喪服めっちゃ着る人の喪服話

はいどうも!着物民の慈岳です。普段は作務衣が仕事着で、そこらへんほっつき歩くのも作務衣。それゆえメインの手持ちは外出着~セミフォーマルです。街着以下の着物もあるにはありますが、20秒で着れる手軽な作務衣につい手が伸びるぅぇ。

さて、そんな私が最もよく着る着物は五ツ紋の黒無地(以下喪服)です。慈岳の住みかは儀式や行事が多く、私の立場では慶弔問わず喪服を着用するしきたり。帯周りや手回り品は場に応じて使い分けますが、長着は喪服です。

noteの着物民で恐らく喪服着用率ナンバーワンの私が、喪服について語ります。それではどうぞ!


●一般社会の喪服と私らの喪服

ご存知のとおり黒留袖と喪服、五ツ紋の黒は最上格の着物です。一般の方なら滅多に袖を通すこともなく『3代受け継ぐ』もののひとつでしょう。それゆえ普段は留袖類とともに箪笥の最も居心地良い場所に保管され、葬儀や浅い年忌の際に登場するレアキャラ。

しかし私は毎月のように着るため、喪服はいちばん取り出しやすい場所にあります。多いときは1ヶ月で5回や10回着る場合もあり、扱いとしては街着レベルに近いのではないかと思いますね。

ガチ勢だとそれこそハンガーラックに掛けている人もいそうな感じです。もちろん悪天候の日もあるので、正絹と化繊の両方を。

●喪服はもはやレギュラーの着物

お師匠クラスの方や仕事を引退されているおばあちゃまはともかく、さすがに現役世代の仕事持ちでは、すべての儀式や行事にコッテリと皆勤することができません。それでも直近1ヶ月で3回の着用です。来月などはぶっ通しで10日間の行事があり、全部出れば10日間喪服。

このレベルになると、喪服も最低2~3枚は必要ですし、高級品は着ていられません。私の師匠でさえ身内の葬儀用の高価な『本喪服』とは別に、行事や儀式用として譲りものの喪服を使っておられます。

私ら若手に関しては言わずもがなで、本喪服は温存してリサイクルショップでゲット。他人の喪服を着ることは縁起が悪いという人が一定数おられるおかげで、リサイクル喪服は非常に安く入手可能。サイズと家紋が合うものがあれば予備として買います。

●単は作らなくてよし

私のような立場の者は、袷と夏物(当地は10~5月が袷、6~9月が夏物)を、それぞれ正絹と化繊の4枚の喪服を持っています。一般でも喪服の単は要りませんよね別に。喪服はどうせ真っ黒です。人の喪服の八掛まで見てる人がいたら同性でもヤバいですよ。着物警察じゃなくて逆に犯罪者。痴女。こっち寄んなw

単の時期は気温も天候も不安定ですので、長襦袢や肌着で適当に調整すればよいのです。当地では単の6月と9月も夏物を着るしきたりですので、帯から何からすべて絽。元々冷涼な土地ゆえ地元民は暑さに弱く、単を着せたらへこたれるんじゃないかなぁと思ったりもしていますね。

●喪服に慶事名古屋帯

当地に来ていちばん驚いたのがコレ。慶事の五ツ紋に喪用以外の名古屋帯って、外の世界じゃかなり珍しいと思います。私は慶事のときはてっきり袋帯だと思い込んでおり、袋帯を活用しまくれる!と歓喜していましたが、あっさり轟沈しました。

しかも、名古屋帯ならなんでも良いわけではなく、団体指定の揃いのもの。小物も華美なものはダメ。指定帯の色は冬物は裏葉柳、夏物は白で、沈んだ感じのおばあちゃんコーディネートと言えば伝わりますかね、基本的には慶事でもかなり地味にまとめるのです。

私らは脇役というか引き立て役の立場で、絢爛な袈裟を纏った主役勢の先導なりお迎えなりしますので、ディズニーのスタッフのように控え目にするのが役割といえば役割。これもひとつの在り方ですから、おばあちゃんコーデも楽しむのが勝ちですね。

●喪服が見る人に与える影響

さて、私らは基本的に団体行動で、出仕の際は喪服姿の謎集団が形成されます。正礼装である黒紋付の威力は強く、みんなで並んで立っているだけで、道行く人がお辞儀をしてくださったり、道の両脇に控えている私らの列を外側に迂回して歩いてくれたりします。

ときどき当地の事情に詳しい参拝者がおられて「ご出仕お疲れ様です」と声を掛けて下さいますが、大半のお客様は内心で「この喪服軍団は何者なんだろう?」と思っているかも知れません。それでも喪服だからこれから何か始まるのだろうということで、外国人さんでも会釈して通られます。

式服は見るものにかなり精神的な影響を与えます。それが喪服となれば、何かあったのかと思われるのも無理からぬこと。外の世界では喪服はほぼ遺族の式服ですから、これだけの人数を見ることはなかなかないでしょう。

●喪服の迷信について

先ほど少し書いた『他人の喪服は縁起が悪い』。これは迷信です。もし本当なのであれば、喪服の譲渡が普通に行われている当地の女性はみんな不幸になっていますよね。仮にその喪服の裾を踏んで転んだとしても、単に裾を踏んだ本人が原因なのであって、着物のせいではありません。

また、『喪服を準備するのは縁起が悪い』。ならば聞きますが、喪服の仕立てに何日掛かるとお考えでしょうか? 病人が危篤状態に陥ってから呉服屋に走ってもまず間に合うことはないでしょう。人は必ず亡くなりますし、それがいつになるかは誰にも分かりません。前もって準備するのがイヤなら、吊るしの洋喪服しか選択肢がなくなります。

このように、無知や先伸ばしスタンスから来る迷信が、着物界、特に喪服には存在します。『亡くなるのを待ってたみたい』なんかもただの被害妄想。もちろん心配りは大事ですが、それを優先しすぎて喪の場がおざなりになっては本末転倒ではないでしょうか。


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