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映画「カラオケ行こ!」23回目を見た後の私的な覚え書き。



⚠ネタバレしかない。 
⚠オタクの私的な覚え書き。 
⚠オタクの妄言多謝。 
⚠「カ!」原作は、映画前に一度読了済みだが、原作との違いをあーだこーだ言うつもりは一切なし。 
⚠「ファ!」未読。




都内のTOHO系な、割と大きめな映画館も今週木曜で上映終了となり、今月末まで上映してるっぽい、小さめな映画館もラストが平日だと、もう有休が使えない社畜は、24日の日曜が見納めに…
早く円盤が発売されてくれないと、腐な栄養補給ができなくて、干からびて死にそうな気がする…(イヤな死に方)

なんて、思ってたら、映カ!公式HPで、またもやチケット半券キャンペーンのお知らせが出ていて、ひとりで吹いた…
なんや、終わりちゃうんかい?!って、叫んだあと、ていうか、聡実くんのお誕生日って、エイプリルフールなんやね…スン、てなった。
お祝いは、やっぱり、チョコレートパフェとイチゴパフェかな…
(どっちも頼も、て…顔文字…甘ぁ…腹、壊すわ…いや、その前に、どんな顔して、こんな甘ったるいLINE、打ってんの…)
オタクのただでさえ不安定な情緒が、この映画の主たる893の人みたいに、上がったり下がったりするので、ほんま勘弁してほしい…いや、上映続行は喜ばしいし、半券キャンペーンについては、こんなん、なんぼあっても良いですからね。

前出の覚え書きでメモった、綾野さんのインタビューを踏まえて、映画版の成田狂児の「中の人」が、そう言ってるならば、狂児は、そういう人なんだろうなーという心づもりで、今回も上映を見たら、やっぱり、どうしたって、情緒がぐらんぐらんになるオタクです…(さすが、公式が最大大手)


映画軸の狂児は、演じた綾野さん曰く「基本的にはずっと20%くらいで生きてき」て、その人生のなかで「感情が極端に揺さぶられることもないし、歯を食いしばって100%で生きることもな」く、真面目に高校に行って、真面目にヒモ生活をして、カラオケ屋でバイトして、狂っていた人生の歯車が辿り着いた先で、893になっている。
そして、あの雨の日に「聡実くんと出会ったことで、それまでモノクロだった狂児の世界に色が生まれ、世界が変わってい」ったらしいけれど…
今さらながら、この「モノクロだった世界に色が生まれ、世界が変わってい」ったって、いう表現…冷静に受け止めたら、ちょっと、個人的に色々、思うところがありすぎるんだよなぁ…

前回、終わりのほうで、ふわっと軽めに覚え書きしましたけど…これ、この表現…なかなかに、ヤバない?ってなった。
なにが、ヤバいのかって、この映画版の成田狂児の「中の人」が、そう認識して、そう解釈して、そこを前提として、映画版の狂児を創り上げて、演じたってことは、この映画は、狂児の青春のやり直し、というよりも、モノクロだった自分の世界に色が生まれ、世界が変わっていったという、聡実くんとの(初めての恋の予感的な)物語な気がしてきて…息が苦しくなる…


【恋とは、どんなものかしら】
(オペラ/フィガロの結婚より)
あなたたちは知ってますよね、恋とは何か。 
女性たちよ、確かめて下さい、僕の心を。 
僕が感じていることを、もう一度言いましょう。
なんせ、初めてのことで、理解できないのです。  
愛情を感じつつ、 けれども、欲望に満ちているのです。
今は喜びであり、 同時に、苦しみでもあります。
凍えそうに感じたら、僕の魂は燃え上がり、あっという間に、また凍りそうになってしまいます。
僕は良いモノを探しています。 
自分のほかに誰が持っているのか、わからないのです。 
それが、何かもわからないのです。 
ため息をついたり、うめいたり、 そうしたくないのに。 
ときめいたり、震えたり、 知らないうちに。


(2009年、心理学学会誌Journal of Experimental Social Psychologyに掲載/アムテルダム大学・心理学科イェンスポスター教授の論文より)
【恋の病】
よく恋に落ちると世界が違って見えると言いますが、すでに取り上げたように、これは科学的にも、はっきりと、わかっている現象です。


自分のモノクロだった世界が色づいていく、世界が変わっていく、という心の動きの例え、この表現て、一般的に「恋に落ちた瞬間」の表現として、活用・認識されている気がするんだけれども…
「中の人」とオタクでは、共通認識、違うんかもしれまへんなぁ…(遠い目)

狂児のなかでは「聡実くんと出会った」感覚なのかもしれないが、まだ聡実くんは、あの市民ホールで歌っている時、狂児という存在を認識していないので、正確には、狂児が聡実くんを一方的に見つけてしまった、になるとは思うのだけれど、映画軸の狂児は、自分たち2人が、それこそ、運命的に出会ったと、解釈しているのだと思うと…
いやいやいや…その思い込み、なんなん?
初めての感覚に、もしや、浮かれてんのか…と、眉間に皺が寄る。

あと、この「基本的に、ずっと20%くらいで生きてきた」っていう表現も省エネ感がすごいし、「感情が極端に揺さぶられることもない」から、組仲間といるとき、あんな真顔、無表情なんかって、100%納得した…
生きる気力の低さは、それだけ、自分の生にも執着がない証拠っぽい。

聡実くんと出会ったことによって、世界の色が変わる。
その男のモノクロだった景色が、突然、色鮮やかに輝きだす。
世界は、生きる喜びに満ちていた。

それまで、ずっとモノクロだった自分の世界に、聡実くんが存在するだけで、色が生まれ、鮮やかに色づいたなら、その世界は、さぞ、美しく、ましてや、それが初めての経験だったとしたら、そらなぁ、まわりなんて、目に入らず、夢中にもなるし、有象無象のなかから、聡実くんだけを見つける才能も突出するワケやなぁ…(さらに、遠い目)

聡実くんと一緒にいるときの、あの感情の起伏が激しい、情緒不安定さは、省エネモードではない狂児の、揺れる感情がストレートに表現されているのか…と思うと、初見時、直感的に感じた、聡実くんを車で送ったあとの「心配やん。夜道ひとりで危ないやろ。…聡実くん、おやすみ」のとこの、謎すぎる優しさ、初っ端からの異常な好感度の高さ、狂児の彼氏感も、聡実くんを「ようやく出会えた、自分のモノクロだった世界を色鮮やかに美しく色づかせる、天使の歌声を持つ運命の子」と認識しているならば、あながち、彼氏気取りでも、間違いではなかったのかなと、思ってしまう腐った思念。

無意識、かつ、無自覚で、理性では関わってはいけないとわかってはいるけれど、一度関わる喜びを知ってしまえば、感情は我慢がきかずに、その姿を、その声を欲して。

狂児が聡実くんに向ける、常の笑顔は、聡実くんに怖がられて、嫌われたくない、拒否されたくないっていう、無意識化での感情の発露かもしれないし、狂児自身、他者に向ける、初めての、ひどく不器用で、純粋な好意というような気もする…
何度も言うが…それは、恋、では…ない?

聡実くんから、自分の声質に合うのでは?と、丁寧に書かれたセトリメモを渡され、それを嬉しそうに見る狂児。
(BRUTUS 2021.4.1 脳科学者・恩蔵絢子に聞く、恋に落ちたとき、脳内はどうなっている⁉より抜粋)
まず、恋人と友達は、脳の中では別の存在です。
有名な実験に「狂おしいほどの恋をしている人に、親友と恋人の写真をそれぞれ見せたときの脳内活動の調査」というのがあります。
わかったのは、恋人を見るとき、批判する回路の働きが弱くなっているということ。
そして、脳の報酬系が強く働いていること。
写真を見るだけで、嬉しくなっちゃうんですね。
恋人と友達、好きは好きでも、脳内では働いている部位が異なるのです。


「もう無理です…これ以上、付き合えません」
あそこの狂児は、聡実くんが、そこまで怖がっているとは、これっぽっちも全く思ってなくて、ぷりぷり小指の話も薄ら笑いを浮かべながら、なんなら、ちょっと楽しげに喋っている。
あのシーンの怯える聡実くんと、明るい狂児の温度差は、そのまま、2人の噛み合わなさにも通じていて、あの2人が住む世界が、全くの別世界だと、改めて突きつけられた感じがして、なんとも言いようがない。

最初から、交わることなど無い世界。
片方は、モノクロの、ろくでもない世界。
片方は、眩しい光あふれる、真っ当な世界。

狂児は、聡実くんの切羽詰まった、泣きそうな声音に、一瞬怯んだ気持ちを隠すように、目線が彷徨い、いつもと同じ穏やかな笑みを浮かべようとして、失敗して、表情を消す。
狂児的にも、聡実くんを怖がらせるつもりは毛頭なかったのだろうと思うけれど。
「そうか。ほな、仕方ないな。聡実くん、中学生やしな」
893の世界が、日常の狂児は、聡実くんが『何』が本当に怖いのかとか、聡実くんが『なんで』自分に付き合ってくれていたのかとかまで、深くは考えてなさそう。
目の前に現れた、運命的な出会いをした子どもとの接点、関わりを、ただ自分からは、断ち切りたくはなくて。
けれども、こんな自分が関わってはいけないと、大人で893な男はわかっている。
わかってはいるが、理性と感情は別物で、せっかく色づいたはずの自分の世界が、再びモノクロに戻ってしまうのがイヤで、結局は「溺れる者は藁をも掴む」ように、また聡実くんに関わっていく。
(時間軸メモ)
893大集合カラオケ教室→9月14、15?日
魔法の棒LINE→9月18日


「こんなとこ、二度と来たらあかんよ」
怖いめや、危ないめに、あってほしくないと思う、その心は。


人生の歯車が狂った男が生きてきた、ひどく退屈で、しみったれたモノクロの世界。
それが、生き生きと鮮やかに、綺麗な色がついて、世界が変わったと思ったのに。
「ちゃうわぼけ!どこをどう見たら、くっさい青春やねん!」
聡実くんと2人、楽しくて、楽しくて。
それこそ夢中になって、笑いあっていられたから、それが、ずっと続くのだと思い込んで、大人と子どもという境界線を、雑に踏み外し、傷つけてしまった。

男を置いて、遠くなる、小さな背中を、じっと、目で追う。
こんな自分が関わってはいけないと、また理性が警告する。
いつもの感情を揺るがすことなんてない、ヤクザの自分が、無表情に告げている。
向けられた背中は、強い拒絶のようで、男はひとり、立ち竦む。

けれども、背中に鶴を背負った男は、無意識化で、自分とは正反対の聡実くんを求めていたように、本当は、ひとりで、地獄になんて行きたくはないと、思っていたのかもしれない。
♪天国なんかに住んだりしないと、高らかに歌っていた聡実くんが存在しない世界、すべてに色のない世界になんて、もう、戻りたいとは思わないだろう。
人生の歯車が狂った先で、まるで天上から一筋落ちる、救いの蜘蛛の糸のように、運命的に出会えたのだから、こんな自分を、ひとり置いて、行かないでほしい。
「聡実くんを置いて、死なれへんしな」
ふたり、一緒なら。



…んん?
pixivメモか?
途中から、オタクの妄想がダダ漏れて、二次小説が書きあがる勢いでしたが、映画版で#狂聡(ブロマンス、またの名を友達以上恋人未満)を解釈するならば、うちはこんな感じ→見本ということで☆


映画軸での、狂児の初っ端からの聡実くんへの謎すぎる優しさも、まとわりつく執着心も、起点が全て「モノクロの世界を色づかせ、自分の世界を変えた天使(の歌声を持つ男の子)」からの「こんな自分に、遣わされた天使」(お告げ☆)という、その解釈で合意ならば、市民ホールの雷鳴轟く階段で、そら、ねっとり、舐めるように見るわなぁ…と、白目をむいて、全力で納得してしまう。

まぁ、でも、聡実くんをブチ切れさせた「三角関係のもつれ」の茶化しを見るに、狂児のなかでは、聡実くんへの態度は、無意識、かつ、無自覚(な好意…恋?←しつこい)ってところなんやろうけど。

そして、最終的に、組長の誕生カラオケ大会で、自分のために、その声を捧げて♪紅を歌ってくれている聡実くんを見て、自分が聡実くんにとって「大事な人」になっていたという事実に、狂児が気付いてしまったならば、宇宙人に2000万の車、ボコボコな廃車行きにされても、そら、あんな嬉しげな、上機嫌な笑顔にもなるわなぁ…(真顔)

あ、一方、聡実くんのほうとしては。
「かぁわぁいいなぁ!」
この時点でも、頭を撫でられたことより、小指を隠しているので、潜在的な恐怖のが強い、というより、あのダッシュボードにあった、ぷりぷり小指がトラウマになってる気がする…ほんと、かわいそすぎる。
でも「ありがとうな、聡実くん!なぁ、ありがとう〜、聡実くぅん〜(ハート)」のところで、ウザ絡みの893の人が左半身0距離に引っ付いてきても、チャーハンを食べ続けられているので、確かに、聡実くんのなかでは、狂児への好感度は増していると思われる。

私が初見時から、ずっと気になっていた狂児から、聡実くんへのバカでかい矢印のクソデカ感情の答えが、狂児の「中の人」曰く「モノクロ世界→キラキラ輝く色付き世界への変化」という、ひどく古典的な、人が恋に落ちた瞬間のような、モノならば。
「刺さってもうた矢ぁ、抜いてぇ~」
それって…
『恋』の、矢と…ちゃいますやろ、か…?
(聡実くんによって、さらに胸に押し込まれてるのが、また震える…)