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生きるために他の命を奪うことは残酷なのか

都会の人と話してみて

この前、東京に住む昔からの友人と漁業について話す機会がありました。
そいつが言うには

人間が生きて行くためには命を奪う必要がある、命を奪って生きている残酷な行為を都会に住んでいると意識しなくなる。
それを意識しなくなったからフードロスなどの問題が生じるのではないか

そのようなことを考えていました。

そんななかで自分はこの問いかけを皆さんにしたいです

果たして人間は命を奪っているのか??

奪うという表現にやや、違和感を覚えました。

他の生物の命に直接依存して生きているのは人間だけではないです。動物すべて、他の生物の命に依存しています。生態系ピラミッドの頂点と言われるような生物も幼生期などは他の生物の餌です。

その自然な営みの中で人間のみがまるで悪かのような言い方に違和感を覚えたのだと思います。

命を繋ぐ

これこそがもっともらしい表現だと思うのです。

果てしない年月を重ねて、生き物たちは食う、食われるの関係を作りながら命を子孫に繋げてきたのです。

もし、他の命に依存することを悪とするなら、全ての動物は悪となり、もはやそこに悪という考えは介在し得ません。

では、なぜ悪という感情が生まれるのか

命を金としか見なくなったからではないでしょうか?

魚を獲っても、魚が金に見える。魚を手に入れるにも金が要求される。

命の価値=値段

だから漁業者も命を粗末に扱う、消費者も簡単に食品を破棄する。

命を繋いでいく、このことをもっと意識するべきなのではないでしょうか。

命を繋ぐために自分が考えること

ある意味、ここからが書きたいことかもしれません笑

生き物たちが命を繋ぐには、必ず環境が必要です。

しかし、その多くの環境を今まで人間が破壊してきたのは事実です。

全ての命には水が必要です。そして、その水環境は今、大きく破壊され続けています。

その環境を、水産業だとか、農業だとかに絞ることなく、皆で再生させていきたいのです。

水を使わない産業はないと言ってもいいくらい、今の社会は水に頼っているのではないでしょうか?

しかし、その水を最も破壊しているのも今の社会です。

水環境の破壊は、命を繋ぐことへのダメージに直結します。

破壊されている水環境を、どういうふうに再生していきたいのか、どこが目標となるのか、これはとても難しい問題ですが立ち向かって行かなくてはいけないと強く考えます。

明日はここら辺を内容を書いていきたいです。

では、良い1日を

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