吸収してどこまでも維持

そうありたいよ。ここ数年能動的に何かをしたことがないからとりあえず本、小説とか読んで過去の自分と同じ楽しみを得ている。楽しい。スマホいじる無為な時間より何かしている気になれるし実際映画見てるみたいにトリップできるし。

新しい分野にということで挑戦してるのが、詩です。短歌は数年前に角川武蔵野ミュージアムの展示で俵万智さんに出会えたときからちまちま読んで楽しんでたけど詩は全然。小学生のときはかまきりりゅうじくんとか出会ったがあとは中学の合唱祭で「信じる」の歌詞がいいなあとか思ったくらい。
他の本と違って、詩集を開くのは少し緊張する。ここから何かを得たい、何か得られる人が優れているとどこかで思っちゃってるからだろうよ。そして心を震わせた文を永遠に覚えておきたい、記憶の欲求が他よりかなり生まれる。学校の話するとすぐ偏差値持ち出すみたいな、そういう俗すぎるというか上っ面な考えがわいてきてる時点で心はしわしわなんだよな。いやだよー。でも詩を好む人ってなんかかっこよくないか?なりたいから読み続けますが。
案の定あまり詩を解せてはいないしちんぷんかんぷんなままで奥付に辿り着いてしまうことが多い。すごく不安になる。最後まで来たけどなにも自分に残せなかった、ただ文字を目で追っただけだった、そういう。理解してやるぞー理解するぞーてのがよくないんだろって薄々勘付いてきた。
本を読むときに何かを得ねばならないと思うのをやめたい。あくまで娯楽として楽しんでいたい。時間は意識せずとも忘れてるけど効率とか効果とかももっと頭から排除したい。焦って生きてると娯楽の時間さえ喉元に鎌かけられそうになってて成果を求めてしまうよ。心の臓をぐわりとつかまれたり揺さぶられたらそれはちょっと特別な出会いということで。するする水みたいに通り抜ける文字もきっとある。いつかそれを味わえる日も来るかもしれないし悲観しない悲観しない…

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