この世の真理


現実とは、何なのか。

 
私たちが生きている、この世界は、

 誰が作り、そして何のために、果ては、いつまで存在しているのか。

 宇宙の外側には、一体、何があるのか。

その答えにたどり着けるものは、いないだろう。


 私は、高校生の時、”グリーゼ581c”という存在を知った。
 それは、太陽系から約20光年離れた赤色矮星の名である。

 その惑星の外観は、地球のそれと似ており、一時は生物がいるのでは、とまでされていた。

 私は、身震いした。己がなんと、儚い存在なのだろうと。


 この世の理(ことわり)を知ることなく、朽ちて果て、そして、"世界は永劫"と続いていく。

 何とも、残酷な真実である。


しかし、悪い側面だけではない。


 私は、落ち込んだ時、プラネタリウムへ足を運ぶ。

 それは、自分の悩みが、宇宙規模で考えれば、どれほど小さなことかと、認識するため、

 そして、宇宙の素晴らしさ、美しさを実感するためだ。


とても、壮観である。


 プラネタリウムには、一人でくる、若い男女が多い。
 失恋でもしたのか、わからないが、果てなき銀河の存在で、悩みを浄化させに来ているようにも映る。


 そう、今の日本人にとって、現実は、辛いことばかりだろう。

 長く生きれば、生きるほど、この世は、痛みと、苦しみと、そして、虚しさだけが漂っていることに気づく。

 決して、思い通りにいかない。

 皆が、己の”主観”で生き、愛情が生まれ、時に憎しみあい、そして、争い、傷つけ合う。

 そうだ、互いが、"本当の意味"で分かり合うことはない。

 人は、どこまでもひとりなのだ。


 では、どうすれば良いのか。

それは、

 たとえ、世界が意味もなく、ただ永遠に続いていくものであったとしても、

 自己の運命を愛し、抗い、

 そして、主体的な生命として、己の存在意義を天へと差し伸ばすこと、

 それこそが、人間のあるべき姿であり、理想像だ。

精神科医ましろ



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