係や組織内勢力関係によって不当にかつ非理性的に歪曲・破壊されるのみならず,倒錯した〈対象物〉に変質・腐食されてしまい,あげくにオモチャあつかいされる実態に注目しなければならない。
いうなれば,学会などという名称を使うにはとても恥ずかしい,まやかし「表裏一体・二重構造の社会が」,そこには形成されている。そして,学問において必要不可欠である〔とくに若手研究者が先輩研究者に対する〕「批判を許容しない体制を生み出し」ている。
2) 老害現象
学問研究の体制そのもののありかたが若手研究者のすすむ道をふさぎ,あまつさえ彼らの意気を削ぎ,意欲を圧殺するような研究環境にあるとすれば,これは研究を標榜する組織・団体として存在する価値はないものといわざるをえない。
それだけでなく,世の中にとっては無用であると同時に,存在する事実それじたいにおいて「反社会性を発揮させて」もいる,ともいわざるをえない。そこにおいては,けっして「若手研究者がだらしない」のではなく,「老年層の教授連の怠惰・固陋かつ驕慢・僣越な生息状況」のほうが,そもそもの大問題なのである。
社会科学系研究領域における学究・研究者に関していえば,50歳代ころになると,もはや「新規の研究成果などとは無縁の世界」に生きる者が大多数である。
しかし,彼らにかぎって「なんとか学会」の運営委員や論文審査委員に名を連ねていて,若手会員の投稿してきた論文を読解する力量などすでに消えうせているにもかかわらず,おまけに,いまでは自身がろくに論文も書けなくなった無力・非力は棚に上げて,僣越にも「最近の若手が書く論文には新味がない」とか「迫力を欠くものばかりだ」とかいう発言・指摘を口にするようになる。
彼らはそういう存在になっていても,わずかも羞恥心を感じないで済むらしく,若手研究者をそのようにもてあそぶことによって,自身におけるいくばくかの「人生充実感=ささやかな心理的補償」をえている。結局,厚顔無恥的な反面教師の役目だけは,無自覚的次元において,非常によく果たしている。
3) 以上のごとき大学・大学院の教育条件や研究環境となれば,つぎの『東洋経済 ONLINE』の記事,田中圭太郎「『大学院進学』の減少が止まらないこれだけの理由 進学希望は多い一方アカハラや学費等の悩みも」『東洋経済 ONLINE』2023年6月29日 5:40,https://toyokeizai.net/articles/-/67930 の解説が,日本の大学院における教育・研究環境には〈夢も希望〉もない現状を教えている。
さきに,田中の同記述の「page=2」の前半を,画像資料にして紹介しておくので,これも参照してからつづく段落を読んでほしい。
その,田中圭太郎:ジャーナリスト・ライター 「『大学院進学』の減少が止まらないこれだけの理由 進学希望は多い一方アカハラや学費等の悩みも」『東洋経済 ONLINE』2023/06/29 5:40,https://toyokeizai.net/articles/-/679305は,初めの頁に上の図表をかかげてもいたが,全体の記述は以下の見出し(▼-1・2・3・4)をかかげ論説していた。
本ブログ筆者は若いころから,「学問研究」に対する心構えとしてもつべきだと考えたことがらには,つぎのような条件があったはずだと確信してきた。
★-1「父殺し・母殺しの学問精神」。これは,ジークムント・フロイト「精神分析学」などの知識である。
心理学においては,〈母親殺し〉や〈父親殺し〉に非常に重要な意味をもたせる考えかたがある。「エディプスコンプレックス」は,息子による父親殺しを重視した。
カール・グスタフ・ユングは,息子による母親殺しを母親から独立するための重要な発達段階と考えた。男性のばあい,その「殺害」はとくに,心理学上の比喩的な意味を有する。
エディプスコンプレックスは,男子が父親に対して強い対抗心を抱き,母親を確保しようと思うという〈アンビバレント(二律背反)な心理〉の状況を指している。
学問・学会(学界)の世界における話に移してでいえば,若手研究者にとっての《老年層の教授たち》は,いわば研究体制において「母親と父親の双方」の役割を果たしている。これはしかも,精神分析学の対象:「幼児期における問題」ではない。りっぱな,すでに1人前になっている「他人同士・大人同士間の話」:かけ引きの問題である。
ところが現実の事態は,菅原 琢が指摘したように,学会の「組織内部の病巣」がいつのまにか発生し,増長していくなかで,いまもなお,〈解決にみとおし〉などほとんどつかない「学会の研究環境」が形成されていることになる。
しかも,その悪環境の問題は大学院教育の指導体制のなかにも移植され繁殖しており,これがいっこうに収まらない。大学院生を囲む勉学・研究のための日常的な生活条件は最悪だと観ても,なんら不思議ではない。
そもそも大学院重点化政策は,国家的な見地からの発想だったというよりは,文部科学省の利害や大学側の損得勘定,教授会側のミエなどが奇妙にからんだ,いわば畸型の文教政策の一環であったゆえ,そもそも成功などするわけもなかった。
そのうえ,大学院重点化政策が開始されたころからは,この日本国は「先進国から徐々に転落していく「失われた10年」を,いまとなってはすでに3周回目まで走破(!)してきたせいもあって,大学院生を増やしたところでこの教育課程まで勉学を積み上げてきた人材を受け入れる態勢が,いまだに不備・不全であった。
産業界側は,理系で修士課程を修了した者はともかく,博士課程まで研究をしてきた高度人材を生かすための用意が,もともとなかった。
そういう大学院教育の実態だとなれば,この項目で語ってみたフロイドもユングもあったものではない。それ以前の地点で,大学院の教育が必要だというかけ声だけがむなしく響いていた。
★-2 先達の「肩の上に乗って」学問・研究を前進させうるか?
12世紀に入ると,フランスのシャルトル大聖堂附属学校で活躍し,プラトン哲学およびアラビアの自然科学の成果を統合した〈シャルトル学派〉と呼ばれる,ベルナール(Bernardus:ベルナルトゥス,→ベルナール)を中心とする思想家たちが登場した。
このシャルトル学派が12世紀に表現し,17世紀になってニュートン(Isaac Newtno))が引用し,有名になったことばに “Standing on the Shoulders of Giants” という文句がある。
ベルナールが「巨人に譬えた」のは「古典・古代からの学問」であった。つまり,「自分たちは小さな者である」けれども,「巨人の肩に乗る」ことができれば,「巨人よりも多くのもの:遠くのものをみることができる」と主張したのである。孔子のいった「温故知新」に相当する。
--角度をかえて本来の話に戻る。学会という研究組織にあっても,「先達・先輩・老年の研究者が巨人となって」「若輩・若手・新人の研究者」を,自分たちの〈肩〉に乗ってもらうという重要な役目を果たすべき〈立場〉に移っているはずであった。
ところが,実際の話となると,どの学会でも同じであるが『巨人』とみなせるような,度量と器量をまともに備える研究者はマレにしかいないか,あるいはどこをどうみまわしても,該当する人物が存在しない。
大学や研究所でそれなりに自分の研究課題にとりくみ,これに関する成果をあげている教員や研究者ならまだいい。ところが,その大学教授が研究職としての意気や意欲に関していえば,すでに身も心も枯れはててしまい,その後における自身の生きかたを,ただ「学会活動という人生(余生?)の活路」にみいだすほかなくなった老年の教授・研究者たちが,前段に指摘・解説した『巨人』になれるかといえば,トンデモナイ,もとよりおよびでなかった。
★-3『巨人』になれないのであれば,せめて「後進のための肥やし」となれ!
結局,老年教授側においてできることいえば,若手研究者への「イジメ」になるような〈学会活動〉であって,けっして『巨人』の役割を果たすことではない。巨人になりうる実力も実績もなにもない彼らにそのような期待をかけることじたいが,そもそも「期待外れ=的外れ」なのであった。したがって,この事実=実情をばらすような,とくに若手研究者の言説,それも「優れた研究成果」の登壇は,老年教授側において〈極度に恐怖の対象〉となる。
「批判の自由のない学会(学界)」であれば元来,そもそも「学会」を称する資格すらないはずである。しかし,老年教授連が実質支配する学会においては,正当・妥当でまっとうな批判を披露したところで耳を貸さず,蹴ちらされるのがオチである。
ましてや,老年教授たちが『巨人』にはなれなくとも,せめて「後進研究者たちの肥やし」になる覚悟があればいいのであるが,この覚悟とは無縁の意識世界に生息している彼らに対して,なにかを期待をすることじたいが大きな間違いなのである。
今日は,後進:若手研究者たちへの「肥やしにすら,なれそうもない」凡百の教授たちに対しては,たいそう気の毒な話題をもちだした。どの学問の世界においてもそうであると思うのは,「巨人として肩」を貸してあげられるような研究を挙げられる者は,ごくごく少数しか存在しないことである。
しかし,せいぜい後進:若手研究者たちが学問・研究の環境においてさらに,よりよい条件をえられるように犠牲になるのが,老年教授たちの最低の義務〔任務〕ではないか。捨て石ということばがある。
「彼ら」がその石〔その踏み台!〕にもなれないままに現役でいるかぎり,結局「俺が,オレが……」という具合に,年長組の立場からいつまでも学会の実権を握っているつもりであれば,日本の「諸」学会はこれからも学問の進展に寄与できないどころか,これを抑制・圧殺するごとき逆機能しか果たせない。
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