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UFO映画の新たな傑作、『NOPE/ノープ』

粗筋

 ハリウッドに調教馬を融通するヘイウッド牧場は、牧場主の事故死で危機に瀕していた。跡継ぎのOJは、西部劇テーマパークに持ち馬を切り売りして急場を凌ぐ有様だった。
 ある夜、脱走馬を追うOJは謎の飛行物体を目にする。父の死の際にも見た”何か”を妹エメラルドに打ち明けたところ、彼女は妙案を思いつく。UFOを写真に収めて、大金をせしめてみないか…。


 失礼ながら、ジョーダン・ピールってポリコレ監督だと思ってたんですよ。
 長編デビュー作の『ゲットアウト』、続く『Us/アス』は言うまでもなく。彼が自社で製作した『ブラッククランズマン』『キャンディマン』も黒人問題を扱った作品です。後年になるにつれポリコレ色がキツくなるのを見て「スパイク・リー路線に行くのかな」と思ってたんですが…。
『NOPE/ノープ』、傑作です。メッセージ性、隠喩は健在ながらも、エンタメとしての強度が『ゲットアウト』以上にある。

 公開から1週間経ったので、ネタバレ全開でレビューして行きます。


ジャンル映画として

 この映画は、概ね一時間地点を境にして転調します。前半はホラー風味のSFもの、後半はガラっと変わりモンスターパニックになる。

前半:ホラー風味のSF

 つくづく、ピール監督はホラー演出が上手い

 ホラー要素の強いUFO映画ってのは、大抵ビックリ系なんですよ。ミラジョボの出たPOV『フォースカインド』にせよ、ガキがアブダクトされる『ダークスカイズ』にせよ、いきなり大きな音を上げて驚かせるだけ。
 対するピール監督のホラー演出は、じんわり来る。日本人好みのホラーです。
  前作『Us』にも暗闇で「何かが突っ立っている」演出がありましたが、今作でも夜の農場シーンで出てきます。OJが暗闇に蹲る者に気づくと、ソレは不自然に長い手足を伸ばし「ココココ…」と啼き声を上げて近づいてくる。

 ジャンプスケアホラーと違い、無粋なSE/BGMは一切ない。厩舎の柵越しに頭を覗かせるショットでは、頭頂部からゆっくりと(しかも90度横向きで)出てくるのだから堪らない。
 この場面の「宇宙人」はご近所さんの嫌がらせだったワケですが…単なるくすぐりではなく後半で映像的伏線として効いてくるのが上手いところ。この点は後述します。

 また、UFOは電子機器に影響するという設定も良い。『未知との遭遇』を始め鉄板設定ではありますが、モンスターの飛来/退散を映像的に提示できる。蓄音機/カーラジオ/無線のピッチダウン、車/照明の消灯、スカイダンサー(送風機で膨らむ人型風船)の萎み方…。モンスターそのものを映さずとも、今近くにソレが居ると悟らせる。
 (こちらが息を殺しているのに)いつまでも機器が止まっている…つまりはソレがこちらをじっと伺っている…。こういうサスペンスフルな演出が出来るのも、ピール監督の力量です。

後半:モンスターパニック

 家電店員のエンジェルも交え、UFOの謎を追う3人。折り返し地点で遂に全貌が明らかになるのですが…ド肝を抜かれました。UFOは宇宙船ではなく、UFO自体が巨大な宇宙人だったのです。

使徒だー!!

 ここから一気に景気良くなります。老カメラマンのホルストも加わり、UFO撮影作戦が開始される。動物的な習性があるため、『トレマーズ』宜しく逆手に取って撃退しようとする。一時は上手く行きかけるが、相手が一枚上手でピンチに。しかしそこで人間側も機転を利かせ…という王道展開。

 また、パニック映画を盛り上げる要素”トゥーミーさん”も忘れちゃいけません。これはキング原作のテレビ映画『ランゴリアーズ』から派生した言葉で、「はた迷惑な自滅キャラ」を意味します。今作ではテーマパークの主、ジュープがこれに当たります。
 ”トゥーミーさん”は「無能な癖に出しゃばり」なキャラ設定が多く「早よ死ね!」と観客のヘイトが集まるもの。しかし今作のジュープは好青年であり、(後述しますが)同時に陰を背負ってしまった人物。ゆえに彼の蛮行は意外性があり、且つ不憫さも感じられる興味深いキャラクターになっています。

記号映画として

 ピール監督は、映画に記号を埋め込むのも上手いです。メッセージ性の強い隠喩の他にも、ここでは2つの要素を紹介していきます。

オマージュ要素

 本作は、スピルバーグに多大なオマージュを払っています。

「とりわけ大きな影響を受けたのは『未知との遭遇』だった…」

パンフ、本作の背景

と語るように、「異星人との接触」+「中年再起もの」のプロットは『未知との遭遇』に沿っている。他にも、

・空からの捕食者:JAWSとの対比(ピール曰く「海面を見つめた時の目で、この映画を観た人たちが雲を見つめるようになるといい」)
・ジュープと猿の指タッチ:『E.T.』
・汚泥混じりの血が降り注ぎ、真紅の地獄と化す:『宇宙戦争』
・口半開きで見上げる:お馴染みの”スピルバーグフェイス”

などがあります。

 また、ジャパニメーションの影響も見逃せません。UFO宇宙人”Gジャン”のルックは、エヴァの「バイオメカニカルなデザイン性」に影響を受けている。また『AKIRA』からは伝説の”バイク滑り”を始め、印象的なカットが拝借されています。

お肉サンドになるシーンも、実はAKIRAオマージュ

繰り返し演出

 ピールの3作全てに共通することですが、彼はアイテムや動きを繰り返す演出が本当に凄い。類似したものを時間を空けてから再配置することで、後に起きる事態を予兆させている。

・劇中劇の雑誌の表紙/悪戯コスプレ/Gジャン:全て同じルックス
・子役ジュープのカウボーイハット:Gジャンと全く同じ形状
・劇中劇の風船/テーマパークの巨大風船:どちらも浮き上がり破裂する
・「星との遭遇」の看板絵は「馬が光に吸い込まれるのを人が観ている」:その後の大虐殺では馬だけ生き残っている
・ホルストが編集するのは捕食フッテージ:ホルストは後に食われる(しかも捕食シーンの幾つかは目のアップで彼を見返している
・ホルストがエメラルドに掛ける台詞「人目を集めるべく、頂きに上る。叶わない夢さ」:彼の死の風景そのまま

などなど…。仰々しい伏線ではないが、思い返す度に発見がある。しかも映像的にサラリと提示してくれるのだから、何とスマートなことか!

メッセージ性のある映画として

 それでは最後に、皆(オタク)大好きな考察パートに入りましょう。

見世物精神

 冒頭に流れるナホム書の引用からして、本作は「見世物精神」を批判した映画になっています。ピール監督はインタビューの中で

この映画は『キングコング』や『ジュラシックパーク』にインスパイアされた。人間が見世物に狂って、金もうけに走る様をそれらは描いているんだ。

AP News, Q&A: Jordan Peele on the dreams and nightmares of ”Nope”

と語っています。
 この映画において、2項対立が存在しています。それは観る:観られるの関係。更に言うなら、それはそのまま搾取する:搾取されるの関係を意味しているのです。
 主人公兄妹からして、撮影現場での挨拶でお偉いさん一同から観られている。続くシーンでは、2人は胃が痛むような搾取に晒されされることになります。
搾取される側の人間は、
差別される黒人であり(ポスターで引用される『ブラック・ライダー』は、ハリウッドで無視されてきた黒人カウボーイの映画)、
ステレオタイプに当てはめられるアジア人であり、
旬が過ぎたらお払い箱になる子役であり、
ヘイウッド牧場のような「境界線の下側のクルー」(名の知れない裏方)で
あるワケです。

悲しきトゥーミーさん、ジュープ

 パニック映画におけるトラブルメイカーとして、トゥーミーさんという概念を上述しました。今作ではジュープが該当します。

劇中劇『ゴーディ、家に帰る』におけるジュープの扱いは、もう本当に酷いんですよ。”小賢しいがとんま”な、これぞステレオタイプなアジア人脇役。ジュープはアジア人であり子役でもある、2重に搾取される存在なのです。

 さて、『ゴーディ~』の撮影現場で惨劇が起きます。ゴーディ役のチンパンジーが発狂し、周りの人間に凄まじい暴力をふるう。しかし、ジュープだけは無事だった。映画後半でGジャンを呼び寄せるようなトゥーミーぶりを発揮したのは、遡るにこれが原因だったのです。

観る/観られる関係の逆転

 映画評論家の宇多丸氏は、ヒッチコックの『裏窓』を例に挙げこう語っていました。
観る/観られるの関係が逆転する瞬間こそが、映画において最もスリリングな瞬間だ」と。

この映画においても、この観る/観られる=搾取する/搾取される関係が逆転する瞬間が訪れます。

 一つは、「ゴーディ」が発狂するシーン。残虐の限りを尽くしたチンパンジーが、一息ついたあと画面のこちらを覗いてくる(2度目のシーンでは子供ジュープ視点になる繰り返し演出もまた上手い)。
 2つ目は、Gジャンが最終形態にチェンジするシーン。会心の撮影に喜んだのもつかの間、Gジャンは開口部から緑色の目を見開く。繊維状の構造物が展開し、威嚇するように振動を繰り返す(この「目」が長方形・4:3比率なのも映画スクリーンを彷彿とさせてイイ!)

 関係が逆転すれば、搾取=捕食/暴力の関係も転倒する。
 アジア人として子役として、搾取され通しだったジュープ。生存者となったことで、彼の中で何かが変わった。見世物になる側だった彼はテーマパーク主となり、執務室の奥にゴーディ事件の遺物を飾って見せびらかすための神殿とし、遂にはGジャンを手なづけようとした。だって、自分は特別な存在(の筈)だから。

「最悪の奇跡」

ーー誰か特定の福音主義者を参考にしたりしましたか?
具体的な名前は出せないが、僕らは何人かの福音主義の牧師を参考にしている。

パンフ、スティーヴン・ユアン(ジュープ役)インタビュー

ジュープにとって、生き延びたことは宗教的な意味を持っていた。彼のみが攻撃されず、あまつさえ(被害者女性の)靴が直立する様を目撃してしまった。

モノリスは、猿/人を高次元の存在へと引き上げる

あの靴は、『2001年宇宙の旅』のモノリスをオマージュしていると噂されます。それに倣えば、ジュープが自分は特別なのだと自惚れたのは当然なのでしょう。まあ、ただの勘違いなんですが。

 OJは、Gジャンの動物的習性を「目が合ったものを捕食する」と看破しました。子供ジュープが襲われなかったのも、単にそれだけなのです。彼が隠れるテーブルにはビニールクロスが掛かっていて、それが彼の顔をぼやけさせていた。だから、敵として認識されなかった。
 OJは、父親の事故死を”最悪の奇跡”と表現しました。とてつもなく運が無かったのだと。ジュープが直立する靴を目の当たりにしたのも、それだったのでしょう。奇跡的なバランスで靴が立ち、奇跡的なタイミングでそれが起きた。それを神の啓示と思ってしまった彼は、数十年後に数十人の道連れと共に捕食されることとなる。

(エイリアン)映画は、時代を映す鏡

 戦後のホラー/エイリアン映画は、時代じだいを反映していると言われます。

 例えば50年代、「ボディスナッチャーもの」が流行りました。良きアメリカ人と思っていた隣人が、得体のしれない怪物と判明して襲ってくる。これは、冷戦時代の共産主義への恐怖を表していました。
 そして、スピルバーグの『未知との遭遇』『E.T.』。これは反対に、コミュニケーションへの希望を示した作品でした。宇宙人と人間ほど隔たっていても、互いの理解と思いやりがあれば通じ合える。まして同じ地球の、人間同士なのだから…と冷戦が終わりへと向かう時代を象徴していました。

指先は触れ合う

 そして、『NOPE』。僕は今作を、スピルバーグへの哀しい回答だと受け止めました。冷戦が終わっても、世界は良くならなかった。差別は変わらず存在し、資本主義は格差=搾取を加速させているだけじゃないか、と。

拳でさえ、触れ合わない

 ゴーディやGジャンは、その反動なのです。「飼いならした積もりかよ、ふざけんなバーーーカ!!!」という、ディスコミュニケーションの象徴として。BLM運動、反動保守、分断される社会…。現代アメリカの世相をそこに観るのは、そこまで穿った視点でしょうか?


 以上で、『NOPE』長文評は以上になります。 

イヤね、小理屈こね回さなくてもストレートに楽しめますよ?『Us』は寓意性抜きには話が成り立たないし、『キャンディマン』は視点がブレブレでホラーとして怖がれず、個人的に微妙だった。
 それを思えば、今作はイイ!色んな角度から楽しめる。そういう作品こそが、良質な映画だと僕は思いますね。



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