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別に異性にモテなくても友達がたくさんいなくても人はちゃんと幸せになれる件について

「どうしたら女の子にモテるんだろう?」

「どうしたら友達がたくさん出来るのだろう?」

そんな風に悶々と悩んでいた時期が確かに僕にもあった。

で、結局、その答えは分からずじまいで、たいして異性にもモテずに、友達も片手で足りないくらいしかいない今の僕がいる。

しかし、不思議なことに、そんな明らかに残念な人なはずの僕の実感は、ちっとも不幸ではなくて、むしろたまに幸せを噛みしていたりすら出来ている。

そして、その理由についてもなんとなく気づいているから、そのあたりのことを、かつての僕と同じような若き悩めるウェルテルたちに向けて書いてみようかな、とふと気まぐれに思いついた次第である。

そもそも女の子にモテたい、と考えたときの僕らの頭には、相手の女の子の具体的なイメージなどほとんどないはずだ。せいぜい可愛くておっぱいが大きいとか、それくらいだろう。

友達のイメージだって同様で、湘南の海で男女混合でビーチバレーしたり、クラブで朝まで踊り明かした後に男女混合でツイスターしたり、とか、なんかひとりぼっちの自分の手を引いて明るい世界に連れ出しくれる人たちくらいのイメージしかないと思う。

まあ、要するにどちらも実態のない幻想みたいなものに過ぎないのだから、そもそもこーゆーことに悩んだり、それを叶えるために努力すること自体がかなりナンセンスな行為なんだと今の僕は考えている。

つまり、これまで公衆トイレの鏡の前で、たくさんの前髪整えている殿方を見てきたけれど、とゆーか若かりし頃の僕自身もやってたけど(苦笑)、たぶん

大事なのはそんなんじゃない©️岡村靖幸

のだ。

もちろん僕らは等しく

誰かと出会うために生まれてきたんだ

とは僕も思っている。

でも、その誰かって決して誰でもいいわけじゃなくて、それこそそれぞれの人で大切な誰かって違うはずなんだ。

そして、その"運命"の誰かに出会うためにまず僕らがやるべきことは、自分自身が「自分」という誰かになることなんじゃないかな

というのが僕の考えである。

で、僕自身が今、なんだかんだ自分の人生をまんざらでもないと思い始めているのは、数は少ないけれど、そんな自分にとっての誰かに出会うことができた、と実感できているからに他ならない(まあ、単なる勘違いである可能性も大いにあるけど)

そして、それは僕が、自分がなるべく嫌われないように、たやすく周りの人の意見に流されたり、その場の空気を読んだり、誰かれ構わず見せかけの優しさを振り撒いたりする代わりに、愚直なまでに泥臭く自分の好奇心や信念に忠実に生きてきた結果、

なかなかこーゆーヤツおろんやろ!

と自他ともに認めるくらいの

めんどくさいユニークな誰かになれたからだって思っている。

そう、だからこそ、やっと出会えたんだ。

僕と同じくらい実は頑固でぶっ飛んでて

めちゃくちゃ面白い

みんな

にね(あくまで僕にとってはだけどね笑)

まあ、要するに、(よく知らない)不特定多数の誰かにモテるために何かをするよりも、自分に自信がモテるように努力することのほうが大事なんじゃない?

ってのが、そんじょそこらにいそうでいて案外そんじょそこらにはなかなかいない変なオジサンである僕の一意見である。

まあ、そんな風に自らの個性を追求した代償として、そんな風変わりな僕のことを遠巻きに見ながら勝手に毛嫌いする人たちもいて、たまに

何だかなー

と思うこともなくはないけどね。

それはともかく、人の幸せの形なんてきっと人それぞれで千差万別なんだろうけど、

少なくとも顔のよく思い出せないたくさんの人たちに好かれるよりも、数はわずかだけど目を瞑ると、はっきりとあの生き生きとした笑顔を思い浮かべられる人たちがいる今の方が、僕にとってはやはり幸せなんだよな。





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