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インテリアスタイリストの災難

ものともに。

世紀の変わり目とともに「もの捨て」の風潮が押し寄せた。日本版パラダイムシフトっていうのかしら?人というのは探究心あってこそ生きがいを感じる。あるべきものがそばにない時点で断絶、いざというとき一服の慶だったものを捨てる。そういったよすがをすべて離す人には、相当の悟りや行が必要だろうと思う。でもそうしなければ立ち行かないのなら否定しない。実際、東京の廃棄物はどのくらい増えたのだろう。世の常で、捨てる人がいれば拾う人もいる。いったい全体どこへ流れて行ってしまったのだろうかと。

ものを失う。

それまでていねいに暮らすことやものに対する考察や愛着を生業としてきた私には、けっこうこの「もの捨て」の風潮には軋んだ。遠く離れた地にいるとはいえ、この大波は広く染み渡って日々断絶を感じていた。そんな矢先、引っ越した地の、予想だにしなかった熊本地震。揺れの激しい場所に居た。若い頃から買い集めた陶器やグラス類が飛び落ちて割れた。あくる日、せめて無事だった数組を拾い集めて棚に並べ終えたとき、余震で全て喪失した。
震災は一人ひとりの身にも心にもショック状態を引き起こす…要安静。


ものに問う。

これも天命だ、昔のことは忘れなさいと自分に言い聞かせつつ、東京から熊本へ移転して再開一年未満の自分のギャラリーQuintessenceを見にいった。昭和期の小住宅改造だから、もうすべてをあきらめなさいと独り言を呟き、恐る恐る扉に手をかけた。正面の姿見が手前のショールのガラスキャビネットの脇を3〜5ミリ避けてうつぶせに倒れていた。間一髪。鏡は割れているだろうと引き上げたら無傷、ディスプレイのボートも皿も、なにひとつ壊れていなかった。まさか、ものへの執着が強過ぎて夢見ているのかしら、と。


ものに問う。

これはどういうことですか。
残されたもののメッセージを受信したいという一点に気持ちを集中した。
2日連続、震度7以上のショック状態からの心身の回復には少なくとも一年は必要だった。壊れたものを修理し、捨てたり、壁をもとの状態に復元し、整理したりといった日々を淡々と繰り返す作業は、さながら日常への回復ペースメーカーのような役割をしていた。次第、心の平静を取り戻し、なおかつ先へ進もうと気持ちが向かうための資源があってこそ。さもなくば、今頃は呆然としたまま心は散らかり、茫漠とした被災地をさまようところだった。

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