何歳になっても地図が読めない

私は初めて行く場所はいつもGoogle地図で場所を調べて行きます。

ですが土地勘の無さ、好奇心からのよそ見、北なのか南なのか、自分がどこにいるのか、そんな理由で私は八割迷子になります。

あれー?なんでじゃあ?なんてボヤきながらスマホと睨めっこ。

そしてようやく目的地に着き、「予約してた青犬ですー」なんて言いながら店に入ります。

たどり着いた安心で息を吐き、改めてスマホを見ます。

すると手違いで開いたGoogleの検索履歴に「うわ」と声を漏らしました。

「人生 迷子」

と履歴が残っていたのです。

そりゃあ、地図も読めるわけねーわと鼻で笑ました。


そもそも大人になって見る地図は子供の頃に見た地図とは違った気がした。


最近、検索履歴に残るのは「人生 迷子」「人生 わからない」「人生 遠回り」なんてことばかり。

調べては先人達の言葉を読み、他人の成功経験談なんて所詮他人事、なんて思いながらスクロールする電車の中。

自分は迷子だなと思う度に幼い頃は夜な夜なやりたいことやって笑顔の大人の自分を想像していたなと思い出します。

大人になったらどんな仕事をしよう?

東京に上京して、オシャレして、いっぱいお仕事して、それからそれから。


たくさんの夢をノートに綴りました。

あの頃は例え他人に笑われるような地図であろうと、その地図を片手に歩いていました。

ですが歳を重ねるに連れて、道は険しくなり、挙句の果てには進むべき道が霧がかっているように、まるで黒く塗りつぶされたように見えなくなってしまいました。

時には脇道や他の道から目的地へ向かいますが、逆に遠くなっているような。

キラキラに見えた地図はいつの間にかボロボロになって涙の跡がシミになったり。

人間が持つ地図はきっと十人十色。全てが違うと思ってます。

時には他人の地図を見てしまいたくなったり、または見えてしまったり。

破り捨てたくても捨てれない地図。

でも中には子供の頃から見ていた地図を捨て、新しく新調した人もいました。

かつての専門学校の友人の話を聞けば、もう300人ほどいた同期の3分の2が夢を諦めた、と。

夢を叶えているのは極わずか、と。

きっと今が選択の時期なのかもしれない。

子供の頃から手にしている地図で進むか、新しく新調するか。

帰宅後、ベランダに出て空を見上げて考えました。

私が住んでいる地域は割と夜は明かりが少ないですが、それでも地元と比べると明るいです。

昔から私は考え事をする時、ベランダに出て空を見上げていました。

ふとその日は幼なじみの顔が思い浮かびました。

いつもドタキャンしてはLINEを全然見ない幼なじみ。

かつてドタキャンが酷く続き、それで喧嘩をしたこともあった大事な幼なじみ。

ですがあの子はいつも私が夢を語ると同じ言葉言うのです。

「アンタならなれる!うちがファン1人目なんやから! 大丈夫やって!青犬の声大好きやしなあ!」


簡単に言ってくれるよ、ほんま。

でも私はこの言葉に何度も涙を零し、救われてきました。

私は皮肉な女なのでもう心には響かないだろう、なんて思っていました。

ですがどうにも私はちょろい女でして、喜んでしまうのです。

私はまだ子供の頃からの地図を持ち続けています。

新調するのはもう少し先送りになるようです。

いつか、キラキラした目で見つめていた幼い自分に

夢を追うのは辛い。この痛みをわかってくれる人も少ない。嫉妬に殺されそうになる。
でもこの夢や目標に出会えたことに後悔はないよ。

そう言えるよう私は走り続けるのです。

それでは、皆様よい夢を。


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