見出し画像

車だん吉さんについて

これから書くことはすべて私の頭の中の消しゴムで毎日、イレースされ続けている僕の薄ら記憶を頼りにしたものなので、真偽の程は保証しません。そのあたりを確かめたい方は皆さんおなじみのwikipediaでお調べください。ちなみに日本語版より英語版の方が圧倒的に情報の信頼性は高いです。Dankichi Kurumaで検索すれば、もしかするとヒットするかもしれません。知らんけど。

前貼りいや前置きが長くなりましたが、 

ぽて、と

いや、

さて、と

本題に入りましょうか。

車だん吉さんについて…

芸人さんです。

もともと、あの欽ちゃんこと萩本欽一さんのお弟子さんで、ダンプタンクローというコンビ名で、コントか漫才をやってました。なので、昔のコント55号主演の喜劇映画を見ると、たまにチョイ役で出てたりしてます。

しかし、彼の名が全国的に轟いたのは、あの伝説のバラエティ番組「お笑いマンガ道場」に出演してからです。

中京テレビというローカル局制作で、主な出演者は

タレ目のおっさん(柏村武昭)
ちりちりハゲのやせ細ったおっさん(鈴木義司先生)
キツネ目でデブのおっさん(富永一朗先生)
ゴリラーマン(車だん吉)

という、今どきのインスタグラムに夢中な若者なら確実に

バエねえなあ!

と突っ込むに違いないメンツで、唯一の紅一点(川島なお美)も、ラジオでうっかり大学のテストをカンニングしたことを告白したせいで、当時、業界をほぼ干されているという有様でした。

そんなしょっぱい出演陣に関わらず、この番組は人によっては(というか自分だけど)、当時(1980年代)、隆盛を極めていた「俺たちひょうきん族」や「8時だよ全員集合」などよりもずっと思い入れの強い番組となりました。

この番組は、フリップを使ったいわゆるマンガ版笑点(寄席番組)だったのだけど、タケちゃんマンやアミダばばあの姿は忘れても、

びよ〜んと垂れ下がった2つの胸を先っちょで縛り付けたおばあさんや

土管から顔を出した鈴木義司氏の姿は

未だに鮮明に思い出すことができます。というか、たぶん書ける。

そして、この番組の一番の見どころは、何と言っても冨永先生と鈴木先生(確か当時、彼は読売新聞(夕刊)で連載を持ってたはず)という巨匠同士が本当に子供が呆れるくらいに大人げない掛け合いをするところでした。

二人がフリップを使ってお互いに激しくディスりあう様子はまさに漫画版フリースタイルダンジョンと言っても過言ではありません。いや、ごめん、さすがにこれは言い過ぎでした。

しかし、実は子供の頃の僕は何気にだん吉すげえな、と彼のことを一番リスペクトしていました。

素人にしては確かに絵はうまいんだけど、あの巨匠たちにくらべたら、明らかにクオリティが低くて面白くないマンガを書き続けるその勇気とハートの強さ、パねえな、と。

で、気づいたら、判官びいきみたいに、彼がたまにオオウケして、巨匠二人を喰ったときは、ブラウン管の前で、おっしゃ!とガッツポーズをしたりしていました。

そんなダンキッチーな僕には未だにたまに頭に思い浮かべるフレーズがあります。

というわけで最後にそれを読者の皆様と一緒に叫んでこの記事を終わりにしたいと思います。

それでは、みんな準備はいいかな〜

じゃあ、行くよ!

3

2

1

だん吉、なお美のおまけコーナー!

〈おしまいける〉

ちなみにタイトル画像は双子の弟が書いたお笑いマンガ道場出演者のイラストです。兄弟共々お世話になりました。

ただし、一方で、このようなもの↓が15年前に下北沢の古本屋で500円で投げ売りされていたので、少なくとも川島なお美さんにとっては、あまり楽しくなかった過去である可能性も否めません。まあ、彼女も今頃、失楽園で古谷一行氏と再会し幸せに過ごされているかと思いますが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?