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映画「カラオケ行こ!」10回目を見た後の私的な覚え書き。


⚠ネタバレしかない。 
⚠オタクの私的な覚え書き。 
⚠オタクの妄言多謝。 
⚠「カ!」原作は、映画前に一度読了済みだが、原作との違いをあーだこーだ言うつもりは一切なし。
⚠「ファ!」未読。



近場の上映館が、金曜でラストだったので、三連休は足を伸ばして、都内+県北の上映館へと通う予定、と言いながら、チケットは既に購入済み。
気付けば、来週で、どこの映画館も上映終了になってしまうんだなぁ…あぁ…
あまりの悲しみに、来月一週目の土日も、もちろん、観に行く(願望)



狂児の登場シーン、まとめ。
どしゃ降りの雨の中、あかりの消された市民ホールのロビー階段、聡実くんが忘れた亀の傘の日陰のなか、ミナミ銀座の路地裏、センチュリー車内のダブルピースのとこ、カラオケ天国のフロント前、カラオケルーム、ミナミ銀座のシャッター街、スナック・カツ子。
全て、薄暗い、日の当たらない場所。

聡実くんと狂児のシーンで、893大集合カラオケ教室後のまだ外は明るいセンチュリー車内では、ずっとだし、聡実くんブチ切れ校門前では、狂児は登場して、最初にグラサン?メガネかけてる。
屋上シーンでは、聡実くんと眼鏡交換こしてるくらいで、がっつりかけてはいないけれども「ん~~、久々やわぁ〜、光合成…」らしきことを言っている。
ここも、シナリオブック記載なし。
太陽の下にいるということが、日常的ではない、どこまでも暗い影を背負う男。


以下、耳で聞いて、文字おこししたので、聞き間違いはあるはず…

影が濃くなるのは太陽が強烈なせいだよ
暗闇が深くなるのは眩しい光のせいだよ
手放しながら睨みつける
笑いながら悲しんでる
途方に暮れながら胸を張る
戸惑いながら覚悟している

光と影の両方に愛されながら
逆光のなか いま
影 シルエットは命そのもの
天国は穏やかで平和ないいところらしいけど
神さまが注ぐ永遠の光は
景色が物に影をこしらえないから
どんなに天気がいい日でも
影絵遊びができないんだ
だから僕 死んだって
天国なんかに住んだりしない

この合唱曲を見つけた映画スタッフの方々を、マジで尊敬する…
素晴らしい、狂聡ソング。

狂児が聡実くんに対して謝罪するシーンは、893大集合カラオケ教室後の聡実くんを送っていくところと、聡実くんがブチ切れするところ。
どちらとも、狂児は、聡実くんのことをわかっているようで、その心の中までは、きちんとわかっていなかったように思える。
前出の覚え書きでも書いてはいるが、893大集合カラオケ教室のとき、893の自分に対して、はっきりと思ったことを言える聡実くんならば、ほかの893に対しても忌憚なくアドバイスができるし、精神的にも大丈夫だろうと、狂児は思ったからこそ、あの場所に連れてきたんだろう。
でも、自分の腕に、両手で強くすがりつく聡実くんの姿を実際に見て、あれ?これ、大丈夫なんか??って、ちょっと不安になったから、聡実くんが、893の皆さんにアドバイスを言う最初のほうは、狂児は、聡実くんの横顔を、じーっと見てる。
その、表情の、僅かな変化をも見逃さないとでも言うように。

ごく一般的な家庭で暮らしていた聡実くんは、それまでミナミ銀座という、自分が通い慣れた通学路の、脇道にそれた薄暗い路地裏に、まさか893が本当に存在していて、そんなヤカラが自分と接点を持つとは、夢にも思わなかっただろう。
だからこそ、映画を見る部で同級生から「おるやん、ミナミ銀座にも」と言われ、あの表情なんだろうなと、思う。

狂児が、聡実くんのことを、肝が据わっている、度胸がある子だから、ほかの893に会わせても大丈夫と思ってしまったのも、狂児に対する聡実くんの、のちのちの反応を見れば、仕方ないと言えば、仕方ないのかもしれないけれど、聡実くんは最初、きちんと、狂児に怯え、その存在を怖がっていたのに。
あの、ダッシュボードの中にあったプリッと小指のところも、狂児的には、893あるあるなネタとして、自分ではオモロい話をしてるだけっぽいノリだけど、聡実くん的には「もう無理」となる。
聡実くんは、ごく一般的に暮らしている、普通の中学生なんだから、狂児と同じ感覚なわけがないのに、狂児は、それを、わかっていなかった。
わかろうとしていなかった、だろうか…

「聡実くんは聡い果実やから、大丈夫や」と宣った、生まれた瞬間から歯車が狂った男は、聡実くんは自分とは違って、大丈夫、歯車は狂わない、その明るい未来の生き行く先は、きっと地獄ではないと、信じている。
けれども、聡実くんは歌っていたはず。
天使の歌声で「戸惑いながら、覚悟している」「だから僕死んだって、天国なんかに住んだりしない」と。
その覚悟は、893である狂児を、狂児として受け入れる覚悟、とも思える。

聡実くんと、部活の子たちとの関係性を茶化すシーンも、狂児的には、聡実くんが不機嫌にはなるだろうけれど、あそこまで激怒するとは思わなかったのだろう。
だからこその、あの全力での茶化し。
あのシーンは、まだ夕方になる前で、そこそこ明るい日差しのなか、屋上シーンに続いての、狂児が、まともに日の当たる場所に、存在するシーン。
狂児的には、聡実くんと一緒に過ごした、あの屋上シーンでの、まるで、気を許した友達同士みたいな、他愛のない、無邪気なままの、楽しい気持ちのままの、流れだったような気がする。
あの、明るく眩しい太陽の下で、なんの気負いもなく、ただ「あくまでも聡実と同じ目線で世の中を見渡した」男は、やはり、聡実くんのことを、きちんとわかってはいなかったのだろうな、と思う。

声変わりという成長期、綺麗なボーイソプラノが、それまでの聡実くんを支えていたアイデンティティのパーツのひとつだったとしたら、それを永遠に失ってしまうのは、聡実くんの年齢で考えると、やはりものすごく重たい感じがする。
そんななかで、映画を見る部の同級生は、聡実くんが、ポロリと言った「合唱は、ぼくの代わりが、もういてる」という客観的事実に対して、変な慰めとかはせず、まるごと受け止めてくれていて、友達として理想だし、あの時点では一番、聡実くんのことを理解してくれていそう。
「時は、巻き戻せない」ことを理解している彼と、「今」の聡実くんを求める狂児の存在は、聡実くんの救いであり、逃げでもあるからこそ、その隣は、居心地が良い。

「綺麗なものしかあかんかったら、この街ごと全滅や」という狂児の、この言葉を、聡実くんが、自分なりに受け止めたから、合唱祭の朝、お母さんに向かって「どうせうまく歌えんと思う…それでもえぇかなって」という台詞に繋がっていくのだと思うと、たしかに、狂児は、聡実くんの成長期の悩みを、そんなに苦しまなくてもいいんだと、軽くしてくれたんだろうな。

天使の歌声を持つ中学生の男の子に、ただ歌がうまくなるコツを教えてもらいたかっただけの男は、いつしか、その綺麗な歌声がなくなってしまったとしても、それでも、聡実くんは聡実くんだという、清濁併せ呑んで、自分は自分という、自身の受け入れかたを与えてくれた。
狂児の言葉があって、それを、聡実くんなりに理解したから、綺麗な声が出なくとも、自分は大丈夫だと、思えるようになったんだろうし、そんな自分を受け入れられた。
それは、大人への成長の証。

そうやって、聡実くんを、知らず知らずのうちに、きちんと導いていた映画軸の狂児って、こいつ、カタギの友だち、いなそうやなーって、個人的に、すごく失礼だが、思ってしまうのは、聡実くんとの付き合い方が、なんだか、不器用に見えるから。
聡実くんは、最初から「友達ちゃうねんから、カラオケなんて行きませんよ。大人が子供を誘いますか普通」と、はっきりと線引きしていて、きちんとわかっている。
そのあとも、カズコのくだりがあった後の映画を見る部で「大人って汚いよな」と、きちんと、狂児が大人で、自分は子供だと、理解している。
そんな聡実くんに対して、狂児は、綾野さんの言うところの『大人の手練手管で聡実と向き合ってはいけない』と本能で察しているからか、893で大人の部分と、まるで和田くんみたいな、あの「毎日、牛乳飲んでますぅ~」というのと、同じようなテンションの子どもっぽい部分が、なんだか不安定に入り混じっていて、そこが、掴みどころがないキャラクターになっており、ちょっと得体が知れないというか、どこが、この男の「実体」なのかが、わからなくて、初見時、この893、ワケわからん、こわっ…と、普通に思った。
それまで、大人の対応をしてたのに、急にガキっぽく茶化したり、おちょくったり、ふざけたりする、その不安定さ。
「は〜、騙されたわ〜、すっかり騙された〜、信じた僕は、一体どうしたらえぇねん…」然り、「聡実くんは、痛いとこつくのが得意やなぁ」然り、「先生のお手本、聞きたいなぁ」然り。
屋上のシーンで「こんなとこ、二度と来たら、あかんよ」と、大人のトーンで言いながら、そのあと、聡実くんと楽しそうに言い合いをする姿は、まるで仲の良い友達同士の、じゃれあいのよう。

映画軸の狂児って、オタクの妄想の範囲にはなるけれども、中学生くらいまでは、普通に男子でつるんで遊んでたっぽいけど、まわりの男子が、それこそ、狂児が異性にめちゃめちゃモテるって理解し始めたら、思春期だし、高校生男子連中は、狂児を羨み、遠巻きにしそうだし、そんなヤツらは、狂児も相手にしないだろろし、逆に、煽って、ケンカになって、どんどん強くなってそう、んで、更にモテるという、友達が出来ない悪循環に陥っていたら、笑える。
狂児自身、対人関係においても、あんまり執着しなさそうだから、異性にモテているならば、その時は、特になんとも思わなかったのかもしれないが、聡実くんと出会って、聡実くんと一緒の時間を過ごすうちに、何気ない友達同士のやり取りみたいな、肩肘張らない関係性を、狂児自身が、すごく楽しんでいた気がする。
だから、本当なら、大人の狂児だったら、わかっておいてあげなくてはいけなかったことが、聡実くんと一緒にいる今が、楽しすぎて、狂児自身が多分、気付けていなかったから、聡実くんに「もう無理です」と言われ、フリーザみたいにブチ切れられたのではなかろうか。
対人関係に器用そうなのに、こと、聡実くんに対してになると、途端に不器用になるというか…ガキになるというか…

映画軸の狂児は、ろくでもない闇を背負った893の部分、飄々とした大人な部分もあって、落ち着いて見えるけれど、普通にしていれば、喜怒哀楽が、きちんとある印象。
聡実くんが、かなり淡々として、冷静でいるから、逆に狂児のほうが、子どもっぽく見えてしまうのかもしれないが。
狂児の怒り、とも言えるのが、宇宙人との遭遇シーンだけれども、あそこは、逆に淡々と、狂児的には、日常的な雑用処理をしているだけ、の感じがする。
あのシーンで、もし、狂児が一番動揺していたとしたら、宇宙人に捕獲された聡実くんを見つけた瞬間だろうと、思うし。
それ以外のやり取りのなかでは、カバンを振り上げた時ですら、狂児の心の揺れは、一切感じない。
そんな狂児が、聡実くんと一緒にいると、喜びや、憂いや、楽しさといった感情を、ストレートに出している。
屋上シーンは、言わずもがな、本当に楽しそうに笑ってるし、組長の誕生カラオケ大会で、聡実くんの♪紅を聞いて、泣き笑いの聡実くんの肩を抱いていた、あそこも、朗らかに笑っている。
まるで、ずっと欲しかった、求めていたモノを、手に入れたかのように。
なんの屈託も、邪気もなさそうな、晴れやかで、楽しそうな笑顔。

映画軸の狂児が、最初、聡実くんに求めていたモノは「歌がうまくなるコツを教えてほしい」だったはず。
けれど、まるで、天からのお告げとでも言うように、運命的に見つけた、天使の歌声を持つ男の子を、何故か、ここで逃してはなるまいと、じっとりと、まとわりついて、怯えられても、怖がられても、手離すことが出来ずにいた。

そう、最初は、歌がうまくなるコツを教えてもらいたかっただけ。
けれど、その、893の自分を「怖いモノ」だと、わかったうえで受け入れて、自分の歌がうまくなるには、どうしたらいいのかと、きちんと真剣に、誠実に、一生懸命考えてくれている聡実くんと、一緒の時間を過ごしてしまえば、聡実くん自身に情がわかないはずはなく、いつしか、天使の歌声と自分が評した、綺麗なボーイソプラノを失ってしまったとしても、それでも、聡実くんは聡実くんなのだと、受け入れた。
狂児の、まるごと全てを受け入れてくれた聡実くんを、今度は「綺麗なものしかあかんかったら、この街ごと全滅や」と、狂児が受け止める。

聡実くんの、おててについて。
スナック・カツ子に突撃した聡実くんに、組長さんが「歌え」と、カラオケマイクを差し出すところで、合唱祭の曲紹介とリンクしていくシーン、何回見ても素晴らしいなーって思って見ていたら、なんか急に、マイクを受け取る聡実くんの手の小ささに、衝撃を受けてしまった…大人の男の人の手と、あんなに違うなんて…なんて…なんて、かわいらしい手ぇなんやろか…
あんな小さな手で、狂児にすがりついていたのかと思う、と…あかん…胸が、ギュッとなる…ギュッと。(誰?)
あと、屋上シーンで、聡実くんが、狂児に貰ったカフェオレを、飲まずに両手で持っていじりながら、胸に抱いて「好きなもんを嫌いって言う」作戦を、狂児に話しているところも、ものすごくかわいい…いや、聡実くんは、全編かわいいけどな、知ってた。


♪オレが見えないのか すぐそばにいるのに
(スナックの壁にもたれて、歌う聡実くんを、じっと見つめている狂児)
自分は地獄行きだと、薄暗い影の底から、まるで儚く消えるマボロシみたいに、低く嘲笑う男が、それでもなお「溺れる者は藁をも掴む」ように、その真っ白な眩しい光に、強く惹かれて、焦がれるみたいに、必死に求め続けて、ようやく♪天国なんかに住んだりしないと、天使のように、高らかに歌っていた子どもが、真っ黒に染まって、自分の腕のなかに、自ら堕ちてきてくれたなら、こんなに幸福で、満ち足りたことはなかっただろう。
聞け、喜びのおとずれの歌。


求めよ、さらば与えられん 
《新約聖書「マタイ伝」から》
「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」の意。転じて、物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大事だということ。

光をもたらす、義の太陽よ
救いといのちと平和の君よ
死すべき人を生かすためにと
み子は生まれぬ、まぶねの中に
聞け、喜びのおとずれの歌
『讃美歌21』 262 聞け、天使の歌



鑑賞10回目、既に次の展開がわかっているはずなのに、やはり、出だしの♪影絵「戸惑いながら、覚悟している」と、澄んだ歌声を響かせる聡実くんに、これから待ち受ける893襲来という災難(言い方…)を予感させて、心が震えるし、893大集合カラオケ教室で、聡実くんが土下座しながらも、真剣に893の皆さんにアドバイスする姿には、胸がギュッとなるし、組長の誕生カラオケ大会で、狂児への鎮魂歌を歌う聡実くんを見てると、無性に泣きたくなる。
なんて、えぇ子なんやろ…
そして、見終わった後は、あの♪紅を歌い終わった聡実くんを、腕のなかに囲い込み、なんの憂いもなく、屈託もなく、朗らかに笑っていた男のように、ひどく満ち足りた気分に浸る。
だから、こんなに、何度も何度も何度も、飽きることなく、見てしまうのかもしれない。
中学生と893の、不器用で、いとしい、刹那とも言える青春の映画を。