見出し画像

「山上徹也」とは何者だっのか 鈴木エイト:著

私、鈴木エイトの追及がなければ、統一教会と政治家の関係については、さほど問題視されることもなく政治家はいまだに統一教会と関係を持ち続けていただろう。
一方、そもそも山上徹也の犯行がなければ、統一教会の問題がこれほど広く知られることもなかった。

鈴木エイト氏は、もちろん殺人を肯定している訳ではないが、山上氏にかなりシンパシーを感じていることがわかる。鈴木エイト氏にとっては山上の犯行は、感情的な短絡的な無計画なものではあってはならず、何年もかけて計画し、その影響を十二分に予測したものでなくてはならないのだ。方法論は全く逆であり、彼を肯定することは、自身の否定にも繋がるリスクがありながら、それでも感情移入せざるを得ない存在なのである。同じような憤りを感じ、世の中を変えようともがき苦しんだ同志でなければならないのだ。
これ程までに悲しい事件はないように思う。社会に蔓延する悪を退治しようとすると、もはや悪に手を染めるという選択しか残されていない、これが現代日本の現在地である。そこまでして、山上氏が人生を賭けて暴き出した真実もまた、いつのまにか再び元の闇の中へと引き摺り込まれ、まるで無かった事にされようとしている。もはやなす術はないのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?