50歳からのヒップホップ入門
これまでの僕とヒップホップとの関係を分かりやすく例えるとするならば、それは「巨人の星」の
星飛雄馬
とその姉の
星明子
のような感じかもしれない。
つまり、明子であるところの僕はずっと電信柱の陰から、
飛雄馬であるところのヒップホップ
を遠巻きに見つめていたに過ぎなかった。
唯一の違いと言えば、彼女は号泣しながら飛雄馬を見つめていたけれど、僕はそうではなかったという点だけだ(いや、たまに僕も号泣してたかもしれない)
でも、本当は、我ながら柄でもないけど、こんな僕だって、キャップを斜めに被り腰を低く下ろして両腕を前に出して振り回しながら、
「東京生まれヒップホップ育ち、悪いヤツはたいがい友達」
とか言いたかった
わけでは決してない(笑)
そーゆーギャングスタラップ(?)的なものは、僕のキャラ的(見た目は完全にカピバラ)にはさすがに柄でもなさ過ぎるからね。
でも、僕がこれまで電信柱越しに見てきたヒップホップは、何もそーゆーイカついヤツばかりじゃなくて、いわゆる
非ストリート系のただのサラリーマンである
僕のような人間でも共感できるものもたくさんあった。
例えば、今から10年前に、上司のパワハラが原因で会社に行けなくなり、ずっと布団に入って寝込んでいた僕の心に唯一届いて、そして、そのおかげでなんとか歩みをとめずに今もこうやってやっていけているのも、こんなヒップホップのリリック↓に出会えたおかげだった。
確かに、歌謡曲やロックの歌詞からどんどんメッセージ性が漂白されている現代において、ヒップホップがその役割を一手に引き受けている印象を僕は勝手に抱いていたりもする。
だから、実際にそんなヒップホップを僕もカラオケなどで歌ってみたら、それこそ若かりし頃、ブルーハーツやハイロウズを熱唱したあのときみたいに、心にファイヤーがバーニングするじゃないか、とずっと思っていた。
でも、やはり、柄じゃない、年甲斐もない、などと自分に言い訳をしていたら、気づいたら50歳にもなっていた、というわけ。
しかし、つい先日も行った一人カラオケで、年末に引いた風邪の影響で喉の調子が芳しくなかった僕は、声をあまり張り上げなくて済むだろうという理由で(まさに苦肉の策)、ヒップホップの曲を初めて通しで丸々歌ったのだけど、我ながら意外とまあまあ歌えたような気がしたのだった。
というわけで、これがきっかけで、まさに50の手習いという感じで、あの禁断のヒップホップの果実を遅ればせながら僕は齧り始めた、というわけ。
そして、今もまさにカラオケ屋さんの大きなスクリーンに映し出されるヒップホップの歌詞を読み上げながら、改めて
ヒップホップが持つ言葉の力
をまざまざと見せつけられているところである。
そして、僕より年下のヒップホップがグッと身近な存在である友人たちの前でいつか僕のラップを披露できるように、
目下、練習を重ねている、というわけである。
と言っても、ただカラオケで歌うだけなんだけどね。
決して、
N.O.T.E、フリースタイルダンジョンで衝撃デビュー!
とかを目指しているわけじゃないので、そこんとこ誤解なきようにみなさん夜露死苦!
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