怒らないことと、怒りから身を守ることと

どもども、リアル界隈では『怒らない人』と呼ばれる慈岳です。

実際にはかなり怒りんぼなのですが、怒りにつながりそうなヒト、コト、モノを意識的に避けているせいか、ここ暫く怒った記憶はありません。……あ、通報レベルの夫婦喧嘩を1回やったかなw

私が、怒らないために気を付けていること、余分な怒りを受けないために考えていることを語ります!


1.罪を憎んで人を憎まず

これめちゃくちゃ大事です。私は滅多に『その人そのもの』を嫌うことがなく、ある行為に限定してイヤだってだけのことがほとんど。

たとえばペチャクチャおしゃべりするおばちゃんがいたとして、別にそのおばちゃん全部が嫌いなワケじゃないんですよ。嫌いなのはペチャクチャおしゃべりする『行為』であって、おばちゃん本人やその人格ではない。そんな感じです。

『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』って人が巷にはたくさんおられますが、坊主と袈裟は別物ですから袈裟に罪はありません。人にはいろいろな顔がありますから、一部が嫌いだからといって本人すべてを嫌うのは損だと考えていますですハイ。

2.『かもしれない運転』

妄想力豊かな人はきっと得意であろうと思うのがコレ。人間は基本的に『イイ人』だと思われたい生き物です。よって何をされるにせよ『悪意はない』と言い換えて良いでしょう。

自動車運転免許をお持ちの方は、教習所で『かも知れない運転』を口酸っぱく教官から指導されたかと思います。これは対人でもどんどん活かして行くとよし。

雑踏で肩がぶつかったときに謝らなかったなら、急いでいて謝り忘れた『かも知れない』。手土産をいただいたときに御礼がなかったら、話の流れ的に言い損ねた『かも知れない』。

そうして『かも知れない運転』をすることで、余計な怒りを抱かずに済みます。私もちょくちょく礼儀作法を忘れたり失言したりとやらかすのですが、悪意は全然無いんですよ。後で思い出して、うっわやっちまった……なんて日常茶飯事です。

3.信じることと、現実にあることとは違う

直近ではロシア✕ウクライナ関係で、「今の時代に戦争をするなんて信じられない!」と怒る人がいます。ここで注目するのは『信じられない』という言葉。

いや、信じる信じないに関係なく、あっちでは現実にドンパチやっています。私の仕事である宗教もそうなのですが、信じるかどうかと実際に在るかどうかはキッチリ分けねばなりません。

信じられないならそれはそれでもちろん本人の自由。しかし自分が信じられないからといって、戦地で多数の人命が失われている現実を認るかどうかは別の話ですよね。

私は何の力もない庶民ですので、ロシアが受けた経済制裁のせいで目先の生活費が高騰することを憂慮するしかないのですが、この地球上で戦争があるという事実は受け止めています。そこに信じる信じないもありません。それが現実です。

4.見聞を広げて多角的に見る

何も意識高いことをしろとか、アカデミックに物事を探求せよとは言いません。しかし広範囲にアンテナを張るいわゆる『雑学王』は、えてして『怒らない人』となりやすいです。

なぜなら自分のできる範囲で、様々なことに興味を持って勉強している人は、物事を広く知るゆえに寛容であるから。あらゆる出来事に対して柔軟に捉えることができます。

そのいっぽう、自分に都合がよい情報のみを受け入れて、合わないものは排除してしまう人間は、少しでも自分の価値観に添わねば「こんなの有り得ない!」と怒ります。

支配者階層には『フールマネジメント』の概念があります。何をもって『フール』とするかは支配者の都合によりますが、人の心理を突き崩してわざと怒らせ、正常な判断を奪うことでフールを『生産』する手口も存在します。

支配を受けたくなければ、支配者側の心理や手口も勉強しましょう。されて腹立つことはされないように、普段から対策しておくのです。

5.伝家の宝刀「法廷で会いましょう」

私は人から噛み付かれて話が成立しなくなったら「続きは法廷でやりましょうか」と返します。すると「そんな大袈裟な!弁護士とか裁判とか!」とますます怒られるのですが、以降何を言われてもスルーでOK。

神様仏様やオバケが通用するのはそれを信じる人だけですが、法律は違います。知っていようとなかろうと、信じようと信じまいと、違反すればワルモノ決定です。

警察もそうですが、司法攻めは理不尽系怒りんぼに対して強力です。また、法律のタガがあると「あっこれ恫喝行為になるよな?」と気付いたりして、自分の怒りにもブレーキを掛けやすい実感があります。

ただし、あまり裁判だ警察だと言って脅すのはやり過ぎです。どうしても自力では解決できず相談できる人もいないとか、物理的な暴力を加えてきそうだとか、本当に司法のプロに頼るしかないときの最終手段にしましょう。

●さいごに……怒るときは『俺・私』を主語に

怒っているときは相手を主語にして責めがちですが、必ず主役は自分にしましょう。『周りの人』や『誰々さん』など他人を登場させ、自分の怒りの責任を分散させるのもダメです。

数年前、ある若手の方から怒られたことがありました。原因は彼を含む若手さん数名の誤解だったのですが、「"僕は"それで腹が立ったんです」と、絶対に他の誰の名前も出しませんでした。

この1つだけ取っても彼は怒り方を心得ていると感じます。ちゃんと自分の責任で怒っていることが分かりますのでね。

主語は自分。相手を主語にして責めるとめんどくさがられます。怒ってもぜんぜん言うことを聞いてもらえない人は、まずここから変えてみましょう。

それではまた次に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?