見出し画像

心をかき乱される読書体験 「そして、バトンは渡された」

読書体験には2種類ある。ひとつは、別世界を体感するもの。もうひとつは、自分の体験を思い起こさせるもの。

私は子どもの頃から今に至るまで、前者を感じさせてくれる本が好きでした。小学生の頃は偉人の伝記や怪盗ルパンシリーズ、星新一、中学生で筒井康隆、高校生で村上春樹。どこか遠くに連れて行ってくれる感覚。ストーリーは忘れても、まさに「夢中」にさせてくれる本が好きでした。

さて、瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」を昨日読み終わりました。文藝春秋の作品紹介を記載します。

私には五人の父と母がいる。その全員を大好きだ。
高校二年生の森宮優子。

生まれた時は水戸優子だった。その後、田中優子となり、泉ヶ原優子を経て、現在は森宮を名乗っている。

名付けた人物は近くにいないから、どういう思いでつけられた名前かはわからない。

継父継母がころころ変わるが、血の繋がっていない人ばかり。

「バトン」のようにして様々な両親の元を渡り歩いた優子だが、親との関係に悩むこともグレることもなく、どこでも幸せだった。

「そして、バトンは渡された」文藝春秋社  作品紹介

2018年の作品で、2019年の本屋大賞受賞、2021年に映画化、2023年には君に贈る本大賞受賞。Amazonの感想でも、爽やかな感動の涙、心温まるストーリー、絆の大切さを感じた…。文章は軽快で読みやすく、登場人物は皆一生懸命に生きていると感じました。とても良い本です。本当に。

それでも私は夢中になれなかった。この本は、私にとっては自分自身の記憶や感情が想起させられる、明確に「後者」の読書体験でした。率直に言うと、辛かった。主人公の感情は、私の心に必要以上に刺さります。本文より、いくつかの場面での言葉を抜粋します。

私に選択なんてさせるべきじゃなかったのだ。お父さんと梨花さんが自分たちで決めて、私を納得させるべきだった。小学校高学年になると言ったって、まだ十歳なのだ。正しい判断が、そのあと悔やまない判断が、できるわけがない。

私はまだ子どもなのだ。お父さんと日本で暮らすことがかなわなかったように、ただ受け入れるしかない。親が決めたことに従うしかない。子どもというのはそういうものなのだ。それを思い知った気がした。

悲しいわけではない。ただ、私たちは本質に触れずうまく暮らしているだけなのかもしれないということが、何かの瞬間に明るみに出るとき、私はどうしようもない気持ちになる。

「どっちでもいいよ」
私はそう言った。
何がいいのか、どうしたいのか、考えたらおかしくなりそうだった。私の家族ってなんなのだろう。そんなことに目を向けたら、自分の中の何かが壊れてしまいそうだった。どうでもいい。どこで暮らそうが誰と暮らそうが一緒だ。そう投げやりにならないと、生きていけない。そう思った。

「そして、バトンは渡された」

私の体験を簡潔に。私には、ひとりの母と、二人の父がいます。私が生まれてすぐに両親が離婚。物心がつくころ、私は母と兄弟、それに祖母と親戚の家で暮らしていました。色々な遊びに付き合ってくれ、とても愛情を込めてもらっていたと感じます。小学生の時に再婚し、二人目の父ができました。私が大学に入るため家を出て、最初の夏休み。数ヶ月ぶりに帰省すると、母から「今度、離婚する」と聞きました。「あ、そうなんだ」。特に説明はなく、私も、何も聞けず。

投げやりになっていたとは思いませんが、私の気持ちは「どっちでもいいよ」でした。主人公と同じく、どこかで一線を引いていたと思います。ストーリーは全体として明るく、ずっと愛情に溢れているのに、時折混ざる主人公の想いがサブリミナル効果のように積もっていく。今から30年以上前、シングルマザーという言葉もまだ認識しない頃、私は何かに蓋をして過ごしていたと気付きました。

読後、noteを書きながら感じます。不幸だと感じたことはありません。でも私はきっと、ずっと、どこかで傷付いていた。


この記事が参加している募集

読書感想文

最後までお読みいただき、ありがとうございます!少しずつ想いを残していければ、と思います。またお越しください。