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つい気になるは、いつまでか?

調停離婚が成立して数ヶ月。清算条項のお陰で、後腐れなく生きていけます。子どもたちとは同居しており、大変だけど楽しくやっています。

なのですが、金銭的な目処はついているものの、少なからずモヤっとする部分があります。できることなら、相手方より活き活きと生きていきたいと思っているのですが、逆にそれが原因で「あっちはどうなってるんだろう」と意味のない詮索をしてしまいます。

子どもたちは、相手方から密度は低ながらも連絡がくるらしいので、ついその「意味のない」事を聞いたりしてしまうのですが、逆にこちらのことも伝わっているかもしれないと、やはりまた意味のない詮索をしていまいます。

こんな意味のないことを止める方法はただ一つで、「相手方のことを気にしない」です。それだけ。

とはいえ、最初からすっぱりできるわけでもなく。例えば転職したら、前の会社の状況が気になったりするわけで、そういうのと似ています。
だから、別のことに集中するのが精神衛生上よいに決まっています。
気がついたら気にしなくなっているには、どれくらいの時間がかかるのだろう?あえて口にするから、余計な情報で気になるんじゃないのか?とも思えます。

ここまでわかっているのなら、子どもたちには聞かない、子どもたちには言わないとすれば、情報がなくなるので、どうでもよくなる「はず」です。

なぜ人は、気にしなくていい物事に注目し、情報を集めようとするのか?と、考えると、また変なことを考え始めそうなので、新しい相手を探すのがいいんだろうなと思います。

探せなくてもいいのです。探すことに意義があるのだから。