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90分ワンカット映画『ボイリング・ポイント/沸騰』

粗筋 レストランが最も賑わう、クリスマス前の金曜日。ロンドンの高級レストランもまた、開店前から目が回るほど忙しかった。仕事も私生活も破綻寸前のオーナーシェフ・アンディに、更なる厄介事が次々に積み重なる。彼はこの1日を、乗り越えられるのか。


 シェフとして10年以上働いた異色の経歴を持つ、バランティーニ監督。彼が2019年に発表した短編を長編にセルフリメイクしたのが、今作『ボイリング・ポイント/沸騰』となる。
 歴々たる英国の映画賞を受賞し、批評家も絶賛するこの映画。正直な感想としては…竜頭蛇尾でした。設定と試みは素晴らしいけど、ストーリーがイマ一つなんだよな。いつも通り、全ネタバレで進めていきます。


ワンカット映画とドキュメンタリー性

 長回しの特徴とは、緊張感と没入感にある。途切れなく映像を見続けることで、精神の張り詰めや焦燥感が伝わり、その場に居合わせたような感覚に襲われる。
 それが極に達するのが、ワンカット(風)映画でしょう。ヒッチコックの時代からある手法ではあるが、(フィルムリールの長さなど)技術的制約や高度な撮影技量が居ることから、ワンカット「風」になることが多い。カメラ前を人/モノが通り過ぎる、暗がりに入る、壁を一旦映す、大きくカメラがブレる…そうした編集点を間に入れることで、カットとカットのつなぎ目を誤魔化すのです。

 映像技術の進化に伴い、ワンカット映画も発展を遂げました。ヒッチコックの『ロープ』は密室会話劇だったが、屋外の撮影や果てはアクション映画さえ撮れるようになった。だが「ワンカットでもこんな映像が取れる!」と技巧に走る余り、却ってリアリティが失われるところまで来てしまった。

 近年話題になったワンカット映画と言えば、イニャリトゥの『バードマン』とサムメンデスの『1917』があります。どちらも非常に技巧的な映画です。役者やカメラの動線は精密に設計され、普通の劇映画と変わらぬスムーズさで、物語が進行する。しかし、余りにも流麗なために寧ろ嘘っぽく見えてしまう。端的に言えば、生っぽさがない

ドキュメンタリー性:映像面

 今作がそうした「良く出来たワンカット映画」と違うのは、カメラワークからして分かる。冒頭、レストランへ向かうアンディが映るのだが、カメラは手ブレでぐらぐら揺れている。これが(一周回って)却って新しい。今作、カメラは基本的に一歩引いた位置から、その場の中心人物を追い続けます。まるで、ドキュメンタリー映画のように。
 手ブレ画面/長回しと言えば、ひところ流行ったPOV映画が思い起こされます。しかし、黎明期の『ブレアウィッチ・プロジェクト』や『クローバーフィールド』のように、画面酔いするほど拙いワケでは決してない。

・口論を遠巻きに捉えながら、ゆっくりとカメラがキッチンカウンターを越え、フロア側に移動する
・フロアから脇板、板場、焼き方、パティシェ、洗い場と裏方を一周し、再びフロアに戻る空間的カメラワーク
・裏方を一周する合間に客役を入れ、開店後の賑やかな店内に一転させる場面転換

など、見せるための工夫は万端。見やすさと生っぽい臨場感が両立した、なかなかのルックになっています。

(参考:ジェームズ・ワン監督の『狼たちの死刑宣告』。手渡しカメラワークで空間把握が容易な、見事な長回し)


ドキュメンタリー性:設定面

 イギリス社会の抱える問題が、このレストランに凝縮されている。この辺りも、今作のドキュメンタリー性を高める一因でしょう。
 人種差別、同性愛者への偏見、女性の労働、薬物・アルコール依存、自傷癖、労使関係の齟齬…。ここで働く誰もが、何かしら問題を抱えている。作中屈指のヤなヤツである総支配人ベスでさえも、父からの重責に人知れず涙を流す。特定のテーマを深堀りせず並列化し、「そこにあるもの」としてサラッと流す辺りも、良質なドキュメンタリー映画を思わせます。

フレデリック・ワイズマンのお仕事ドキュメンタリーっぽい

時限爆弾スリラー

 見えてる地雷が多すぎる。「これ、後で絶対ひと悶着あるっしょ!」と、緊張感が持続する要素がそこかしこに敷き詰められています。

店の中だけでも、

・配置に不満タラタラの見習い(おまけに扱うのが生ガキ!)
・手洗いが不徹底なサラダ担当
・自傷癖のパティシェ
・カリカリした妊婦&サボり魔の洗い場コンビ
・苦労人タイプの副シェフ&壊れかけの伝票端末
・依存症、注意散漫、家庭崩壊と不幸役満なオーナーシェフ
・キッチンに全く無理解なフロア接客勢

これだけ不安材料を抱えているのに、客は客で

・手ぐすね引いて待ち構える評論家
・人気者気取りのインスタグラマー
・人種差別で空気最悪の家族連れ
・アレルギー持ち&プロポーズ予定のカップル
・ゲイを小馬鹿にするパリピ女

と、死亡フラグの見本市。胃がキリキリするような人間模様のスリラーが展開されます。

 また、レストランという題材もスリラー要素を増す見事な設定です。
 とにかく、時間が足りない。殺人的な繁忙期なだけあって、引っ切り無しにオーダーが舞い込み、流れ作業で調理・接客が展開する。そんな中では店内教育も、チェックも、異部門間の折衝も、何よりコミュニケーションが成り立たない。誰一人として余裕がなく、アクシデントに神経をすり減らして、歪みを増していく。
 「ああ…これ破綻するわ…」と絶望感が積み重なるままに、後半の大騒動へと突き進んでいきます。


 という訳で、中盤までは大変面白い映画なんです。演技は主演のスティーヴン・グレアム始め、どれも絶品。この手のドタバタ劇を日本でやると、クレーマーは吉本新喜劇やスカッとジャパンに出てくるようないかにも意地の悪いキチガイになるもの。

つまんねードタバタ劇の一例

その点、今作のDQNインスタグラマーのリアルさは良い。「筋が通っているように見えて自己中な論理」で店側を困惑させつつ、3人組の一人は我関せずとスマホ弄りに勤しみ続ける…。こういうの、よく居るわ。

 では、何が不満なのか?それは、意味ありげなディティールが回収されない消化不良感にあります。


群像劇の快感

 群像劇/同時進行劇の面白さは、一期一会感にある。この場、この人物配置でしか起こりえない科学反応が起きて、予想外の事態が起きる。特に同時進行劇の場合は、途中までは同時並行してきたストーリーが、思わぬ交錯をして展開が膨らむと楽しさは倍増する。

川島監督の傑作、『幕末太陽傳』

ただし、論理パズルで満足するのも困りもの。「ほら、こことココは繋がっていた!どう?予想外でしょ~?」と賢しらぶった作品が、邦画界の一角を占めている。そういう作品に限って、(コメディにしても)リアリティが絶望的に欠如していたり、伏線回収が台詞のダダ流しだったりとブッサイクな映画になっているものです。

古沢良太脚本や、三谷幸喜監督作とかね!

なので、全て綺麗に伏線回収をしろ!とまでは言わない。にしても、今作は物語の畳み方が(劇映画として)やっぱ楽しくない。

 後半、大きな騒動が持ち上がる。ナッツアレルギーの女性が、急性症状を示すのだ。彼女が摂取したナッツは…店側が誤って提供していたのだった。…それって、在り来たり過ぎない?忙しい余り注意を怠っていたとは言うが、結局は店側の過失なのだ。不幸な偶然がいくつも重なった、群像劇ならではの驚きがここにはないのです。
 例えば、ナッツ(入りのドレッシング)を出すサラダ担当は、手洗いを怠るという大変オイシイ設定がある。なら、これを活かすべきでしょう。

・ホール担当がナッツを食べる客と握手なりする
・そのウェイターとサラダ担当が接触する
・その手を洗わぬまま調理をし、ナッツの微粒子が付いたサラダをアレルギー女性が摂取する

といった、調理手順ではナッツに触れていないのに何故か混入する展開だって作れた筈。

(参考:映画『コンティジョン』より、手洗い不徹底シェフが世界を滅ぼすの図。コロナ時勢を予見した名作です。)

 先に挙げた、見えてた地雷要素はほぼ回収されません。
・アンディが始終吸い付く水筒が実は酒だった
・サボり魔をクビに出来ないのは、コカインの調達係なので
の2点くらいなもの。

 そこを大目に見るにしても、ひと悶着/関係の破綻は既に繋がりのある者同士でしか起きないのも興ざめですね。身内ジョークに他の席の人間がいっちょ噛みしてくる、インスタ経由で主人公の悪行が妻に伝わり離婚を切り出されるなど、これまでなかった関係性が生まれ騒動になり、また解決に至るといった話の妙がない。後を曳く驚きがないから、見返したくはならないよな…。


「これそういう映画じゃないから」。そう言われれば返す言葉はありません。ドキュメンタリックな手法には感心もしました。けど、劇映画的な面白さを突き詰めないのなら、端から外食業界のドキュメンタリーでも良いんじゃ…。
 エンタメ厨としては不満の残る、惜しい一作でした。
 


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