父親

 noteこそは毎日続けようとか思ってたけど東京に帰ったりディズニーに行ったりとここ何日か忙しかったので、まさかの連続投稿日数2日で途切れてしまっていました。今回は奇想天外な私の父親について書こうと思います。まぁ私の親戚はみな破天荒な人が多くて、そんな人間いるんかいみたいなのの詰め合わせなんですけど、その遺伝が私自身にもかなり響いているなというのを強烈に痛感しながら日々を生きています。私の父親はずっと映画関連の仕事をしています。とにかく映画が好きで、それを作成するというよりはあらゆる方法で人に伝えていくといった感じです。例えば若いころは超有名な某出版社で映画雑誌の発行をおこなっていたり、今は映画館の支配人みたいなことをしていたりと。昔っから映画が好きっぽく、またかなり頭がよかったみたいでした。中学の時に全国模試で一桁の成績をとって、福岡で当時一番の公立高校に進学したらしいのですが、そこから大学に進学する気はなくて、東京の大学をたくさん受験するもほとんど全滅して、両親(私のおじいちゃんおばあちゃん)から浪人してもっかい受験すると嘘をついてお金をもらって東京で映画の広報関連の会社に就職して働きだしたみたいです。ひどい話。私は今大学一年生なのですが、そのぐらいの頃父親は何をしていたのかと聞いてみたら、ひたすら図書館にこもって、奥の倉庫とかにある映画の雑誌や新聞を持ってきてもらって一日中勉強するというのを繰り返していたらしいです。すげぇな。私はまぁ大学生で勉強しているとはいえ、そこまで打ち込めるほどはまっているものとかもないから、ほんとに尊敬だなって感じ。まぁもちろん親に何も言わずに働き始めるのとかひどいけど笑。そんで、当時は携帯とかもなくて、親との連絡ができない(というかする気がない)まま2,3年とか経ってお母さんが心配して住所だけ知ってたから東京の父親の家に福岡からはるばる訪ねてきたらしいんですよ。そんでピンポンして、もう父親のお母さんからしたら感動の再会なわけじゃないですか。大切な息子が東京に行って完全音信不通て。それで当時はたちそこらの父親はドアを開けて、「久しぶり、でも今ちょっと忙しいからまたね。」とか言って、そっからまた一週間ぐらい連絡取れなくなったらしいです。ばちあたり笑。でもその後会ってじっくり話したみたいですけど、とにかく自由奔放というか自分で何か考えたりするときは周りのこととかすべて関係なくなっちゃうんですよね。今でも、何か問いかけても世界に入ってて届いてないなって時があります。受験期に二人でご飯を食べに行った時も(そん時とかほんとに受験前でほんとにご飯以外は休まず勉強してたかった)ご飯を食べ終わった後に「ちょっとまって。仕事のメールがあるから。」とか言って一時間ぐらい待たされたこととかありました。ありえねー。で、まぁそんな感じで自由奔放すぎるせいで稼げる仕事をしないんですよね。映画館なんですけど、常に低賃金で、今回東京に帰った時も真剣な顔で、「5.5万至急必要なんだけど借りれる?」って聞かれました。大学一年生の貯金もないであろう自分の子供にそんなこと聞くかね。でも、私はそんな父親が魅力的で何回も父親に救われたことがあったので、笑って貸すことにしました。もうちょい定職に就けよ!父さん

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