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子供だましのポンコツ(ゴミ)映画、『TANG タング』

粗筋

 医者の夢はどこへやら、ニート三昧に勤しむダメ旦那の健。家を追い出された彼は裏庭で拾ったポンコツロボット、タングと共に旅に出る。世界中(というか日本と中国)を飛び回り、明かされるタングの正体とは…!
 『ロボット・イン・ザ・ガーデン』を大胆に日本に置き換え、映画化。


 皆さんは映画『夏への扉 -君のいる未来へ-』を覚えているだろうか。
 ハインライン原作からキモい部分をスポイルし、無難にした一作だ。昨年夏に『Ark アーク』と仲良く大爆死し、「日本のSF映画市場は不毛」と言わしめた。
 そんな三木監督が、再びSF映画を送り出す!正直イヤな予感しかしないが、怖いもの見たさで観にいった…。ヒッデェよこれ!「胸キュン映画」とやらは兎も角、三木監督にSF方面の技量はないね!

 原作も併せて読んだが「ダメ男とロボットの世界旅行」というプロットしか残っておらず、ほぼ別物。なので飽くまで、映画単体で話をしていきます。
 大変口汚く罵って行きますので、本作を楽しまれた方は回れ右して下さい。

ロボットものとして

 作り込んだいかにもな近未来ではなく、いま生きているお客さんが自分たちと地続きにある世界だと感じられるのが重要だと思いました…

パンフ、production_notesより

 モノは言いよう。換言するなら、作り手が「ロボットが本当に居る世界」を真剣に考えていない。ロボットが普及するほど科学が発展した割に、住居/交通システム/通信は現代レベルなのね…といった疑問は言わずもがな。タングと他のロボットの差がデカ過ぎるせいで、登場人物全員がバカにしか見えない。

ポンコツ設定(行動面)

 タングは、ダメロボットらしい。ならば当然、「出来たロボット」との比較は必須。ところが本作は(予算がないためか)、タング以外の描写が余りに稚拙。逆説的にタングが特別なものに見えてしまう

 原作では、家事/コンパニオンなどの他にも掃除員/運転手/セクサロイドなど多様なロボットが出ていた。ところが映画では、運搬用か案内ロボットの2種しかいない。特定の仕事に従事する、原始的なロボットなのだ。
 ところがタングは違う。何事にも興味を示し、稚気と創造力溢れる無茶をする。駄々をこね、また相手の感情を理解したうえで「リアクションを引きだす」ような嫌がらせにも出たりする。
 これは異常である。というか、これを異常と思わない奴が異常だ。中盤、ロボット科学者がAI発展史を概略する。

第一世代:指示を単純処理する
第二世代:ディープラーニングで学習する
第三世代=タング:人と同じく意思を持って学習し、行動する

ここに至って健は漸くタングの有能性に気づくのだが…お前医大卒のくせに途轍もないアホか?

ポンコツ設定(ビジュアル面)

 この世界では、外装がボロければポンコツロボットなのだという。そうか??このサイズ(設定では身長84cm/30kg)で多機能な方が、よっぽどヤバくないか

 この映画、タング以外のロボットは2極化しちゃってるのだ。小型の運搬ドローン/ルンバは物を運ぶ以外の機能がなく、人型アンドロイドは漏れなく成人男性サイズ(そのくせ動く画はほぼない!)。
 一方のタングは、未就学児サイズなのに直立疾走が可能。おまけに繊細な手の動きや感情を露にした全身駆動を見せる。どう見てもヤバい

 せめてタングより小さいのに滑らかに動く小型ロボットが居れば、こう云ったあげつらいは出ないのだが…。

ポンコツ説得

 それでは、タング=ポンコツ設定をどう提示するのか。台詞による説得である

何だよ、あのポンコツロボット。
うわぁ、ボロッちい。
クスクス、ポンコツよ。

正気とは思えないが、こんなセリフがワンシーンに詰め込まれている。つまり、監督は「私はポンコツロボットを映像的に見せられません」と白状しているのだ。あんたの想像力がポンコツなのでは?

 例えば、(キャラデザや動きを間違いなくパクってる)pixarの『wall-e』はどうしていたか。旧型のウォーリーと新型のイヴが初対面するシーンでは、二人の性能差・洗練性の違いを端的且つコミカルに見せられていた。

今作も、CMの最新鋭アンドロイドの動きをタングが真似する(そして悉く失敗する)モンタージュを入れれば、彼のポンコツぶりを提示できていたろうに。
 代わりに、本作のユーモアは芸人やらタレントやらがお道化た台詞を言うシーンで補填されている。…脚本のセンスが痴れますね!

キャラクターものとして

 初対面の相手をあだ名呼びするキチガイ女、かまいたちにしか見えないかまいたち演じる捜査官コンビ、核兵器なみにヤバいブツを追う割にトロい善VS悪の科学者…。揃いも揃ってふざけた人物描写だが、一番ヤバいのは健だった。

ぐうたらサイコパス主人公

 一見ダメ男の健だが、哀しい過去がある。研修医として働く病院に、父親が担ぎ込まれた。急患応対で止む無く処置に加わるが、パニックに襲われ何も出来ず帰らぬ人になってしまい…。以後、彼は無気力になってしまった。映画オリジナルの過去設定はラストで回収されるのですが…トラウマ経験と「お気楽ニート生活」が繋がらんのよ
 自分の行動が他者の命を左右するのに耐えられない…それで臨床医に挫折するのは分かる。でも、医大卒のキャリアは他にもあるでしょ?産業医や製薬会社のMD、公務員。大学戻って研究したって良いし、医療機器メーカーの営業にもなれる。

 過去パートで真面目だったのに、いきなり「サバゲ―VR楽しィィィFoooo!!」ってクソニートになるのは空白があり過ぎる。無職だけならまだしも、家事さえ一切やらず。それを指摘されたら「何で怒ってるんだよ~絵美~♡」とヘラヘラ笑う。完全にサイコです。

キャラ設定の齟齬

 なぜこんな不快なキャラになるのか。原作の設定を中途半端に引っ張るだけで、「映画設定から導き出される人物造形」を真面目に考えてないからでしょう。端的に言えば、小説と映画ではジャンルが変わってるんです。

原作:迷子ロボットの情操教育をし、病気やトラブルに四苦八苦。それを通じて主人公も成長する「父性獲得もの」。
映画:人生に一度挫折した中年が奮起する「ワンスアゲインもの」。

この変更自体は、悪くないでしょう。お気楽ふわふわ~な原作と違い、悪の組織とのバトル&タングの死でシリアス要素を足し見せ場を作れる。でも、お気楽主人公は「父性獲得=大人になる」話で有効なキャラ設定であって、ワンスアゲインものとは嚙み合わないんです。
 ワンスアゲインものの主人公なら、ベタですが「自暴自棄&荒くれ」の方が適している筈。不朽の名作『ロッキー』がそうですし、「中年×少年withロボのロードムービー」で言えば『リアルスティール』もその造形です。

繊細で内気なキャラも、ワンスアゲインものに適している

 ジャニ役者で言えば、二宮よりも森田剛の方がずっと似つかわしかったでしょうね。『ヒメアノ~ル』『前科者』で演じた「時間の止まってしまった人」像なら、大人の鑑賞に耐える映画になったろうに。

シリアスな社会派SFとして

 では映画で足されたシリアス要素はどうか。これも酷いなんてレベルじゃねえ!!SF観が半世紀遅れなうえに、何も考えてないのが丸わかり

善の科学者、悪の科学者

 タングの出生には、驚きの秘密があった。軍事技術の開発途上で、恐怖を感じる=人間性を備えたAIタングが誕生してしまった。馬場博士はタングを持ち逃げしたため、加藤博士らは後を追った。しかしタングは馬場博士の下を抜け出し、健の家まで落ち延びていたのだった…。
 馬場=マッドサイエンティスト、加藤=良い科学者、という図式が出来てるんですね。そこで加藤が口にするのは…

「馬場博士は手柄を一人で持ち逃げした。だから、我々は彼を追って来たのだ」

???それって善悪じゃなくて、単なる内ゲバですよね!??
 では馬場の言い分を聴いてみると…

「タングは人類を進化させる。労働を向上させ、無限の富を可能にするのだ!」

うん、立派だ。反進歩的なイスラム圏や老人を殺すとか、物騒なことは言ってないんですよ。王道楽土の実現のため、タングを使うだけ。それなのに「俺からタングを奪うなんて、あんたは悪人だ」と言う健の方が、エゴ丸出しに見える。所有権はどっちかと言えば馬場にあるし、ラストバトルは彼の住居に乗り込んでタング強奪だからな?もろ犯罪やん?

 またベタな提案ですけど、父親の死を馬場と絡めるべきだったんじゃないですかね。馬場が逃亡の途中に自動車事故なりを起こし、健の父親に大ケガを負わしていたと判明させる。そうすれば健が馬場と対決する真っ当な理由になるし、馬場博士は「大層なことを言いながら、手段を択ばぬ悪漢」だと示せたじゃないですか。

魂は、どこに宿るか

 ラスト10分で、タングが停止します。健は加藤博士の手助けもありタングを修理し、治療のトラウマを克服して成長する…。感動「げ」な展開なんですが、僕は失笑を隠せませんでした。だってタングのAIはチップに宿っているのであって、別にボディにはないんだから。

 アシモフや手塚漫画の時代なら兎も角、ロボットの「頭脳」と「身体」は不可分ではないでしょう。タングの頭脳が重要なら、そのチップをこそ争奪すべき。なのに馬場も加藤も、タングを「丸ごと」確保しようと躍起になり、健はタングの「身体」が動かないことに動転する。
…百歩譲って、「動くロボットとしてのタング」が重要だとしよう。それならワンロジック入れろや!チップが一定時間稼働を止めると強制再起動され、プログラムが初期化される、とかさ!「身体性を得てこそ、初めて自我/操作が安定する」ってのは、ロボットアニメ/映画の便利な設定トレンドになってるぞ!

パシリムやエヴァのような、小理屈が欲しい

 ラストで加藤の見せる温情も、噴飯もの。
「タングはわが社のトップシークレットだが、モニタリングを続けるなら同居を許可しよう」
と言って、実質的に引き渡すのだ。
 あのさぁ…タングのAIって世界のパワーバランス変えるくらいの激ヤバ案件よね?チップの現物を格納したまま、パンピーに引き渡すな!コミュニケーションなら(それもロボットなら)電子上で出来る!タングのボディを使うにしても、クラウド側に電子AIを置いてボディは受信・動作するだけの機械にしろ!いっそ隔離施設へ引っ越せ!


 所詮はアイドル映画なので、ゆるーく観るモノなのは百も承知。けれどもわざわざ映画でシリアス要素を足したわりに、脚本が余りにもガバガバで真面目に観るのが空しくなる。
 これぞまさに、子供だまし映画でした。正直褒めてるヤツらの気が痴れねえわ…。 

 はい、酷評終わり!今年のワースト更新です!!


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