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再演から見るトラウマの回復


  • トラウマにおける再演の定義

  • トラウマによる虐待環境の再現

  • 再演性を帯びた広範な事象

  • トラウマの回復のスタート地点- ある事象を概念化できない時期について


トラウマにおける再演(エナクメント)について考えている。トラウマにおける再演を自分なりに定義してみると,「個人や社会のトラウマに起因して,ある事象,現象がトラウマタイズ(トラウマの様相を帯びること)され,意識的あるいは無意識に再度トラウマに接触すること」と言えるのかなと思う。例えば,虐待的な環境にあわれた方が再度,自分を虐待的な環境に身を置いたり,逆に虐待的な行動をしてしまったりすることが挙げられる。また広義には,自傷行為や性的逸脱,非行,犯罪,争い,様々な事象が再演性を帯びている。精神疾患である身体表現性障害や解離性障害も,一つの再演としての病と捉えることができるだろう。 まず,トラウマの文脈において,被害を被害として捉えるということは非常に時間がかかるが,とても意義のあることである。それは,トラウマをトラウマとして考えるスタート地点であり,まさにそこからトラウマの回復が始まるのである。それは自分が安全でいる権利がある,主張する権利がある,訴える権利があるという主体性の感覚と結びつくのである。この文脈はトラウマの再演についても同様であるように思うのだ。 しかし,ここで一つ注意として,ある事象を「再演」とか「トラウマ」のように概念化できない時期というのを否定する論調ではないという事だ。概念化できないぐらい,その場をサバイブしてきたということでもある。精神医学的な文脈を援用すると,「病識」と言えるかもしれない(病理化には危険が伴うがアナロジカルにとらえてほしい)。多くの人は,「病識があると良い」と考えるかもしれないが,これは少し違うと思う。対象を知覚,認識できるからこそ辛いということもあるのだ。 つまり,私が言いたいのは,トラウマに苦しみ,もがいている多くの時間は,まさに自分のサバイブのための大切な時間であるということなのだ。安全が確保されたり,治療を行ったり,色んな時期があると思うが,それまでの期間を,ひとえに自分にとって必要のない時間と断罪しなくても良いのである。 トラウマというのは,常に発見と健忘(隠匿ともいえようか)をしてきたのである。多くの健忘は,組織化し腐敗された加害的な個人や社会であることが多い(しかし,加害を一方向的に裁定するのは,まさに新たなトラウマを生み出すことになるのだが…)。そのトラウマをサバイブするということは本当に大仕事であり,リスペクトされて良いことだと思うのだ。

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