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57 朝な夕なに旅の宿① バリ島

 旅の夜の数だけ宿がある、はずなのだけど、機内泊、列車泊、バス泊、空港泊、舟底泊など宿以外の泊もあったので若干、数は合わない。けどまあ思えばじつにさまざまな宿で眠ったわけだ。

 旅人生(半生)でいちばん泊まった宿は、バリ島ウブドの ABing House だと思う。訪えばまるまる1ヶ月、それを4、5年続けたわけで、本当にお世話になりました。

 最初は1999年。チベット、ネパール、インドを廻ってバンコクへ飛び、帰国便の予約に行った旅行代理店で、デンパサール経由関空行きチケットを勧められた。インドネシアに(理論上)1年いられるオープンチケット、当時ガルーダインドネシア航空にそんな素敵な便があったのだ。3ヶ月ぐらい旅していたので、もういつ帰ろうと大した変わりはない。バリ島にも寄ってしまおう。

 バリならウブド、という噂を信じて空港からプリペイドタクシーで直行する。とりあえず町の中心、インフォメーションセンターへと告げたのだけど、近づくにつれ不安になってきた。窓の外の町並みがおしゃれで、歩いているツーリストがきれいだ。ま、間違えたかも・・・わたしなんかが来る所じゃないのでは・・・

 着いちゃったんでしょうがないから降りると、観光案内所のベンチに、客引きの青年たちに混じって日本人の若者がいて、「どっか行ってたんですか?」と話しかけられた。あー、えー、あのー、長旅の末に辿り着いたんですけど、ここにも安い宿ってあります?
 すると、「僕が今泊まってるとこ、ひと部屋空いてるけど」
 おお!カミサマ、てりまかし、ばにゃっ。
 そうして連れられて行ったのが、ABing House 。

 バリでは安宿をロスメンと呼ぶらしい。ABing House は、ワヤンさん一家の広い敷地内に3部屋だけ設てある、地味で質素なロスメンだった。
 ツーリストエリア内のローカルな小道にある一般の家で、ガイドブックにも載っていない。観光案内所でたまたまあの青年に会わなければ、ここを知ることはなかった。旅の偶然は本当に不思議。

 さて、ワヤンさんは大家族だった。年齢不詳のワヤンさん、耳の不自由な妹クウィック、ワヤンさんの弟一家(妻、長女ペビ、長男愛称失念)、ワヤンさんのご両親。
 ワヤンさんの弟は毎日大きな四駆でどこかへ出勤し、ロスメンはワヤンさんが仕切っていた。と言っても庭を掃いたり植木の手入れをしたり、それ以外はなんかぶらぶらしているような。気が向いたらメインストリートで客引きをしているようだが(何度か目撃した)、さほど熱心には見えなかった。

 妹のクウィックは宿泊者の朝食担当で、毎朝ナイスなタイミングで朝ごはんと、その日のお茶(ポットに熱々紅茶)を運んできてくれる。庭の花を摘んでテーブルに置いてくれたり、バナナの葉できれいな飾りを作ってくれたりもする。
 朝食の内容は毎日同じで、バナナパンケーキとフルーツサラダ。
 1度だけ、パンケーキの具が炒り卵だったことがあり、クウィックが得意げに「私が作ったのよ」という仕草をした。お祭りや儀式があった翌日は、お供えのお下がりのお菓子と果物なんてこともあった。

 長居するものだから5歳だったペビや高齢のご両親にも覚えてもらえて、ペビはヒマなとき遊んでくれるし、ご両親からはときどき手作り伝統菓子の差し入れをいただいた。
 ある年は、ペビの妹が生まれていた。
 最後に訪ねたときペビは小学校6年生で、5歳の時の面影は全くなく、ぐおおんと背が伸びていた。
 ああ、年月が経ったのだなあ。しみじみ。あたしゃ何をしとるんや。

 ペビが小学校低学年の頃、ABing house の前に小さな屋台ができていた。
 サテの店を始めるとのことだった。サテはインドネシアの串焼きで、サテ・アヤム(鶏肉)、サテ・カンビン(山羊肉)などがポピュラー。
 敷地内に立派な櫓が組まれ、神主さん(?)を招いて盛大な開店前祈祷式が催された。グミコもおいでと呼ばれ、一族に混じって参加した。
 そうか〜、サテ屋台もやるのか〜 繁盛するといいなあ〜・・・・

 しかし、翌年行ったらすっかり片付けられていた。駄目だったようだ。
 なんとなく尋ねるのが憚られたので、ペビにこっそり聞いてみる。ワルン・サテ?
 すると、
「あ、う〜ん・・・ぷにゅ・・・ぽりし・・・」
 海亀、警察。
 2語で事情がわかった。禁止されている海亀肉のサテを提供したらお巡りさんにバレて営業停止になったってことね。誰だよ、密告したのは。
 でもワヤンさんは全然へこたれた様子もなく、クィックはにこにこで、他の家族も変わらず元気で親切だった。

 長い滞在中、なぜか客室だけ断水になったときに母屋の家族風呂でマンディ(水浴び)させてくれたり、ニュピ(最大の祭り)で店という店が閉まってしまったときは家族の食事を分けてくれたりもした。
 その節はありがとうございました。
 
 いやもうほんとに第二の実家と今でも思っている ABing house。

②へつづく

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