見出し画像

原発事故-体外被爆-内部被曝,『悪魔の火』(原発)利用は人類・人間のみならず,地球・生態系「全体」に対して未来永劫に害悪を残す

 ※-1 悪魔の火:永遠の呪縛,未来永劫の害悪性

 人間(生物全体)にとって放射性物質(放射線)は,「毎時1ミリシーベルト以下なら安全で,20ミリシーベルト以上なら危険なのか?」

 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災とこれに伴い発生した大津波が,東電福島第1原発事故を起こした。そのさい3基もの原子炉が「溶融する」という非常・緊急事態に至った。この日本においては現在(2023年12月11日)でも,なお「原子力緊急事態宣言」が発令中であり,解除できていない。

 東電福島第1原発事故をめぐっては,つぎに言及するごとき話題があって今日になってもまだ,当該の被災地では現実問題として「継続中」である。関連する図解や画像を用いて説明していきたい。

 付記)冒頭の画像は後段に註記あり。

 【関連画像1】-被曝量と健康リスクの関係-

1ミリシーベルトから20ミリシーベルト
という範囲に注目したい

 2011年の5月段階であったが,以上の話題に関係する,つぎの記述をしていた人がいた。

 --〔「3・11」発生直後から当時は民主党政権の時期〕内閣官房参与に任命されていた小佐古敏荘氏(東大教授)が,放射線基準をめぐる政府の対応を批判して辞表を提出した。

 その理由は主に,文科省が,原子力安全委員会の助言を踏まえて,国際放射線防護委員会が非常事態収束後の参考レベルとしている1~20ミリシーベルト / 年を福島県の小中学校の校舎・校庭などの利用判断の暫定的目安としたことにあった,と説明されていた。

 そのさい文科省は,20ミリシーベルト / 年に到達する空間線量率は,屋外において3.8マイクロシーベルト / 時であると措置していた。これでは,小中学生に年間20ミリシーベルトの被曝までを我慢させてかまわない,ということになった。

【関連画像2】-2011年4月29日,小佐古敏荘教授記者会見で落涙-

小佐古敏荘教授記者会見
記者会見で泣いた小佐古敏荘教授

 以上の経過・措置に対して小佐古氏は,「私のヒューマニズムからして受け入れがたい」といって抗議した。原発労働者でも職業被曝の年間限度20ミリシーベルトの被曝はまれであり,まして放射線被曝に弱い小学生などに対して職業被曝の年間限度で運用するのはとんでもなく,通常の線量限度1ミリシーベルト / 年で運用すべきだと批判したのである。

 当時まで,福島第1原発事故に関連してテレビで「安全だ,安全だ」といいつづけてきた原発推進派の多くの東大教授は,いまでは〔その後〕完全に信用を失っていた。テレビでは小佐古氏が思わず絶句され涙ぐんだ映像も流れ,東大にもこのような教授がいたのかという気持になった。今回の小佐古氏の涙は新鮮に映った。

 註記)「小佐古教授の涙」『福岡核問題研究会』2011年5月4日,http://jsafukuoka.web.fc2.com/Nukes/blog-2/files/8b0e8ebbd7bf16d25524a065af432772-6.html 引照。

 だが,この小佐古敏荘教授であっても「3・11」以前は,原子力村の一住民として,以下のごとき「お決まり」の発言をしていたことを忘れてはいけない。

 「原発震災」という言葉を提唱して浜岡原発は危険で廃炉にすべきとした石橋論文(『科学』1997年10月号)に対して,「国内の原発は防護対策がなされているので,多量な放射能の外部放出はまったく起こりえない」と反論して石橋論文を酷評した。原発推進派の役割を発揮していたわけである。その意味で国策としての原子力推進の一翼を担ってきたことは否定しようがない。

 註記)前掲,「小佐古教授の涙」

小佐古敏荘教授の発言記録から 

 

 ※-2 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』筑摩書房,2005年

 本ブログの筆者は,東電福島第1原発事故が日本国のみならず全世界を震撼させる体験になってしまったのを契機にその後,本書,肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』筑摩書房,2005年を購入し,読んでみることにした。

 この本の奥付には 2011年4月10日第3刷とある。この第2刷がいつ発行されたのか,とりわけ3月11日の東日本大震災のすぐあとに第2刷が増刷されていたのかどうか分からないが,第3刷の増刷はともかく大震災の影響が直接あってなされていたものと推察してよいはずである。

 本書『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』は題名どおり,放射性物質を人間が体内にとりこむといかに恐ろしい病状が発生するか説明している。肥田舜太郎は,ジェイ・M・グールド著『低線量内部被曝の脅威-原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録-』という共訳書を,2011年4月)15日,緑風出版から公刊していた〔齋藤 紀・戸田 清・竹野内真理との共訳〕。原著の英文書名は,つぎのように表記されている。

  Jay Martin Gould,The Enemy Within: The High Cost of Living Near Nuclear Reactors; Breast Cancer, Aids, Low Birthweights, and Other Radiation-induced Immune Deficiency Effect,1996.

 肥田・鎌仲『内部被曝の脅威』は,Gould のこの本を,こう解説している。

 グールドが発表した内部被曝に関する報告は,主流の科学者たちにことごとく反論され,疑問も投げつけられている。圧倒的な経済的支援を受けられる「学会の中心にいる学者」の発表する論文が,グールドに対する反論として,それも「権威ある学会誌」に発表されれば,グールド説の評価は失墜するほかない。原子力の否定的な研究には経済的支援がないばかりか,学会全体からの攻撃が待っている(142頁)。

肥田・鎌仲『内部被曝の脅威』への圧力や攻撃

 日本における原発問題についても〈同じような構図〉が,原子力研究者の学問領域で形成・構築されていた。

 京都大学原子力実験所の「熊取六人衆」とあだ名された教員たちのうち,東電福島第1原発事故が起きた時点で,まだ定年まで数年の任期を残していた助教2人:小出裕章と今中哲二は,原発推進派が圧倒的な勢力を占める当該学界のなかでは,それまで,けっして陽の目をみない存在に押しこまれていた。

 つまり,それまではずっと,生かさず殺さずの状態で「研究者としては〈助教〉の身分・職位」に留めおかれてきた。なお,六人衆のうちには助教授,専任講師までなった者もいるが,教授に任用された者はいない。この教授昇進が寸止めにされていた(ある意味でいえば「飼い殺し」状態で放置されていた)彼らの存在が,東電福島第1原発事故の発生によって一躍,世間の注目を惹くことになった。

 ところが,「3・11」の発生を機に,文化大革命時の「4人組」になぞらえて造語された京大原子炉実験所「六人組」が堅持してきた「学問的立脚点の〈正当性〉」が,それこそ一躍,認知されざるをえない時代になった。

 観方にもよるが,彼ら「六人組」が今日まで「学究として」,無事に生きてこられたのが不思議であった。そういっても,それほどおおげさにはならなかった。このうがったごとき指摘は,2011年3月11日の東日本大震災による大地震と大津波を体験したあとに生まれた状況の変化があったにせよ,いまさらのように指摘しておきたいことがらであった。日本の産業界・企業社会内には「原子力マフィア」ということばもあった。

 また,東電関係では原子力発電所を足場に「原子力村」があると説明されてきたが,この東電内の「村落共同体」が外部からの監視や批判を嫌悪し,排斥する社内集団を形成していると批判されてもきた。

ペンタゴンでの説明
原子力村の内部絵図
原子力村内部相関地図


 東電を始め全国の各電力会社の資本力にもとづく政治面の実力はとても強烈であって,原子力発電所の立地にさいしては,その金力にものをいわせて,候補地を確保してきた。そのなかで,旧帝大系の国立大学で原子力研究にたずさわる教授たちのうち,いったい何名が明確に「反原発の立場」を保持してきたかと問われても,これに相当する人物はみつからない。

 次項※-3からの記述は,本書『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』から,本ブログ筆者なりに話題を拾いつつ議論を組みたてていく展開となる。

 

 ※-3 劣化ウラン弾の危険性・害悪性

 1) 劣化ウラン弾の毒性

 「劣化ウラン弾による内部被曝の影響が,科学的に証明されたわけではない」けれど「も,予防医学的な見地から考えると,どんな微量な放射性物質であっても危険はある」「から,生命を守るという観点からすれば,劣化ウラン弾の使用を制限すべきだ」

 註記)前掲,肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』筑摩書房,2005年,201頁。

 劣化ウラン弾に関する議論について本ブログ筆者は肥田のように,ウラン弾を「〈制限〉すべき砲弾」とは思わず,禁止すべきだと思う。

 おぞましい兵器として,A・B・C〔核・生物(細菌)・化学〕の3種類の兵器があるが,原子の力を応用した劣化ウラン弾は「原発事故」に劣らず本質的に,地球環境のなかに放射性物質を,現実にばらまいている「極悪の非人道的な兵器」である。

 肥田・鎌仲『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』は,こう説明していた。

 「劣化ウラン弾の使用は放射性廃棄物を環境にまき散らし,戦争が終わったあともふつうの市民に内部被曝を引き起こすことになる」

 「天然ウランから濃縮ウランを作る過程で出てくる劣化ウランであるウラン238は,もともと自然界に存在した」

 「しかし,プルトニウムやウラン236は原子炉で反応してはじめて出てくる人工の核種であり,その毒性は桁違いに違う」

 「プルトニウムは耳かき一杯で数百万人を殺害できる」「地球上もっとも毒性の高い物質である」(以上,160頁)。
 
 「原子炉のなかで反応した,もっとも毒性の高いレベル核廃棄物が混入した放射性物質を劣化ウラン弾の原料に使った」劣化ウラン弾を「もっとも多く製造し,使用しているアメリカ政府は」「人体に影響はないと公言している」(160頁)。

 しかし,アメリカ政府のこの見解は完全に虚偽である。ウラン弾の影響で奇形児に生まれた新生児たちの何枚もの写真を添えた『ホームページ「極端な出生奇形」』は,1991年湾岸戦争で使用されたウラン弾の影響を受けて「生まれた」結果であることを示している。

 注記)http://www.tgk.janis.or.jp/~blessing/REKKAURAN/lekkaulan.html 参照。2023年12月11日に再度,この住所・リンク先をクリックしたところ,現在は削除されていた。

 このサイトには衝撃的な「出生奇形の映像」がかかげられていたが,現在は参照不可ということなので,その代わりにつぎの記述を紹介しておく。こちらにも,衝撃を受けるに違いない画像が公開されているので,気の弱い人はのぞかないほうがいいかもしれない。


 Ross B. Mirkarimi(武器制御調査センター)のレポート「湾岸地域とくにイラクでの環境と人間の健康への衝撃」1992年5月は,つぎのように報告している。

 「多くの研究者は劣化ウラン弾が奇形や癌の原因だと指摘している」

 「とくに劣化ウラン弾の集中的な攻撃のあった南部地域では,奇形や癌の急増に動揺している」

 「イラクの医学者達はこのような事態にいままで遭遇したことがありませんでした」

 「かつての日本での二つの原爆投下のあとにこのような奇形や癌の同じような増加があったということを確認してい」る。

 「癌は7から10倍の率で増加し」「奇形は4倍から6倍の率で増加している」

 「アメリカは湾岸戦争が始まるずっと以前から,劣化ウラン弾の化学的毒性や放射能特性の一般市民や兵士への潜在的な影響について,よくしっていた」

 「劣化ウラン弾は」「低いレベルのアルファ放射線であり,身体内部が被曝すると癌を引き起こし」,「そしてその科学毒性が腎臓障害をおこす」

 「短期間の大量の被曝は死を招き,長期間の少量の被曝は癌を引き起こす」

 「健康と環境の劣化ウラン汚染の許容性に関するわれわれの結論は,それぞれが優れた医療と厳格な管理のもとにコントロールされる必要があるということである」

 「戦闘状態は劣化ウランの制御不可能な拡散につながるだろう」

 「戦場の環境,また長い期間の住民やベテラン兵士の健康への危険性は,劣化ウラン貫通爆弾の軍事目的の連続的な使用を認めるかどうかに関して,論争を引き起こすだろう」

 注記)この説明の原文も現在,ネット上では削除されており,参照不可である。元の住所は,http://www.tgk.janis.or.jp/~blessing/REKKAURAN/lekkaulan.htm

 政府:軍部というものは,軍事の目的であれば政治の延長線に置くものとしての「経済の論理」になにも制約も課さないし,しかも「勝利のためであれば」「金に糸目をつけず」いかなる兵器でも,むやみやたらに調達し使いたがる本性を有している。

 おまけに,劣化ウラン弾のばあいは「経済性に優れている原料」=「原子力のエネルギーのゴミ」(後述)を使っているとなれば,これ以上説明することもあるまい。

 2) 湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の影響-戦地イラクとアメリカ国内-

 湾岸戦争でイラク軍の戦車をまたたく間に壊滅させる威力を発揮したアメリカ軍の劣化ウラン弾は,2~3年後になるとイラクの子どもたちのあいだに白血病やガンを増やさせる原因になった(肥田・鎌仲『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』145頁)。

 「イラク=悪」というアメリカのメディアによる情報戦略の効果で,イラクの劣化ウラン弾による被害は,国際社会から顧みられていない(146頁)。

 しかし「劣化ウラン弾がイラク社会に与えているインパクトは広く,深い」(149頁)。

【参考図解】-劣化ウラン弾の構造-

劣化ウラン弾の構造

 それだけではない。くわえて,湾岸戦争に従軍したアメリカ軍兵士60万人のうち,実際の戦争で死亡したのは,300人足らずであったが,帰還後すでに1万人が死亡し,20万人近くが「湾岸戦争症候群」を病んでいた。アメリカ国内で劣化ウラン弾を製造・研究・試射・貯蔵・廃棄などをする施設は55に及び,近隣の住民にも放射能汚染の被害をもたらしている(144頁)。

 アメリカ軍内部では,自軍の兵士を劣化ウラン弾の影響から防御する方法を研究している将校もおり,「彼は劣化ウラン弾の使用を止める以外に防御する方法はないと結論づけた」。だが「この報告を軍は無視した」ままである(156頁)。

 「ある研究者は劣化ウラン弾が爆発するときに部分的な核反応が起きており,そこで原発の原子炉内で生産されるような死の灰の成分が微量ながらできてしまう可能性も指摘している」(164頁)。

 湾岸戦争などで使用されたウラン弾は,イラク軍だけでなくアメリカ軍の兵士たちにも「内部被曝」を起こさせている。前線に出る将兵たちはいつも,主に若者となる。

 ここで《内部被曝》の問題に関していえば「若者優先」という法則,すなわち「若ければ若いほど放射線に敏感で影響を大きく受ける」し,「体内に入った放射性物質はやすやすと〔女性であれば〕子宮のバリヤーを通り抜けて,胎児に蓄積し,影響を与えてしまう」(168頁)関係に注視しなければならない。

 2000年6月23日時点で,あるホームページの記述に,イラク人の「女性医師,同僚も次々乳がん 住民の将来に不安」というものがある。「それにしても,ここ1,2年で私の周りの女性の医師が4人も乳癌にかかるなんておかしい」「みんなほとんど同じ時に医学生時代を過ごした仲間なの・・・」。「いまのところ,早期発見,早期治療で4人とも仕事に復帰しているという」と語られていた。

 これは,湾岸戦争のさいイラクの土地に対してウラン弾が大量に散布された悪影響を物語る一例に過ぎない。

 注記)「〈知られざる被曝者〉劣化ウラン弾の実態」,第5部「戦場での爪痕 イラク」「6 女性医師 同僚も次々乳がん 住民の将来に不安」(『中国新聞』連載記事)2000年6月23日,https://www.hiroshimapeacemedia.jp/abom/uran/iraq5/000623.html

 3) 原発の関係,その問題

  2011年3月11日の東日本大震災による大地震・大津波のために,翌日12日に起きた福島第1原発事故は,5月に入ってもまだ原子炉の圧力容器や格納容器などからの放射性物質の漏れを防止できていない。原発の原子炉からは〈微量〉の放射性物質が放出されているが,その状態・存在だけでも被曝者が生まれている(169頁)。 

 補注)いったい,この状態はいつまでつづくのか? 東電福島第1原発事故現場には原子炉の溶融事故を起こして以来,現在〔2023年12月11日〕になってもデブリの取り出しが計画されているものの,いままでその採りだしができた分量は「耳かき一杯」分だけであった。そのデブリは推計では880㌧もあり,事故の後始末を要するやっかいモノとして,いまも現場に「鎮座」している。

 福島第1原発事故は,われわれが「微量の放射性物質が入った食物を食べるリスクを」「選択の余地もなく受容すべき時代」にすでに生きていることを,いまさらのように認識させている。

 「核によるエネルギーに頼りつづけるかぎり,劣化ウラン弾や核兵器にくわえて,原発のもたらす被曝の問題はなくなることはない」

 「原子力に依存しない,環境を破壊しない科学技術でどういうエネルギーが考えられるのか,どういう暮らしをすればいいのか,そのような問題提起が根本的に必要な時代がすでに来ている」

 「さもなければ人類は被曝しつづけてゆくのみ」である(171-172頁)。

 そもそも「劣化ウラン弾とはなにか」と問いに一言で答えるならば,「原子力のエネルギーのゴミ」(198頁)を,武器(砲弾)に転用(悪用)したものであった。

 原爆製造および原子力発電の結果生まれた「ゴミである劣化ウラン」を砲弾に利用することを思いついたのは,「資本主義経済という枠組のなかで,資本〔利潤・儲け〕を絶えず拡大しなければならない人類の宿命ともいえる」。すなわち「功利主義的な考えかた」そのものになる廃物の活用であった。これは「原子力発電による放射能汚染にも目をつぶってきた」理由にもなっていた(175頁)。

【参考記事】-つぎの記事「劣化ウラン弾による被害の実態と人体影響について」http://www.jca.apc.org/stopUSwar/UMRC/du_human_effect.htm 2003年2月は,非常に重大なウラン弾の悪影響を解説している。

 「原発の燃料には直接すぐには使えないほうのウラン238というのが,これがすなわち『劣化ウラン』といって,ウラン濃縮過程で生じるゴミなわけで」「これを,たとえば関西電力とか,東京電力などはどうしているかというと,アメリカにゴミとして,ただであげている」。

 つまり,日本の電力会社は「イラク戦争に使用されてきたウラン弾の原料」を,まったく「功利主義的な考えかた」抜き(!?)で,アメリカに提供している。
 
 注記)http://sjocw.kyoto-seika.ac.jp/index.php?env%2F2003_env-social%2Flecture_02 ← この京都精華大学のホームページ内の記述は現在,削除されている状態だったので,つぎの関連する記述を紹介しておく。

 ⇒「劣化ウランの対米譲渡は原子力基本法・武器輸出三原則・憲法違反
イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑」『JCA-NET ICTによる社会運動支援とコミュニケーションの権利を! Powered by Drupal』http://www.jca.apc.org/mihama/d_uran/japanese_du030409.htm 2023年12月11日閲覧。


 ※-4 放射線量を何シーベルトまで浴びてもいいという理屈の問題性

 1) 1ミリシーベルト以下の放射線量の被曝なら安全・安心なのか

 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』筑摩書房,2005年は,「微量な放射線なら大丈夫」という神話への挑戦がこの著作の神髄であると断わっていた(89頁)。

 肥田・鎌仲は,専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う国際学術組織であるICRP〔国際放射線防護委員会,International Commission on Radiological Protection:〕の勧告を受けて,市民が1年間に浴びても健康上の問題はないとされる放射線の被曝量を,年間1ミリシーベルト(人間が受けた放射線の影響の程度を表わす単位,日本では5ミリシーベルトで屋内退避が勧告される)と設定していた。

 よりくわしくいうなら,1ミリシーベルトという被曝量を人体が浴びたからといってただちに必らず影響が出るのではなく,これ以下に抑えたほうが安全であるという予防的な数値である。ICRPは,微量の放射線の影響が学問的にまだ明確でない点を踏まえ,慎重な考えかたを採ることを表明してもいる(11頁)。

 ここではとくにICRPが結局,

  a)「『閾値(放射線影響の安全と危険の境界の値)』として許容限度を設定していること」と,

  b)メカニズムの違う内部被曝を外部被爆と同等に扱い,内部被曝の脅威を正当に評価しないこと」といったごとき

それぞれの《矛盾》を,いつまでも横行させつづけている点に注意が必要である(12頁)。

 ICRPが出す勧告は,日本を含む世界各国の放射線障害防止に関する法令の基礎にされているというが,上記の a)「閾値」=一定量以下であれば人体にまったく危険はない」,そして

  c)「自然に存在する放射線の核種も人工で作り出した放射線の核種も,人体に与える影響はまったく同じである」という考えかた(101頁)にも,問題があった。

 2) 肥田舜太郎の被曝体験-広島での事実から-

 大東亜戦争末期,1945年8月6日の朝,広島市郊外の農家で原爆の被害に遭遇した肥田舜太郎(1917年広島生まれ)は,軍医であった。肥田がその後,医者として長期間,関心をもっていたのが「内部被曝」の問題であったという。

 1週間後に〔広島市内へ〕入市したが,明らかに原爆症と思える症状で死亡した松江の夫人は,内部被曝問題への私の執念の原点ともなった貴重な症例である(肥田・鎌仲『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』40頁)。

 敗戦後の日本では「広島・長崎の原爆被害はアメリカ軍の機密であり,何びとも被害の実際についてみたこと,聞いたこと,しったことを,話したり,書いたり,絵にしたり,写真に撮ったりしてはならない。違反した者は厳罰に処す」という厚生大臣の通達が出され,これを厳重に守るようにとの命令があった(43頁)。

 それはもちろんアメリカの意思であった。

 湾岸戦争(1991年)・イラク戦争(2003年~2010年)に兵士として動員されたアメリカの若者・壮年たちが,劣化ウラン弾にどれほど広範に被害を受けているかについても,アメリカ政府はいっさい正式に認めていない。

 肥田舜太郎が鎌仲ひとみと『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』筑摩書房,2005年を公表したのは,医師として原爆の被害者の「最期を看取れなかった悔やみと,依然として不明な原爆被害のメカニズムと理不尽のかぎりの〔アメリカ〕占領軍の口封じがいっしょになって,私のなかに重苦しい反米感情がしだいに膨れあがっていった」からであった(44頁)。

 原爆を落とされて戦争に敗けたアメリカのいいなりであった日本政府は「1957年に医療法を制定し,被爆健康手帳を抱負するまでの12年間,被爆者になんの援護もせず,地獄のなかに放置した」。あまつさえ,被爆者手帳を発行し被爆者を登録するとき,

  イ)「爆心地近く・直下の被爆者」

  ロ)「爆発後2週間以内に入市した者,所定の区域外の遠距離での被爆者」

  ハ)「多数の被爆者を治療・介護した者」,

  ホ)「上記の被爆者の胎内にあった者」

という差別を,被爆者のなかにもちこんだ(57頁)。

 3)「内部被曝」の問題,その重要性

 肥田はとりわけ「内部被曝」を重要視する。同じ被爆者なのに内部被曝者が放射線被害問題でつねに蚊帳の外に置かれた理由は,つぎの3点であった。

 a) 現在の医学が放射線の人体に対する医学的な影響については,生理学的にも病理学的にもまだほとんど不明であって,体外被爆と内部被曝とを問わず治療はおろか診断さえ十分にできない状態にある。

 b) 原爆を投下したアメリカ政府および軍部が広島・長崎の被爆者の受けた医学的な被害をも軍事機密に指定し,本人には被曝に関するすべてに沈黙を命じた。
 
 日本の医学・医療関係者には診療以外,核被害に関する調査・研究・学会活動を禁止し,人類上,初めて発生した大量の放射線被害集団に対する専門的・組織的な対応を放棄させた。

 c) アメリカのICRP〔国際放射線防護委員会〕が『BEIR報告Ⅲ~Ⅴ』〔「電離放射線の生物影響に関する委員会」:Committee on the Biological Effects of Ionizing Radiation,1972年から1990年〕を通じて,「一定の閾値以下の放射線の内部被曝は微量ゆえに人体に無害」という主張を流しつづけてきた(肥田・鎌仲『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』68頁)。

 肥田はこう確信している。

 「内部被曝による放射線障害は原爆使用者側にはその経験から既定の事実であった」「にもかかわらず,アメリカが被爆者にきびしい緘口令まで敷いて原爆被害の実相を世界に対して隠蔽したのは,ソ連に対して核兵器の秘密を守るためというよりは,低線量放射線による内部被曝の恐怖を『しっていたがゆえの隠蔽』だったに違いないと私は思っている」(84頁)。

 

 ※-5 毎時何ミリシーベルト以下ならば「安全といえる」のか?

 1) 低量放射線の危険性

 この記述が※-1で論及したのは,1年間に許容される「許容放射線量」を,文部科学省が『20ミリシーベルト』〔=20000マイクロシーベルト〕とし,内閣官房参与であった小佐古教授が『1ミリシーベルト』〔=1000マイクロシーベルト〕とした対立点であった。

 それらの1年間に許容される「許容放射線量」を毎時に換算すると,

  文部科学省の「 2.283ミリシーベルト」,

  小佐古教授の「 0.114ミリシーベルト」

となる。

 肥田はこう議論する。

 「残留放射線の体外からの影響が微弱であり,無視できる低線量の放射線であり影響がないとされる根拠は,放射線分子の飛距離(アルファ線が約0.1ミリメートル,ベータ線が約1センチメートル)が短く,しかも皮膚を透過する力がないからだとされる」

 「しかし,いったん体内にとりこまれると半径1ミリメートルの射程距離内には直径7~8ミクロンの細胞は少なくとも30~50個は優に存在しうる」から「当然,アルファ,ベータの両放射線はこれらの細胞に到達できる」(肥田・鎌仲『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』85頁)。

 肥田はさらにこうもいっていた。

 「微量な放射線なら大丈夫」「もし微量であるならば」「人間が本来もっている防御機能が働いて無害となるとされてきた」という《神話》,「年間わずか0.1~1.0シーベルトの少量の核分裂生成物であり,微量のため人体に影響はないと考えられていた」その《神話》は挑戦されねばならない。

 これが,鎌仲ひとみとの共著『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』2005年の神髄であるとも断言する(89頁,108頁)。

 「不幸なことだが」「学問的な相違よりも,危険度を算定する基準の選択に厖大な経費が関係し,強力な外界の利害関係がそれを左右する」

 「そのもっともよい実例はBEIR報告Ⅲである」。同報告Ⅲは「低線量放射せんによる発癌の危険度で,回収された報告の数字を大きく引き下げられていた」

 「最初の報告」の「10万対 167から501人になる1次曲線」が「最終報告では10万対 77から226人の2次方程式」に変更されていた(112-113頁)。

 補注)BEIRとは,Biological Effect of Ionizing Radiations 「電離放射線の生物学」の頭文字。

 2) 乳癌死亡増加の隠蔽

 既述に紹介してあった,ジェイ・M・グールド,肥田舜太郎・齋藤 紀・戸田 清・竹野内真理共訳『低線量内部被曝の脅威-原子炉周辺の健康破壊と疫学的立証の記録-』原著 1966年,訳書 2011年は,英文の副題には “Breast Cancer” 〔乳癌〕があった。

 この本は,アメリカにおける乳癌死者数は原子炉から100マイル〔1マイルは1609.344メートルだからほぼ161キロメートル〕以内にある郡で明らかに増加しており,それ以遠にある郡では横ばいか現象していることを解明した。

 乳癌死者数の地域差を左右していたのは,軍用・民間用を問わず,全米に散在する多数の各種原子炉から排出される低線量放射線であった。「人間を体内からゆっくり破壊する低線量放射線という敵と,データーを改竄してまでそれを隠蔽しつづける国内の敵を意味している」(引用は,肥田・鎌仲『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで-』114-115頁)。

 肥田は,われわれの暮らしている日本の場合を調べた。

 2002年当時,日本には52基あったが,これら原子力発電所から100マイルの円を描くと日本全土がすっぽり入ってしまい,原発のある県とない県とを比較できなかった(115頁)。

 だが,戦後50年間,1950年~2000年の日本女性の全国および各県別の乳癌死亡数(対10万人当たり)をグラフ化したところ,つぎの諸事実が明らかになった。

 ▲-1 1950年の 1.7人から2000年の 7.3人まで一定の勾配で右上がりに上昇し,4.3倍になっている。

 ▲-2 気象庁の放射性降下物定点観測所(全国12カ所)におけるセシウム137の降下線量〔1960年~1998年〕は,以下の3期のように変化してきた。

 ★-1「第1期:1961年~1963年」 米ソ英仏が頻回に大気圏核実験をおこなった時期である。

 ★-「第2期:1964年~1981年」 1963年に大気圏核実験禁止条約発効で実験が中止されたが,代わって中国が1964年から核実験を開始した。セシウム137はわずかに増加した。

 ★-3「第3期:1968年~1986年」 秋田観測所でのセシウム137が単年度に極端に増加した。これは,1986年にチェルノブイリ原発事故が発生したせいで放出された放射性物質が,死の灰となって日本の東北部に降下したものと考えられる。欧州各国の多数の乳児に甲状腺癌を発生させた有力な犯人も,そのチェルノブイリ原発事故と推定せざるをえない。

セシウム137の降下線量〔1960年~1998年〕

 ▲-3 世界的に乳癌が急激に増えている。日本では25人から30人に1人という発症率で毎年3万5千人の女性がこの癌にかかるといわれている。40年まえの6倍である。欧米では8人に1人の女性が乳癌となり,年間37万人が亡くなる。この乳癌増加の影に世界規模の内部被曝が影響を与えていると考えてもよいはずである(115-116頁)。

 

※-6 愚者の実例-東電元副社長-

 2011年5月5日の新聞朝刊には「大気の放射線量,4県で平常値超え」という見出しの記事が出ていた。

 福島第1原発事故はまだ収拾させうる時期の見通しすらついていなた時期での報道であった(その当面に収拾には6カ月から9カ月とはいわれていたが)。

 文部科学省は同年5月4日,大気の放射線量の調査結果を発表した。

 各地でわずかな増減が続き,宮城,福島,茨城,千葉の4県で依然として平常値を上回っている。福島第1原発から北西約30キロ地点では,もっとも高い浪江町赤宇木で毎時16.9マイクロシーベルト(前日は18.2),飯舘村長泥では13.3マイクロシーベルト(同14.1)といずれも下がった。

 注記)『朝日新聞』2011年5月5日朝刊,http://www.asahi.com/national/update/0504/TKY201105040256.html

 ところで,この期に及んで「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者もいる」「説得力がある」とのたまう元東電副社長を務めた自民党の前参議院議員がいた。加納時男 (カノウ・トキオ, 1935-2017年,当選2回)であった。なお,ウェブサイト『加納時男』公式ホームページ--は,2011年3月末に閉鎖されていた。

必要のない薬を飲む人はいない
放射性物質も浴びないことに超したことはない

 加納時男のその発言「健康にいいのが低線量の放射線」であると確信できたならば,自分の孫たちにも率先してそうさせればよかった。直接浴びるのもよいし,なにかに混ぜて飲むのもよかった。

 本日〔ここでは2011年5月5日〕の『朝日新聞』朝刊「声」欄は,56歳の主婦による,ある投書を掲載していた。

 ※-1で言及してあったが,当時,内閣官房参与であった小佐古敏荘教授が,文部科学省による放射線量の許容量:『年間 20ミリシーベルト』〔=20000マイクロシーベルト〕,毎時に換算すると「 2.283ミリシーベルト」を批判し,「とんでもない高い数値であり,容認したら私の学者生命は終わり」といって,内閣官房参与辞任の会見をしたことを,

 その投書主の彼女は「子どもを守ってほしい」「学者の良心にしたがって訴えた人の声」であると,彼女は褒めていたのである。

 元東電副社長で政治家にもなっていた加納時男は(いまは故人だが),一家で毎日,福島第1原発事故のあった東電私有地内沿岸に排出されている海水を,毎日飲めとはいわないまでも,できれば〈うがい薬〉にでも使ってみたらどうかといわれて,当然だったかもしれない。

 きっと健康にもよかったはずである,と思えるから……。

 本日の記述は最後に,「3・11」当時における東電関係の幹部にも話しが飛んでいたために,われながら実にみじめな話のほうに向いたところで,おしまいとする。

------------------------------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?