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柴栗の 一人はぢけて 居たりけり

笹栗さんという名字の人と出会う。
おいしそうな名前で良い。
栗の炊き込みご飯を想像して暖かい気持ちになる。
塩分の効いたご飯に栗のほのかな甘さが良い。
その人にもぴったりの名前だと思った。

忙しく過ごしていたせいで
秋の訪れ対してあいさつの一つもできていない。
季節への大いなる無礼を恥ずかしく思う。
人生で桜をあと何度見ることができるのかと思いを馳せるように
秋の深まりの小さな変化を見つけていく楽しみもまた
あと何度経験できるのかを考えなければならない。
過去の結果としての現在というだけではなく
未来の原因としての現在という意味としても
今このときを愛でてゆきたいし、そういう人物でありたい。

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