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豊洲で1人土曜日の朝を過ごしてしまった女の話

よっぽどの用事がない限りは自ら訪れることはない街、それが豊洲である。

公園も大型ショッピングモールも、川沿いには心地よさそうな遊歩道もあるけれど、「時間あるから今日は豊洲行こうかな」とは絶対にならない。だったら家にいたい。

まずなんだか物理的に遠い(私の家から)。それに豊洲という街は、2人以上のグループにのみ許される街のような気がする。

だから、誰かといる豊洲は大丈夫だけど、たくさんのグループの誰かとばかりすれ違う1人の豊洲は、よく分からないけれど、あんまり大丈夫だと思えない。1人の表参道も1人の日本橋も大丈夫なのに、1人の豊洲だけはなんだかダメなのである。大事な休日に1人ではるばる大丈夫じゃない街に出かけるなんて正気の沙汰じゃない。

なのに、それなのに、私は今、豊洲にいる。なんならこの街のど真ん中にある、よく陽が当たる天井の高いカフェにいる。柔らかいソファに腰をかけて、これでもかという甘さのフレンチトーストをコーヒーで流し込んでいる。1人で。

今日はこの街で友人と会う予定だった。友人に子供が生まれたということで、彼女の家にほど近いこの街で会うことになったのである。スマホのスケジュールアプリには確かに今日、と入れていた。が、ラインのやり取りを改めて確認すると明日だった。どうみても明日だった。友人からも「日曜日楽しみにしているね」との連絡が水曜日に来ていた。で、今日は土曜日である。

でもスケジュールアプリにはには土曜日は豊洲って入れていたし、日曜日は別の予定も入れていた。ダブルブッキングまでやらかしてしまった。

こんなこと滅多にしないから、非常に落ち込んだ。

人の脳というのは見たいようにしか物事を認知できないのだろうか。疑いの余地すらなかった今日の予定は、思わぬ形で全く違うものとなった。
私はこうやってたくさんの出来事を見落としたり、勘違いしたりしながら、今日という日まで生きていたのだろうか。なんて愚かなんだろう。あぁ、本当に嫌になる。

自分の過ちに気づいたのは、川沿いを歩きながらふとラインを見返した時だった。いつもだったら「そろそろつくね」「遅れそう」とかそういうやり取りがあるのに、そういえば今日は連絡来ないな、そろそろ連絡しようかな、と思ってラインを開いた瞬間、「日曜日」の文字が見えた。あれ、今日は土曜日なのに。その事実が受け入れられず、しばし川沿いのベンチで呆然とした。

が、目の前を通るたくさんの家族連れ、二人組の男女、楽しそうな団体、子供の声、心なしかいけすかないこの街の小型犬達ですら、私に小さな傷をつけてくる。それに何より季節は冬、寒い。

いかにも冷たそうに流れるその川は、昼間に冷静に見るととても美しいとは言い難いものだった。無機質に増殖を続ける高層ビル群も、こうして見ると夜の美しさが嘘のようだ。そんな景色に背を向けて、来た道を早々に引き返し駅へと向かった。

すると心地の良さそうな広いカフェがちょうどオープンしていた。まだ早い時間だからだろうか。とても空いている。せめて今日という1日に意味を持たせたい。吸い込まれるように入った。そして、もはや本当に食べたいのか食べたくないのか分からないけど、そういえばずっと食べたかった気もしてきたフレンチトーストをオーダーした。

ちなみにコートを脱いだ時に、ピアスが片方ないことにも気づいた。気に入ってたのに。高かったのに。あぁもう本当に嫌になる。

思わず深いため息が出て、テーブルに頭を伏せた。

この街に1人なのも、こんなに間抜けでついてないのも、自分だけのように思える。

フレンチトーストは半分くらいを食べたところでお腹がいっぱいになってきた。なのに、小さく切り分けて、黄色くてジュワッと柔らかいそのかたまりに、これでもかという量のメープルシロップをかけると、なぜだか無限に食べられるのである。ポットのジャーから淹れた味気ないブラックコーヒーの熱さと苦さが、お腹の中でその糖質と交わった。冷え切った私の身体は半ば強制的に温まり、血糖値も急激に上がってなんだか眠くなってくる。頭の中も空っぽになる。そういえば朝から何も食べてなかった。

しばらく時間が経ったようだった。さっきまで眩しかった日差しは気づけば雲に隠れてきた。そして静かだった店内はたくさんのグループで溢れ始めてきた。

ずっと空いてた隣の席には子供用のチェアがセットされ始めた。

束の間のこの時間もそろそろ終わりが近いようだ。気づけば広い店内は満席だった。そして、こんなに広いのに、こんなにたくさんの人がいるのに、1人なのは私だけである。誰かが決めた幸せの定義をなぞって、幸せのチェックリストを一つずつ埋めて、心の奥で「これでやっと幸せだね」と安心しているような街だと思った。多様性とか自分らしさとかなんとかいうけれど、自分の気持ちが落ち込んでる中でマイノリティ側になった途端にこういう意地悪な目線になってしまう。

ちなみに家に帰ったら、なんともう片方のピアスもなくなっていた。本当に嫌になる。
豊洲のことを悪く思ったから、仕返しにあの街に大事なものを取られたんだろうか。
私の気持ちをなんとなく削って、気に入ってたピアスも奪うあの街がやっぱり好きになれない。
しかし、忘れてはいけない。今日は土曜日である。つまり友人との本当の約束は明日である。私は明日もまたあの街に行かねばならないのであった。

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