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もうすぐ1923年9月1日関東大震災から百年経つ日が来る,東京都知事小池百合子の頑迷なる「区別」以前の差別観

 ※-1 大地震のどさくさに紛れて隣国人を大量虐殺していても恬と恥じないでいられるのか?

 a) 2023年のこの夏も7月中から暑い日が続いていたが,この8月が終わると翌日9月1日は今年の場合,関東大震災からちょうど百年となる節目の日を迎える。

 ここで比較していうと,2011年3月11日に発生した東日本大震災のほうが,地震の規模や東電福島第1原発事故を発生させた自然災害としては,はるかに甚大かつ深刻であった。マグニチュードは 9.0であって,世界史的にも超特大に属する地震の一例であった。

 しかし,いまから1世紀前の9月1日に発生し,多くの犠牲者を出した関東大震災は,東日本大震災に比較するに,地震の規模マグニチュード 7.9であったものの,人口が集中している関東地方南部で起きていた。そのために,日本人自身に非常に犠牲者が多く出た。

 しかし,それのみならず,地震を原因としたのではなく,被災者である日本人庶民たちの手にかかって虐殺された朝鮮人や中国人,そして同じ日本人でも社会主義者や無政府主義者までが,こちらは官憲の手にかけられがかたちで,ついでに殺されるという事件にまで起こされていた。

 b) ところが,関東大震災直後の朝鮮人や中国人,さらに社会主義者(日本人)に対する虐殺行為を,どうしても認めたくない都知事小池百合子は,当人に固有であるきわめて低次元のネトウヨまがいの排外主義,

 つまり,けっして正直ではない「歴史の否定と無視」を貫く理不尽であって,もとより科学的・合理的な根拠・理由などなにもないにもかかわらず,自身の差別観を丸出しにして,なおかつ自身のその観念を絶対視してやまない人間として,しかも「現職の都知事」として「現に存在する」。

 この日本国東京都はとても惜しいことだが,世界的な次元での国際政治においてなんら抗弁できる材料などもちえない隣国人差別をおこなう首長をいただいている。 

関東大震災被害図・東京市

 c)「歴史の事実」に関する確認(認知そのもの)よりも,「自身の主観」にもとづく「歴史の否定」に熱心な小池百合子都知事,在日アジア系の住民に対する「根っこからの排外的な歴史認識(?)」を抱く彼女は,石破 茂流にいえば「正直で公平な観方」の完全なる欠落をみずから自白してきた。

 いまどき,関東大震災直後に発生していた事件,朝鮮人などに対する虐殺行為を直視したくない都知事の立場は,いったいどういう痴性(異様な神経)に支えられているのか,とても不思議であり,まともな理解ができないくらい不可解であった。

 しかし,そうであっても,この記述は,いろいろと関連する問題を分析し,批判的に吟味することにしたい。

 なお本記述は,2018年8月31日,更新 2021年9月2日,再更新 2023年8月7日〔本日の改訂〕となっている。

  要点・1 東京都知事として小池百合子が関東大震災直後に虐殺された無辜の朝鮮人や中国人の慰霊をしたくない精神構造は,他民族差別・異人種排斥という許されない政治家としての確信(?)的な誤信念にもとづく

  要点・2 当初は「慰霊する気持」を前知事(石原慎太郎)がやったどおりに送っていたものの,極右反動の政治勢力からの圧力を受け,いきなり方向転換した彼女の立場は,

 「自身の無節操さ」に関する反省も弁明ももちろんなく,当然,どうみても説明できないまま〈自分の意地〉にだけこだわりつづけており,最近はどうも「冴えない政治屋となった小池百合子」都知事の精神的な錯綜は,都政史に汚点を残した

  要点・3 「眞子さまと小室さん」という呼び方が当然になされる「日本国頂点の政治社会問題」にも関連するのが,本日「論点の議論」である。この要点・3は分かりにくいが,本文の記述に入れば徐々に理解してもらえるはずである

小池百合子都知事なりの差別感

 

 ※-2「前 論」の考察

 まず, 2021年の9月2日までの数日間になされていた報道から,つぎの記事を拾って紹介しておきたい。2年前の出来事であったが,2023年の8月時点にも,このまま妥当する内容になっている。

  1)「小池知事,5年連続で追悼文送らず『東京オリパラ開催地の首長としてふさわしいのか』朝鮮人虐殺追悼式典」『東京新聞』2021年9月1日 20時05分,https://www.tokyo-np.co.jp/article/128280

『東京新聞』記事

 1923年の関東大震災直後に発生した朝鮮人虐殺の犠牲者を追悼する式が〔9月〕1日,東京都墨田区の都立横網町公園で営まれた。1970年代から歴代の都知事が追悼文を寄せてきたが,小池百合子知事は今〔2021〕年も追悼文を送らず,就任翌年の2017年から途絶えたまま。参加者らは知事に対し「過去に真摯に向き合う勇気を」と訴えた。

 補注)小池百合子都「知事に対し『過去に真摯に向き合う勇気を』を期待したところで,初めからないものねだりであった。この政治屋・女史の生き方を多少でもしれば納得いくことだが,この人は,その時その時の情勢の流れにうまく乗りながら,いかに自分の私利我欲の実現を最大限に果たすかという1点にしか関心がなかった。

 小池百合子の立場は「過去における歴史の問題」などどうでもよいことであった。と同時に,極右的な政治屋精神を判断基準とする「政治屋としての意思決定」しかなしえなかった。その点は,つぎの 2) に移ってから引用する記事の内容を当てはめていえば,彼女も “その裁判” で負けた人の立場と同一側にあった。

〔記事に戻る→〕 関東大震災ではデマにより多数の朝鮮人や中国人,日本の社会主義者らが虐殺された。式は,日朝協会都連合会などでつくる実行委員会が主催。新型コロナ感染予防の観点から,一般の参加はなく,曇り空のもと,数十人の関係者のみでおこなわれた。

 都慰霊堂の横の追悼碑を前に宮川泰彦実行委員長(80歳)は「世代を超えて伝承していくことがいまを生きる私たちにできること」とあいさつ。震災発生の午前11時58分に参列者が黙とうし,追悼碑に献花した。

 在日本朝鮮人総連合会東京都本部の梁 春植副委員長は追悼の辞の中で「知事の姿勢は東京オリパラ開催地の首長がとるべき行動としてふさわしいだろうか」と批判した。

 今年は韓国で人権問題に取り組む市民団体「独立」から初めて追悼メッセージが届き,日本政府の公式謝罪や虐殺の真相究明を求めた。

 2) DHCテレビに賠償命令,「ニュース女子」の名誉毀損認める…辛 淑玉さん『悪質なフェイクニュースだった』」『YAHOO!JAPAN ニュース』2021/9/1 (水) 16:42 配信,https://news.yahoo.co.jp/articles/3c67bf198faab464d0c84f245b06551f20d1601e(元記事『弁護士ドットコムニュース』)

 沖縄の米軍基地反対運動をとりあげた番組「ニュース女子」で,名誉を傷つけられたとして,市民団体「のりこえねっと」共同代表の辛 淑玉(シン・スゴ)さんが制作会社のDHCテレビジョンなどを相手取り,損害賠償1100万円などを求めていた訴訟の判決が9月1日,東京地裁であった。

 大嶋洋志裁判長は名誉毀損を認め,DHCテレビに550万円の賠償と謝罪文の掲載などを命じた。番組の削除は認めなかったが,判決が確定すればウェブで番組を公表しつづけるかぎり,同ページ内に「事実と異なる内容」「辛 淑玉氏の名誉を毀損したことを認め,辛 淑玉氏に対し深くお詫び致します」などとする謝罪文を掲載しなければならない。

 判決後の会見で辛さんは「とても画期的な判決をいただいた。番組は私を使って,沖縄の平和運動を愚弄するという,もっとも悪質な形のフェイクニュースでした」と語った。ただし,一部主張が認められなかったとして,控訴する予定だという。

 一方,DHCテレビ側は,判決内容について生放送番組を配信。こちらも判決を不服として「控訴の運びになる」とした。

 ▲-1 真実性,真実相当性を認めず

 DHCテレビジョンは,化粧品大手DHCの子会社で「ニュース女子」を制作。2017年1月2日と1月9日に TOKYO MX で放送された回で沖縄の米軍基地反対運動をとりあげた。このなかで,基地反対派が警察などに対して暴力や犯罪行為などをしており,辛さんが経済的に支援しているなどと報じた。

 この点について,裁判所は「真実性が証明されているとはとうていいえない」と判断。「根拠として薄弱」「裏付け取材をしていない」などとして,真実相当性についても否定し,辛さんの名誉を毀損するものだとした。

 なお,辛さんは,番組司会だった長谷川幸洋さん(当時・東京新聞論説副主幹,2018年に定年退職)も訴えていたが,裁判所は長谷川さんが企画や制作などに関与しておらず,収録時点で各出演者の発言を具体的に把握していたわけではないなどとして請求を棄却した。辛さんはこの点についても控訴を予定しているという。

 つぎの『東京新聞』2023年5月1日の報道は,その後における関連を伝えたものである。

その後における裁判の経過

 ▲-2 「一行でも良いから人種差別と記載してほしかった」

 判決後の会見で辛さんは,番組は「私にとって犬笛でした」として,多くの攻撃にさらされたことも語った。

 「日本人ではないということ,日本人ではない私が反戦運動に声を上げること,沖縄のことに思いを馳せること,そこを巧みに利用されたように思います。そのことで受けた仕打ちはむごいものだったと思います」。

 番組をめぐっては,BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会が2018年3月,人種や民族を扱うさいに必要な配慮を欠いていたなどとして,TOKYO MX に対して,再発防止の努力をするよう勧告していた。

 裁判で辛さん側は,番組が人種差別であるとも主張したが,裁判所は明示的な判断はしなかった。

 この点について,辛さんの代理人の佃克彦弁護士は「ほかの名誉毀損訴訟と比べて,賠償額はきわめて高い。人種差別的であることが,『諸般の事情』に含まれているとは思うが,明示的に書くのはむずかしかったのではないか」と語った。差別を包括的に禁止する法律がないためだという。

 補注)日本には整備されたまともな「人種差別法」が存在しない。ただし2023年7月23日,性的少数者(LGBTQ)への理解増進法が施行されている。その正式名称は「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」。

 この第1条「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資す」ための「自民党性的指向・性自認に関する特命委員会が法制化を進めている法案」としてであったが,最初から徹底を欠いた法律して成立し,施行されている。

 この正式名,LGBTQ理解増進法(健康増進法じゃあるまいに)は,審議の過程で「不当な差別」という文言を工夫してひねり出し,差別には妥当な差別と不当な2種がありうるなどといいだし,その頭中の神経回路を疑わせていた。

 「差別は不当だから差別である」ことは,先刻承知のことがらであって,これをわざわざ「不当ではない差別がある」などといいたいらしく,論理矛盾以前の幼稚な発想がまかり通っている。

 「不当ではない差別」は通常「区別」といい,そこに「差別ということば」を使える余地などない。この国では日本語までがアベ風に溶融しだしている。

LGBTQ理解増進法

〔記事に戻る→〕 9月1日は,1923年に関東大震災が起きた日でもある。震災では,デマにより多くの朝鮮人が虐殺された。辛さんは差別の扇動は罪深いとして,「一行でも良いから人種差別と記載してほしかった」とも語った。(引用終わり)

 化粧品大手DHCの子会社であるDHCテレビジョンが「ニュース女子」の放送を介して,辛 淑玉に向けて放った “差別と侮蔑のための悪質な発言” は,問題となってから今日まですでに6年半が経過した。

 DHCという会社の経営者が在日韓国・朝鮮人に対して,時代がかった露骨な差別を,それもかなり幼稚にも聞こえる次元でおこなっていた。その事実は,たとえば2021年の5月時点においてだが,つぎの 3) のように報道される実例となって登場していた。

 3)「DHC会長,新聞折り込み広告やCM出稿を断られたと綴る。在日コリアンへの差別問題 化粧品大手DHC社が,公式オンラインショップ上で在日コリアンへの差別的な文章を掲載している問題」
 『HUFFPOST』2021年5月13日 21時17分,https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_609d07bce4b0daf2b59dd703

【上記記事での断わり】 この記事では差別表現を取り上げており,その文章について一部記載しています。閲覧するさいは,ご注意ください。

 --化粧品大手「DHC」の吉田嘉明会長が,同社の公式オンラインショップ上に掲載しているコラムを〔2021年〕5月13日までに更新し,同社製品を宣伝する新聞の折込広告の掲載を,折込会社から断わられたと明らかにした。

 また,日本テレビにCM出稿を申しこんだが拒否されたと同社は主張している。同会長はコラム上などで在日コリアンに対する差別表現を繰り返しており,問題視する声が相次いでいた。

 ▲-1 折込会社から「猛烈な拒否」

 吉田会長は公式オンラインショップに掲載している文章で,2020年11月,競合他社であるサントリーについて「CMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人」などと根拠を提示せずに主張。

 さらに,〔2021年〕4月10日までにこの問題について報じたNHKを名指しし,「NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系である」などともつづった。

 補注)サントリーとNHKに関するこの指摘は,具体的に説明されていない。この「 × × は」「ほとんどがコリアン系である(だから悪い,けしからんのだ!)」といった決めつけ,紋切型のセリフは,差別をおこなう者たちが乱用したがるいいまわしであった。

 そのヘリクツを逆さまにあてはめていうと,「善人はほとんどが日本人系である(だから日本人はまじめで正直なのだ!)」という理屈にもなるわけだが,日本中から刑務所がなくなってという「歴史の記録」は一瞬たりとてなかったはずである。

コリアン系はいけない?

 〔2021年〕5月13日までに,同会長は新たな文章を公開。DHCはコラムに関するハフポスト日本版の取材に対し,「折込チラシを作成している」と回答していたが,断わられたために今回の文書掲載に至ったとみられる。

 今回の文章のなかでは新聞社・テレビ局らへの批判にくわえて,これまで同様に在日コリアンらへの差別発言も繰り返した。

 同会長は,商品を宣伝するため新聞の折込チラシを作成したところ,「折込会社の猛烈な拒否にあい,結果として折り込みは頓挫してしまいました」と主張。折込チラシには,「唾棄すべきコリアン系有名人数名を実名で掲載していた」という。

 さらに,日本テレビにスポットCMの広告出稿を申しこんだところ断わられたともつづった。

 ハフポスト日本版は,DHC社の広告の取り扱いについて民放テレビ局各社に質問状を送付しており,日本テレビからは5月11日に返答があった。同社は「個別の企業のCMに関してはお答えしておりません」としたうえで,「CMに関しては,放送基準に基づき内容が適正であるかを判断しています」と回答していた。

 ▲-2 法務省は,「特定の民族や国籍の人びとを,合理的な理由なく,一律に排除・排斥することをあおり立てるもの」や,「特定の国や地域の出身である人を,著しく見下すような内容のもの」をヘイトスピーチと定義。「国籍,人種,民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」と呼びかけている。

 問題をめぐっては,同社との間で包括連携協定を結んでいた高知県南国市が,「差別を助長する発言を掲載している」として,協定を解消することを決定している。また熊本県合志市は,連携協定を凍結する方針。(引用終わり)

 DHCという会社の経営者は,遠慮容赦なしに韓国・朝鮮人に対する差別言動を,それも会社という組織の勢力(個別経済の権力構造)を背景におこなっていた。また,その差別に相当する発言も振るっていて,サントリーについて「CMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人」だという決めつけは,噴飯モノであった。

 そうであるという証拠がたとえあったとしても,いったいそのなにがいけないといいたのかという点からして,理解不能である。欧米系の白人「ばかり」がCMに出ていれば好ましい,オーケーだ,ということなるのか。反問するのもバカらしくなるが,日本社会のなかではこういう反論も不可欠であった。

 なお,このDHCによるサントリー攻撃の不当性については,古谷経衡「DHC会長の『差別文章』の背景と “三度目のサントリー攻撃”」『YAHOO!JAPAN ニュース』/12/17 (木) 12:56,https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20201217-00212964 が歴史的な背景をからめて〈本質〉に迫る解説を試みていた。

 さてここで本題,小池百合子都知事の話に戻る。
 

 ※-3 本ブログが以前,2018年8月25日に記述していた文章を,ここに復活させておく

 a) 本ブログの記述だといっても,筆者が運営していた「以前の旧ブログ」の「2018年8月25日における記述」を,以下に復活・公開することにした。

 とりあえず,その主題と副題だけを書き出しておく。本文のほうは,後段であらためて再掲していくことになる。

 主題:「おフランスは大好きだが韓国(朝鮮:アジア)は大嫌い(?),小池百合子都知事にまともな国際感覚は備わっているのか,欧米コンプレックスとアジア差別的な潜在意識」

  副題「関東大震災で虐殺された朝鮮人・中国人も,この大地震で死んだ日本人も『同じ犠牲者だ』だったのだから,その死については『なんら質的な差異はない』などと,大真面目にのたまえる『不思議な都知事:小池百合子』流の『奇怪な理屈』,その意識下に隠されている極右的なアジア人差別の感情」

  副題「『小池百合子という都知事』は,カイロ大学を卒業しているから通訳ができる程度の実力があると公称されていた。ところが,そのアラビア語の運用力は,実は流暢に(というよりは中級程度にも)駆使できていなかった事実が暴露されていた。これはアラビア語を専門とする識者の指摘である」

  副題3「エジプト人の知識人は,小池氏のアラビア語は『日本で6カ月やった程度のレベル』であり,しかも『ハチャメチャ』であると喝破していた。一事が万事」

小池百合子都知事の差別意識の内的構造

 この表現だけでも,本日の記述につながる核心に控えていた,すなわち「小池百合子という現・東京都知事の本性」から噴出していた問題は,事前におおよそ指摘できるし,その見当もつく。

 本日〔ここでは2021年9月2日で〕のこの記述は,ここまでの議論を受けたかたちで,「関東大震災直後における朝鮮人などの虐殺行為」に関する考察となる。

 要は,小池百合子都知事は,関東大震災直後に起きた大事件「朝鮮人虐殺行為」を,どうにしてでも認めたくない感性を,それもたいそう正直にだったが,しかし結局は,きわめてあいまいな態度で表現しつづけてきた。

 あえてほかの場合・出来事・事情に例えていえば,こう語り方も許されることになりそうである。

 大東亜戦争中に「ガンで病死した人間」(日本国内の日本人)も,旧日本軍731部隊によって「病原菌を人工的に移されてなどして死んだ:殺された人間」(主に「満洲国」にいた中国人)も,おたがいに同じ「死」としては気の毒な事象:出来事であった,と。

 だからこの場合,とくに後者の「歴史の問題」(日中戦争中の非人道的な残虐行為)に関してであっても,この人数の理解をめぐる論点には異論もある(?)のだから,前者(病死)からわざわざ引き離すかたちでとりあげ,問題にしておく余地などないのだ,というのに等しい。

 小池百合子都知事の理屈は問題の本質,その歴史の事実としてのあり方などについては,いっさい目をつむった状態で,ともかく関東大震災直後における朝鮮人「虐殺」行為を認めたくない立場・主義・イデオロギーを提示しているに過ぎない。

 彼女はただし,朝鮮人および中国人,これにくわえて日本人の社会主義者が殺された事実じたいを認めていないのではない。しかし,彼女はあくまで,大地震そのものが原因で犠牲者となった多くの日本人たち被災者〔のうち命を落とした犠牲者〕)と,その大地震の発生にともない殺されていった人びとを,別分類の範疇に仕分けしておく必要をいっさい認めない。

 つまり,大地震の「その直後に拡散させられた流言蜚語に乗せられてしまい,朝鮮人が暴動を起こしているなどと勘違いさせられたあげく」,「朝鮮人を何千人もの単位」で「殺しまくった日本帝国臣民や軍隊が存在した」というごとき「歴史に関する事実」にかぎっては,彼女はこちらの問題をすなおに認めたくなく,できればなんとかしてでも雲散霧消させておきたいと考えている。

 同じ殺されたにしても,一方では「地震という自然災害の犠牲者」(主に日本人たち)と,他方では「朝鮮人が暴動を起こしている」といった完璧なデマ=偽情報(フェイク・ネタ)を本気で信じてこんでしまい,それも非常な恐怖にとらわれたあげく,朝鮮人たちなどをまるで虫けら同然に殺しまくっていた大勢の庶民たちとが,「それぞれ別個にいた」わけである。

 軍隊も途中からくわわり,東京市の葛飾地区・四ツ木橋そばの堤防内では何百何十人であったかすら不詳であるが,朝鮮人たちを集めてきては,これに機銃掃射を浴びせては大量に殺戮してもいた。しかも,そののちになると,現場にいったん埋めておいた死体を掘り起こしては,どこかへ移動させ始末しておいたという史実まで記録(証言)されている。

【参考文献】-アマゾン通販の古本の価格はこのようにたいそう高騰させられている-

 小池百合子都知事はともかく,そうした「歴史の事実」を認めたくない政治家である。朝鮮人の犠牲者たちを別個にも慰霊する行為にかかわっては,歴代の都知事からの追悼文が送られていた。ところが,2016年においては同じに倣っていたこの都知事が,2017年になるとその追悼文を送らないと明言した。

 ただし,その理由について彼女がいままで説明してきた範囲内では,まだまともな説明になっていなかった。というよりは,いかにも無理〔筋のヘリクツ〕を隠している様子がありありであって,あえて道理を引っこめるほかない仕儀にもあいなっていた自身の立場のせいで,ひっくり返ったかのような様相を呈していた。どうみても,追悼文を送らないという理由づけをするための説明そのものが,うまく成立させえていなかった。

 彼女の立場からすれば,「歴史の事実」よりも自分自身の下しうる「歴史に対する “独自(?)の判断” 」のほうが,よほど重要であった。それゆえ「私に認められないものは認めない」といったふうに,個人の次元における「独特の歴史観」だけは,なんら説得性をともなわずに保持しているつもりである。

 b) 吉川 慧「小池知事,関東大震災の朝鮮人犠牲者めぐり持論『虐殺の事実から目を背けるもの』と批判の声」『HUFFPOST』2017年08月26日 18時25分 JST,更新 2017年08月26日 22時44分 JST,https://www.huffingtonpost.jp/2017/08/26/yuriko-koike-great-kanto-earthquake-of-1923_a_23186257/ から。

 昨年〔ここでは2017〕年から,小池百合子が「都知事の立場」でもっていい出していた「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」に対する基本姿勢は,歴代の都知事とはいわば “百八十度近く” 転回していると解釈されていい,異常な「冷酷さ」を披露していた

 この b) に挙げた吉川 慧の議論(記述)のすべては引用できないので,つぎの段落のみ紹介しておく。

 吉川の文章のなかに付せられた見出しの文句は,つぎの3項〔 イ) ロ) ハ) 〕になっていた。「⇒以下」には簡単な議論(引用の寸評)を添えておく記述としたい。

 イ)「小池知事『民族差別の観点というより,災害の被害で亡くなられた方々の慰霊を』」

 ⇒この「厳然たる民族差別の観点」は,なんとか棚上げ状態にしておきたい小池百合子の考え方は,「地震の犠牲者の全体」のなかに「虐殺された朝鮮人など」も,丸めこむかたちで含めておき,つまりその相違性を取りのぞく,もとより無視な〈観念の操作〉をほどした。

 いいかえれば,その民族差別の観点を大地震という「自然災害の犠牲者全体」のなかにつつみこむことで,つまり,両者のあいだにあれば「決定的で明瞭である差異」を,あえて意図的に無化させたうえで,双方を無理にでも共通させておくことで,ひとくくりにしたつもりになっていた。いってみれば,「やりくり算段」的な主張をもってであったが,非常にみえすいた非理があえて提示されていた。

 前段の記述に似た例えになるが,戦争中に国内で交通事故で死んだ庶民の事例も,中国戦線に動員された父や夫,オジさん,兄・弟などが戦場で戦士した事例も,死そのものとしては「同じ死だ」という論法(ヘリクツ)を運用したのが,小池百合子都知事流の認識方法であった。

 その立場は『死という普遍的な概念』に関しての考え方となる。ひとまず「結果として同じ〈死〉」であれば,なんでもかんでも,ともかく「死としては同じ」である。だから「交通事故での死」も「戦場での戦死」も「病院での病死」もそして「単なる老衰死」も,どれもこれも「死んでしまったこと」に関していえば,みな同じである。

 したがって「みな同じ〈死〉として共通に受けとめておけばいい」ことだし,いずれにせよ「どれもこれも皆悲しいのだ」から,わざわざそれらを区別して考える余地はない,といったふうな《トンデモな理屈》になる。

 小池百合子流の考えにこだわりたいのであれば,戦争に駆り出されて死んだ父や夫,オジさん,兄・弟たちが靖国神社に祭神として合祀されるべき理由は,結局のところなにもなくなる。

 しかし,小池百合子都知事流の思考方式だとしたら,また別に考えることもできる。こちらの靖国の「話題:事例」に関しては,そういった流儀にはいかない。戦士:軍人の死亡(戦没者)者は特別であって,靖国神社にその御霊が祀られる必要がある。と,そのように多分,いいはるはずである。

 だが,今回における問題,関東大震災時における朝鮮人虐殺の件についてだけは,なぜか,「死」そのものについては「同じ死」なのだから別枠で特別視する必要はなく,ましてや追悼文を都知事が送る必要などないという理屈になっていた。この期に及んで立場・意見は以前の都知事たちとは完全に異ならせていた。それも,いかにも冷酷で非情な本性がムキ出しになっていた。

【参考文献】-最近公刊され評判の本,同じ日本人でも四国出身者集団が関東大震災に遭遇したさい,同じ日本人に殺されていた。なぜかというかと話すコトバが関東人には分からないから,これはチョウセンジだ殺せ,となっていた-

 この本,辻野弥生『福田村事件』五月書房,2023年7月の「まえがき」は,小池百合子に向けて,こう批判している。

 小池都知事は「すべての方々への抱擁をおこないたい」という意味から,特別なかたちでの追悼文は控える」ということらしいが,『特別のかたち』とはなにを指すのだろうか。災害で亡くなった人びとと,虐殺された人びとをひっくるめて考えることじたい,無理がある。そこには,植民地化を正当化し,朝鮮人をさげすむ態度がひそんでいないだろうか(6-7頁)。

辻野弥生『福田村事件』から

〔本論に戻る→〕 ともあれ,以上のような議論は一般論としては,いかにも不毛でありかつ無意味な要素を含有している。

 だが,小池百合子都知事なりに打ち出している「理屈の展開」に接していると,彼女に特有であるその根本の間違いを指摘するためには,とりあえずこちら側でもそれに即して併せた議論をせざるをえない。

 ということでその点にかぎっては,即応的にだが,とても「奇妙な論理の展開」をさせつつ,あえて「反論・批判する」ことにならざるをえない。

 ロ)「追悼文の取りやめ,背景は自民都議の都議会質問か」

 ⇒たしかに,自民都議が関東大震災直後における朝鮮人虐殺に関する人数を問題する質問をした点が,小池百合子が都知事として2017年9月1日の慰霊行為のさいからは,追悼文を送らない背景事情になっていた。

 だが,この小池の態度は,自分が本来抱き願っていた方向性を,うまい具合に指示してくれたともいえる,その都議の「都議会における質疑」をテコに使う要領でもって,「関東大震災直後において虐殺された朝鮮人犠牲者」を別枠で追悼する儀礼(追悼文の送付)を拒否する理由に転用(悪用)していたと解釈できる。

 ハ)「主催者側『虐殺の事実から目を背けるもの』と抗議,識者からは批判の声」 

 ⇒要するに,小池百合子都知事の立脚点(政治的なイデオロギー)は明解である。

 「私が嫌なこと,認めたくないもの」である「関東大震災直後の日本人たちによる朝鮮人の虐殺行為」は,歴史の事実から抹消したいのである。だから,自然災害であった関東大震災の犠牲者全体のなかに,同じ被害者として「日本臣民たちに殺された朝鮮人たちもいっしょに封入しておけばいい」みたいな,コジツケともヘリクツともつかない “無理筋の論法” を駆使しようとしていた。

 彼女が「関東大震災直後に発生した朝鮮人などの虐殺行為」に対して堅持している,それもイジマシイほどの「全面否定をしたい心情としての観念の思考」は,「歴史の事実」そのものを歪曲する立場そのものを,その典型的な見本のごときに明示していた。

 それだけでなく,当該問題に関していいえば「その本質にかかわる核心の論点」からは,できるだけ逃避していたい志向性(気分)も丸出しにしていた。
 

 ※-4「小池氏,虐殺にあいまい発言 朝鮮人犠牲者への追悼文見送り」『朝日新聞』2018年8月31日朝刊32面「社会」

 1923年の関東大震災から95年となる〔2018年〕9月1日,東京都墨田区で朝鮮人犠牲者の追悼式典が開かれる。小池百合子・東京都知事は,歴代知事が寄せてきた式典への追悼文送付を昨〔2017〕年〔から〕中止し,今年も再開しないと通告した。これに対し,朝鮮人虐殺についてあらためて学ぶ動きも出ている。

 追悼文の送付が始まったのは1974年のことだ。

 関東大震災50年の1973年に向けて,「暴動を起こした」というデマで殺された朝鮮人犠牲者らの記録を残そうとの機運が高まり,証言集めや追悼碑の建立が進められた。とり組みの協力者には,当時の美濃部亮吉知事や都議会全会派が名を連ね,碑は1973年9月,墨田区の横網町公園に建立された。

 翌〔1974〕年から始まった追悼式典に,美濃部知事は「51年前のむごい行為は,いまなお私たちの良心を鋭く刺します」と追悼のメッセージを寄せた。以来,歴代知事は毎年追悼の文章やメッセージを寄せてきた。

 小池知事も就任1年目は追悼文を送った。しかし,昨〔2017〕年8月,「すべての方々への法要をおこないたいという意味から,特別なかたちでの追悼文は控える」と中止した。
 
 補注)この形式論理的に最初から破綻している理屈は,「すべての方々への法要をおこないたいという意味」(になる一般的な抽象論の定義)から,特別なかたちでの追悼文は控える」(といった特殊的な具体論の排除)は,モノゴト・出来事に関する論理の思考として判断するに,最初から矛盾以前の無理なごり押しのヘリクツさえなりえない独断であった。

 別にたとえていえば,男も女も同じ人類・人間であるが,男性と女性の区別は認めず両性ともに人類・人間としての虚通性しか認められないという「暴論」以前のハチャメチャな「ド・ヘリクツ」に,小池百合子のいいぶんは相当する。

〔記事に戻る→〕 政府の中央防災会議の報告書では,朝鮮人殺害について「虐殺という表現が妥当する例が多かった」としているが,小池知事は虐殺の有無について,「さまざまな見方がある」とあいまいな発言を繰り返す。今〔2018〕年8月の会見でも「事実から目をそらすとの指摘もある」との質問に対し,「大震災で亡くなった方,それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方を,むしろ区別しないで慰霊する気持をまとめている」と回答を避けている。

 補注)小池百合子都知事の「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」に対する態度は,この大地震で犠牲者になった人びとを「区別しないで慰霊する気持」がより大事だという方向を向いている。

 彼女はその「さまざまな見方がある」とか「区別しないで慰霊する気持」という意向を口にしてはいるものの,その理由をどのように考えているから「こうだ,ああだ」という説明は絶対にしない。というか,もともとその説明などできるわけがなかった。

 しかし,「歴史の事実」に対する立場に関して,あえて「区別しない」点を強調したい小池の意向であったとはいえ,かえって,根本的な間違いだけは,意図的にも結果的にも解消できるはずがなかった。それはどういうことになるかといえば,つまり「区別しない」とした立場からだと,その「区別しておくべき虐殺された朝鮮人たち」の歴史的な事実とその意味を,全面的に否定するほかない。

 その指摘は「彼女の主張の結果」についてなされる余地はなかった。そうではなく,最初から小池百合子都知事の心中に抱かれていた意図に対して「批判が向けられればよく」,その「非論理的で卑怯な逃げの姿勢」に対してこそなされるべきものであった。

 なんども繰り返していうが,関東大震災直後に虐殺された朝鮮人数千名(一番多い統計は6661名)もの人びとが,どう分類していったらこの大地震そのもの:自然災害を原因とした死者:犠牲者全体といっしょにされ,ひとくくりにできるのか不思議である。これは理屈以前の理解に属する問題であった。

 「区別しない」ことにしてはいけない対象に向かい,あえて「区別なし」としてあつかったうえで,同一集団のなかに無理やりに押しこんでいるのであれば,

  その「虐殺された朝鮮人側の事実」と「虐殺した日本人側の事実」(ただし日本人も朝鮮人だと間違えられた多数殺されていたが)との区別を認めたくない「観念:事前調和観」をもって,朝鮮人大量虐殺という歴史の事実そのものをなきものにしておきたい欲望が,とことんバカ正直に告白されていた。

 小池百合子都知事の理屈にしたがいその区別はしないでおき,独自に解釈したうえで「すべてをまぜこぜ」にしておけば,「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」(の犠牲者たち)は,この大震災の犠牲者全体(全数)のなかに均質的に紛れこませることができる。むろん,虐殺されたという《大事》も後景に追いやり希薄化できるゆえ,それへの関心を遠のかせ薄めることができる,という寸法であった。

〔記事に戻る ↓ 〕

 ☆ 歴史,あらためて学ぶ動き ☆

 あらためて歴史を伝える動きもある。東京都新宿区のNPO法人「高麗博物館」は,画家や小学生が描いた虐殺場面とみられる絵の企画展を開いている。

この絵画は最近さらに案内されてもいた

 童画家の河目悌二(かわめ・ていじ)が描いたとされる「関東大震災朝鮮人虐殺スケッチ」には,河川敷で殴られる人,血を流して横たわる人,軍人や警察官らしい人が多数描かれる(上図)。

小池百合子都知事のみたくない絵画

 日本画家・萱原白洞(かやはら・はくどう)の絵巻「東都大震災過眼録」は,後ろ手にしばられた男女に棒で暴行を加える群衆を描く(上図)。補注)この上の絵画については,こういう関説をしておく。

 北原糸子「描かれた関東大震災-絵巻・版画・素描-」,神奈川大学『年報 非文字資料研究』第6巻,2010年3月,19頁の理解によると,この絵画はつぎのように分析されている。

 引用する段落のみでは,説明が分かりにくくなるほかなく,どうしても混濁している箇所がある。だが,あえてそのまま紹介してみたい。「分かりにくい点」がある表現は,なるべく分かりやすくする記述に変えてみる工夫をしてみた。

 しかし,それでもなお分かりにくい「分析上の人数あれこれ」ゆえ,ここでは仕方なくこのままで,ともかく読み流しておく程度で受けとってほしい「人数の計算」となっている。

東都大震災過眼録から
 
同上


 この絵画〔最上部の画をを指す〕に描かれている登場人物は140人

  服装は黒い法被,水色の法被を着た消防団が81人
  日常着(和服)が54 人,
  白い制服を着た巡査が4人
  チョゴリを着た人が2人

   補注)以上の人数の合計だと141人になる。

 このうち,武器に相当するものをもっている者は

  日本刀の消防団17人と和服姿3人
  鳶口の消防団13人と和服姿4人
  竹槍・棍棒の消防団21人と和服10人
  サーベルの巡査が3人
 
   補注)ここの人数に混濁した点はなく,このとおりに受けとればよし。 倒れている人〔とそのまわりの把握のこと〕。

 (負傷者か死者)と死体は23 人
  消防団9人と和服姿14人で

   補注)ここでは,死体の人数とそのつぎの人数が23人同士で,偶然の一致なのか,といったらおかしな計算となるゆえ,もちろん,それぞれに別の人数のこととみておくのが妥当。

  武器をもった人に襲われている人は,消防団法被姿1人と和服姿5人と数えている     

   補注)「1人+5人」=「6人」? ここでは登場している人物全員のことか?

  後ろ手に縛られて連れて行かれる人〔たち〕は消防団の法被を着た2人とチョゴリを着た2人と分析された 。

   補注)「2人」と「2人」で合計4人だが,なにかが分かりにくい。

 いずれも,新井勝紘館長(74歳,当時)が国立歴史民俗博物館(歴博,千葉県佐倉市)に勤めていた時に入手した。新井さんは遺族らに確認し,作者2人が地震後,震災の絵を描いていたという証言もえた。ただ,歴博で展示されたことはなく,高麗博物館が今回,複製を展示することにした。

 新井さんは,小池知事の追悼文中止について「虐殺の歴史に目をつぶることになりかねない」と思ったという。そんなとき「収蔵館が公開しない作品を,小さなNPOの博物館が展示する意味はある」という。

 企画展では当時小学4年生が描いた絵も展示した。芋畑に逃げこむ人を,大勢の人びとがとりかこんで暴行をくええている。新井さんは「どの絵も,記録しなければと突き動かされるように描いたものだと思う。過去にふたをせず歴史と向きあいたい」と語る。(引用終わり)

 本ブログは〔この2018年〕8月25日の記述をもって,小池百合子都知事流になる「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」を「否定し,抹消したい」論旨を批判してきた。

 そこには,最近作である西崎雅夫の編著2冊を(以下にかかげたが,「Amazon 広告」へのリンクもついている)紹介してみた。この本以外にも,「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」を歴史研究書として専門的にとりまとめた諸著作が,その後徐々に公刊されてもいる。

【参考文献】-アマゾン通販を介して紹介-

 だが,この西崎雅夫の2著のうちとくにあとに挙げた本は,「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」に関する証言を1100名分も集めて記録している。

 当時,日本人たちが朝鮮人・中国人,そして同じ日本人でも主義者であるみなした人びとを,平気の平左で殺しまくっていた「歴史の事実」を目前にみせられてもなお,小池百合子都知事のように

 「大震災で亡くなった方,それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方を,むしろ区別しないで慰霊する気持をまとめている」などと平然といえるのか? 

 差別主義者の典型的知識人であった石原慎太郎であっても,都知事のときは,9月1日の慰霊のさいには追悼文を事務的にであれ送っていた。

 結局,「大震災で亡くなった方,それに続いてさまざまな事情で犠牲になられた方を,むしろ区別しないで慰霊する気持をまとめている」というのは,「関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為」を認めたくない人間が,ヘリクツ的に吐いた迷セリフに過ぎない。

 小池百合子流になる「その文句を」より正確に翻訳するとしたら,「むしろ区別しないで」おくかたちのほうが,朝鮮人の犠牲者も「慰霊する気持として大事(?)にしてまとめている」のだという便法になっていた。

 しかし,実際におけるその便法の真意は,「朝鮮人は慰霊〔の対象に〕しない」「値しない」というあつかいでよいのであり,この点を,あえて表現の上でごまかすために「区別しない」といった “オタメゴカシ” をとなえていたわけである。

 ※-5 小池百合子の本性みたり-以前から指摘されていたこの女の機会主義的な本性-

 「小池百合子の正体が垣間見えた関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ」『まるこ姫の独り言』2017年8月24日,http://jxd12569and.cocolog-nifty.com/raihu/2017/08/6000-0ab3.html は,小池百合子のこと,つまり政治家として「このオンナ」が隠しもつ「暗い本質」=闇の面をこう描写していた。いまからだと,6年前の文章となる。 

 最近,小池百合子の正体というか立ち位置は,少しずつでも,白日のもとに晒されてきた。関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文送付をとりやめる方針を決定した彼女の魂胆は,みえすいていた。以下,『まるこ姫の独り言』に聞こう。

   ◆ 関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ 小池知事 ◆
         =〔2017〕/8/24 12:45 配信 =

 東京都の小池百合子知事が,〔2017年〕9月1日に市民団体の日朝協会などが主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に,都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが分かった。都知事は例年,追悼文を出してきたが,小池氏は今春,見直しを示唆していた。

 極右の石原慎太郎でさえ引き受けたものを,小池百合子は拒否した。少しずつ小池百合子の正体がバレて来たということだろう。小池百合子の名で都民ファーストは都議選に大勝利したが,都民ファーストの議員の面々がよほど信じられないのか,ブログやツイッターなど,個々が発信できる情報を制限したり,個々の判断で報道機関などの取材に応じることを禁じたりする内容の通達を出していたことなど,小池百合子の本質は極右で,全体主義というのがよく分かる。

 関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文送付の取りやめも,「6000人,虐殺の文言が正しいのか,正しくないのか特定できない」からとの理由だそうだが,流言飛語で犠牲者が出たのは事実なのだから,6000人という数字を用いなくても哀悼の意を表明することくらいできるだろうに……。まったく小池百合子も歴史修正主義者と同じ思考をしている

 広島・長崎の平和記念式典でもわかるように,日本国の不幸な出来事や過ちを2度と起さないよう,毎年新たな決意を示す意味ある式典で,それを数字にかこつけて断わる真意が嫌らしい。

 小池氏も昨〔2016〕年,「多くの在日朝鮮人の方々が,いわれのない被害を受け,犠牲になられたという事件は,わが国の歴史のなかでもまれにみる,誠に痛ましい出来事」などとする文を主催者に送っていた。

 去〔2016〕年と今〔2017〕年の顔がまったく違う。去年までは,犠牲にあった方々へ寄り添うような分を送付しているのに,今年は一転拒否。今年は自分が率いて来た都民ファーストが都議選大勝利したことで,わざわざ良い人ぶる必要がないと学習したのだろうか。

 都知事選,熱狂的に小池百合子を応援した都民は,小池百合子の別の顔をしっているのだろうか。人のよさそうなおばさま方がピーマンとかの緑の野菜や,緑の小物をもち寄って応援していた姿を思い出す。

 民進党の前原〔誠司〕は,民進党を離党した細野〔豪士〕や小池の子分である若狭〔勝〕とも連携を組みたくて仕方がないように見受けられるが,小池百合子と前原が繋がった日には,小池百合子と前原,与野党とも極右が大勢を占め,右へ右へと草木もなびきという事にならなければ良いが……。(引用終わり)

 事後,小池百合子は築地市場の豊洲への移転問題では,いったいなにをやりたかったのか分からない,と批判されていい顛末を呼びこんでいた。また,2020東京五輪のために都知事をやっている感もなきにしもあらずで,政治家として都知事に赴任してからというもの,まさしくその竜頭蛇尾ぶりをきわだたせている。

 2023年の8月時点になったところでは,小池百合子の都知事としての存在感はさっぱりで,ないもないという印象すら抱かせている。神宮の森を伐採しないように頑張ることすらできないこの都知事になりさがっている。天敵である森 喜朗を成敗するくらいの意気ごみは,ユリコ姉さんにはないのか?

 以上をいいかえれば,最近の彼女は,東京という大都市の首長として「八面六臂」の活躍をしているというにはほど遠く,しごく平凡(以下?)である都政の担当者となっていた。ある意味からいえば,いままでその本性をさんざん暴露してきた彼女であったけれども,結局のところ「いるよりも・いないほうが数段好ましい」と観察されてしかるべき,単に「有害無益の政治家」にまで転げ落ちていた。

 補注)ここでは,都知事の小池百合子が「2020東京オリンピックの開催」問題でドタバタ劇を演じてきた事実や,コロナ禍に対処してきた時にも披露した〈竜頭蛇尾〉ぶりについても議論したいところだが,すでにだいぶ長文になってもいるゆえ禁欲したい。
 

 ※-6【参考記事】紹介

 ☆「黒澤 明も証言,関東大震災時の朝鮮人虐殺は紛れもない事実だ! 小池百合子やネトウヨの歴史修正に騙されるな!」
 『リテラ』2017年9月1日,http://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html

 ☆「小池都知事に追悼文を要請…悼式典実行委員会が個人署名8596筆」
 『民団新聞』2018-08-16 09:12:00,http://www.mindan.org/news/mindan_news_view.php?cate=4&page=1&number=24681&keyfield=&keyfield1=&key=

 後者の記事から以下を引用する。

 --9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会(宮川泰彦実行委員長)は〔2018年8月〕8日,都庁を訪れ,小池百合子都知事に追悼文を寄せることを求める署名を提出した。応対に出た秘書課事務担当課の徳田哲吉課長は「知事に伝える」とだけ答えた。

 寄せられた署名は7日現在で個人8596筆と142団体。事務局では〔2018年〕「5月24日から2カ月余り。短期間にしては全国からよく集まったと思う。とくに在日から多く寄せられた」と振り返った。

 同実行委員会は毎年9月1日,東京・墨田区の横網町公園内に建つ「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前で朝鮮人犠牲者追悼式典を執りおこなっている。

 この間,歴代の都知事から追悼の辞が寄せられてきたが,小池知事になっての昨〔2017〕年,「都慰霊協会が主催する関東大震災の大法要ですべての犠牲者に哀悼の意を表している」として「個別の形での追悼文の送付」には応じなかった。

 記者クラブで会見した宮川実行委員長は,「自然災害の犠牲者と人間の手によって殺された命を一緒くたにすることに怒りがある。知事は歴史的事実から逃げまわっているかのようだ」と指摘した。

 ☆ 西崎雅夫「政府によって徹底的に隠蔽された『関東大震災朝鮮人虐殺事件』の真相1100の証言がいま伝えてくれること」『現代ビジネス』2016年9月18日,https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733(~)

 a) 東京だけでも6万人以上の死者を出したといわれるこの震災に乗じるように,「朝鮮人が火つけをしている」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などの流言蜚語が流れた。この噂を真に受けて警戒した住民たちは自警団を結成,これに軍隊もくわわり,多くの朝鮮人や中国人が虐殺された。

 その数は数千人ともいわれているが,実際に何人の方が犠牲になったのか,実は震災から93年がたった現在でも詳細は分かっていない。その要因のひとつとして,当時の政府の徹底した事実の隠蔽があげられる。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733

 b) 冒頭でも書いたが,関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の全体像はいまだに分からないことが多い。それは当時の政府が事件を隠蔽してしまったからであり,その後の政府が真相究明のための調査をおこなってこなかったからである。したがって,事件の公的資料はきわめて少ない。

 そうした状況でしられざる虐殺の実態に迫る一つの方法として,証言を集めるという結論にたどり着いた。「追悼する会」に参加したことで,墨田区北部での朝鮮人虐殺事件については多くの証言に触れる機会をえて,ある程度実態をしることができた。では,自分が生まれ育った東京全体ではどうだったのだろう? そんな疑問がふと湧き上がってきた。

 事件から90年近く経ってしまった現在〔は100年が経っているが〕,事件を語れる人はほとんど生存していない。しかし,刊行された本(自伝・日記等)のなかから事件の体験・目撃証言を探し出すことなら素人の私にもできるのではないか。そう考えた私は,主に東京23区内の図書館をめぐってひたすらに関連する証言を集めつづけた。

 図書館で書棚を猟渉するうちに,朝鮮人が住んでいた地域では必らずといっていいほど虐待・虐殺事件が起こっていたことにあらためて気づいた。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733?page=3

 c) 気がつけば,有名無名,老若男女にかかわらず,集めた証言は1100を超えていた。これら一つひとつの証言には,体験した本人にしか語れない “具体性” があった。こうした証言からのみ,朝鮮人虐殺の実態が皮膚感覚として伝わってくるように思う。

 どんな歴史的事実もしるすべがなければ分からないままで終わってしまう。それは同時に「なかったこと」にされてしまう危険性を孕む(とりわけ加害の歴史はその傾向が強い)。震災時の朝鮮人虐殺事件もその例に漏れない。だが体験者・目撃者たちの声に耳を傾ければ,私たちは事実に向きあわざるをえない。

 1100の証言が訴えかけるのは,なにか。それは,悲劇から90年後を生きる私たちが,事実をしり,みつめること,そして亡くなった方を悼む気持のたいせつさではないだろうか。こうした証言を集めた本がやっと完成した。『関東大震災朝鮮人虐殺の記録 東京地区別1100の証言』(現代書館)である。この本が多くの人の目に触れることを願っている。

 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49733?page=4

 実際に西崎雅夫をこの本を読んでみると,このなかの証言に出てくる(=指摘・表現されている)虐殺された朝鮮人・中国人・社会主義者,そしてごくふつうの日本人らもついでに(朝鮮人だと誤認され)殺されているのだが,それらの合計人数を粗っぽくでも概算することが可能であると思える。

 そのような計慮に値する記述個所が数多くある。なかには同じ殺人の現場を観た複数の人たちの証言もあるので注意が必要だが,こうした問題意識をもって読みこめば,この本からだけでもある程度までは「虐殺された彼らの人数」を,「ひとつの推定数値」(しかも控えめのそれ)として推算できるかもしれない。

 本ブログ筆者のいまのところの感じとしては,数千名(多分,4千名以上)には文句なしに達するのではないかと予測する。1個所だけでも3百名ほど「殺した」という段落さえあるのだから,この関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為を,いまからでもいい,分かりうる範囲内でいいから徹底的に糾明していったら,場合(結果)によっては,1万の単位にまで近づかないとも限らない。

 当時の日本政府関係官庁は軍をはじめ,関東大震災直後における朝鮮人虐殺行為(歴史上の大醜聞事件)を徹頭徹尾,隠蔽しており,「歴史の事実」として残さないように最大限の努力をしてきた。この事実が物語るのは,旧大日本帝国の人びとがみずからすすんでの『極悪:冷酷な殺人行為』を,それも相手が被植民地の人びとであるがゆえに,虫けらを踏み潰して喜ぶかのように,だから歓声を上げながらもおこなっていた。げに恐ろしい行為:光景であった。
 

 ※-7 終わりに

 2023年は関東大震災から100周年にあたる。震災直後には,朝鮮人が井戸に毒を入れているとの流言飛語により,多くの在日朝鮮人が官憲や民間人による「自警団」に殺害され,共産主義者・無政府主義者らも拘束され虐殺された。

 ウクライナ戦争ではプーチンの「特別軍事作戦」によって召集され戦地に送られているのは不均衡に少数民族(ムスリム,モンゴル系など)が多いという統計もある。

 「平和なくして平等なし,平等なくして平和なし」は市川房枝の至言であるが,個人が尊重される安全で強靭な社会を作るための第一歩は,差別のない社会を作ることであることをあらためて確認したい。

 註記)「特集:差別禁止法・国内人権機関・個人通報制度は不可分のトライアングル 日本の人権課題と包括的差別禁止法」『ヒューマンライツ大阪』国際人権ひろば No.169(2023年05月発行号,https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2023/05/post-201955.html

 関東大震災から90年の節目になったその時から「日本政府の基本姿勢」は,100年を迎えるこの2023年の9月1日になっても,なにも変わる予兆がない。むしろ,小池百合子都知事のように意図して,日本政治の固陋な問題を,さらに「腐朽させる」ための働きする人物の存在がめだってきた。

 またその間,この国の品質が劣化してきた歴史は,安倍晋三の第2次政権においてより深刻になっていた。そのなかでこの都知事は,自民党政治の腐朽・堕落ぶりに進んで加勢するといった政治反動ぶりだが顕著であった。

 事実を正視したくない歴史修正主義の頑迷ぶりは,年々きわまっていくばかりであって,この国の政治過程を自堕落路線に追いこんできた。

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