日記0901。

9月になった。

今日は関東大震災があった日で、各地で防災訓練が行われていた。

もし今震災が起きて被災したら、僕はここから逃げるのだろうか。
市内の避難所は、障害者や高齢者に対しても安心していられるばしょになっているのだろうか。

目の前に車椅子ユーザーがいて、大きな瓦礫で道が塞がれていたら
歩ければ乗り越えられるそれが、大きな障壁となってしまう。
僕はそれを越えられる知識と技量があるのだろうか

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人類が成熟というアップデートができるかがいつも鍵なのだ。

『隅田川の東側をそのまま水害が起こるところにしておけば、誰も住まず、大正の関東地震で6万9000人も亡くなることにはならなかった。ところが科学技術が進んで、堤防をつくる技術ができた。科学技術は単なる道具なので、人がどう使うかが重要です。科学技術が進んだからといって、人間が幸せになるわけではないということを、関東大震災は教えてくれています。』

『科学技術は単なる道具』これを「できるけどやらない」事

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未来文明史論2019(12)世界滅亡論と科学

【はじめに】
 本日は9月1日、#防災の日 ですね。災害といえば、自然災害もありますが、人類が及ぼした事例もあると思います。
 タイトルにある、#世界滅亡 とは大ごとかもしれませんが、「忘れたころにやってくる」ものとして真剣に考察したいと思います。現状をふまえて、100年後の未来は世界的な危機に対してどのように対応できるでしょうか?想像の翼を広げて、柔軟に考えてみようと思います。漫画やSFなど想像

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黒澤明の関東大震災(2011)

黒澤明の関東大震災
Saven Satow
Mar. 24, 2011

「恐怖すべきは、恐怖にかられた人間の、常軌を逸した行動である」。
黒澤明『蝦蟇の油』

第1章 大正十二年九月一日
 1923年9月1日、その中学二年生は朝から気が重い。楽しい夏休みが終わり、うんざりする二学期の始業式だったからだけではない。お茶の水の順天堂病院付近の京華中学から、上の姉に頼まれた洋書を買いに京橋の丸善まで歩

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帝都を蘇らせた「大風呂敷」

1923年(大正12年)9月1日に発生し、南関東地域に甚大な被害をもたらし、およそ10万人の死者を出した関東大震災。

その復興の中心人物の一人が、第二次山本権兵衛内閣で内務大臣兼帝都復興院総裁を務めた後藤新平

でした。

1、後藤新平、医者としての20代

1857(安政4)年6月4日陸奥国胆沢郡塩釜村(現奥州市水沢区)吉小路に、留守家家士、後藤左伝治と利恵の長男として誕生しました。
また、蘭

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ありがとうございます!今日が良い1日でありますように!
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映画『菊とギロチン』新宿凱旋上映決定&トークイベントに栗原康さん登場!

映画『菊とギロチン』の新宿凱旋上映が決定しました! 期間中は、連日上映後に出演キャストやスタッフなどのトークイベントが開催され、弊社刊の評伝小説『菊とギロチン やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ』著者の栗原康さんも女力士チームと一緒に登壇します。

関東大震災直後、急速に不寛容な社会へとむかう時代、女相撲とアナキストが出会った-。鬼才・瀬々敬久、構想三十年の入魂作『菊とギロチン』。
本書

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僕が小説を書く理由

どうしよう
今日はエッセイ的なものを書くテンションに程遠く、ストックから何かネタを引っ張ってこようかと眺めていたのだけれども、それもどうも”ちがうな”とチャンネルが合わない

ふと振り返ると短編小説をしばらく新しいものを書いていないし、長編の続きも止まったままだ

長編は1930年頃の日本を舞台にした怪奇譚を書いている
1923年関東を襲った大地震によって東京は壊滅的なダメージを受けた
関東大震災

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『いだてん』第一部を振り返る③「指導者・震災編」

『いだてん』第一部を振り返る総集編も、今回の第3弾が最後となりました!
総集編第1弾、第2弾の過去コラムはコチラからご覧くださいね。

金栗四三の引退

最盛期で迎えたベルリンオリンピックでしたが、第一次世界大戦によって、ベルリンオリンピックが中止となり、やけになって4年間走り続けた結果、「箱根駅伝」を始め、駅伝文化を生み出しました。そして、戦争が終結し、戦争の爪痕を残したまま、アントワープオリン

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