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常人離れしたすごい人の話。

はちゃめちゃな人、常人離れした人に、そこはかとない憧れがあったりする。自分にないものに、憧れるというか。

常人離れとは、才能や考え方が普通でないこと、普通の人には考えられない発想がぽんと出てくること。いるよね、そんな人。
さらーっと、しれーっと、とんでもないことをやり遂げちゃう人、叶えちゃう人。

先日、あるトーク番組を観ていたら、“ラジオ界のカリスマ”伊集院光が、脱力お笑いコンビ、おぎやはぎの小木博明(背の高い方)について、「正直、悔しい」というような話をしていた。
自分はラジオの前に、しゃべることを入念に準備して挑んでいるのに、小木ときたら、「しゃべること、ないんだよねぇ」で番組を始めちゃうらしい。
肩の力を入れまくり、努力で築いてきた己の前に、肩の力が抜けまくった天才が現れたわけだ。
実は「うまくしゃべるために」陰で地道に努力し、表ではその努力を見せまいと懸命な伊集院は、「しゃべることがない」ことに何の焦りも見せず、ぬるぬるとしゃべれてしまう小木たちに、嫉妬にも似た憧れを感じたという。

これ、ちょっとわかるなぁ。

自分の常識の範疇にないことを、さくっとできてしまう人を目にすると、それ、できちゃうんだ……と、羨ましさがむくむくっと湧くことがある。
すぱっと仕事を辞めて、起業しちゃう人とか、
言葉もしゃべれないのに、海外に移住しちゃう人とか、
とんでもない借金をして、映画を撮っちゃう人とか、
小説、書けちゃう人とか、
ゼロからものを作れちゃう人とか、
予想だにしない発想で、おもしろいこと言えちゃう人とか。
朝ドラ『らんまん』で知った、植物博士の牧野富太郎とか。

そういえば、何も知らない子供の頃は、破天荒な織田信長がカッコよく、実直な家康はつまらない人のように思っていたけれど、大人になった今は、ちょっと見方が変わってきたかもしれない。

さて。「普通」とはなんだろう。「常人離れ」とはなんだろう。

先日、長年の付き合いの韓国人の友人から、「会社を立ち上げた」という報告があった。
日本語を学び、日本を相手に仕事をし、彼女がやってきた業績は、私からみると「常人離れ」している。加えて、旦那と一緒にソウルでカレー屋を開き、成功させている。
私の常識を超えた「勇気」ある行動の連続なのだ。そして、そんな彼女に尊敬を抱くと同時に、また上を行かれたと羨望も湧く。

かすかな羨望を感じながら話を聞いていたら、「いや、すごいわけじゃないの。取引先に会社にしてくれと言われて流れで……」と、気が抜けるような理由を明かしてくれた。

「勇気」や「才能」だけでなく、「流れ」もあるんだなと、なんとなく安堵して、いやはや、自分も小さいなと思った。

こちらが勝手に「すごい」と思っているだけなのかもしれない。
こちらの「普通」が、相手にとっては「すごい」こともある。
人は、ないものねだりだからなぁ。

なので「すごい」という言葉を使うのは、なるべく気をつけようと思う。









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