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「離職0」の美容室経営を目指すサロンオーナーの自己紹介

はじめまして。

株式会社Atria inc.代表取締役の山木 彰(やまき しょう)と申します。


来歴

・18歳で美容専門学校エビスビューティカレッジ入学
・20歳で大型チェーン店に入社。同期最速の1年半でスタイリストデビュー
・3年で退社後、フリーターに
・半年後、再度美容室へ入社
・1年で店長に抜擢
・独立(株式会社Atria inc.設立)
・現在美容室グループ6店舗アイサロン1店舗ネイ   ルサロン1店舗経営





弊社は正社員雇用とフリーランスが在籍する
ハイブリッド型美容室として2021年開業し、現在はグループ7店舗(直営4店舗)を展開しています。
そんなAtriaを経営する中で、直面している課題や、その課題を解決する弊社の今後の取り組みについて少しでも多くの方に僕の考えや会社について知っていただきたいと思い、この度noteにまとめることにしました。

まずは Atriaのビジョンでもある「終身雇用の実現」を目指すに至る経緯をお話しできればと思います。

なぜ僕が「終身雇用の実現」を目指すのか。

『時代(トレンド)に左右されない美容室の事業設計』という命題課題が自分の中にあるからです。

美容業界全体の課題でもありますが、若い美容師人口が加速的に減少し、更には美容室の数は年々増え続けている現状があります。そして、我々のような小規模な美容室では若く才能とバイタリティ溢れる美容師さんを雇用していく戦い方では到底太刀打ちできません。なのでブランド力がある美容室や大規模美容室が「やれない」「取らない」戦略を考えていく必要があります。


行きついた僕の答えは、「この先も生き残り続けられる事業モデルを設計」つくり、
「雇用する美容師がこの先も安心して働けるような労働環境と体系を整備」することです。

これは僕自身が現役の美容師として今まさに直面している事でもありますが、ミドル世代の美容師と触れ合う中で見えてきた「美容師としての賞味期限」「収入の減少」に対する不安を
解決する手段になるのと同時に
今後、美容業界で生き残るための他社との差別化になります。

と、ここまでが事業に対する考えですが
そこに至るまでの過程と僕の美容師人生のお話しをしたいと思います。




〜コミュ障が美容師に憧れる〜

これ中学生の僕です(笑)
今見返しても美容師になる絵面が見えない(笑笑)



10代と、美容師になってから20代前半までとんでもなくコミュ障でした。

いわゆる『陰キャ』ですね。
どんなタイプのコミュ障かというと、人見知りというには生優しいくらい。大勢の前で喋らなくてはいけない場面などで吐いてしまうほどでしたし、頭の中で整理する前に言葉を発するので会話のキャッチボールが全く出来ない人間でした。

なんでそんな人間が美容師をやろうと思ったのか。
高校生の頃通っていた美容室のお兄さんも何処となく同じ『陰キャ』の匂いを感じたから(お兄さんごめんなさい)なんとなく「俺にも出来る!」って思ったんですね。
何より繊細なカットの動きやスタイリッシュな佇まいがカッコよく見えたんです。
あと、モテそうだから笑
美容師目指す男子の99%はこれが理由だと思いますが。。

高校生の僕が知ってる美容師って雑誌に出てるカリスマ美容師と、そのお兄さんくらいしか知らず美容師という仕事が『コミュニケーション能力が必要な職業』というのを理解していなかった。

ここからが大変でしたね。



〜専門学生時代から美容師デビュー〜

専門の卒業式後  ↑右から2番目が山木
この頃には見た目もかなり変化して、
それによって自然と自信も持ち始めましたね



高校卒業後、エビスビューティカレッジという新設の専門学校に入学しました。
選んだ理由は1期生って何となくカッコいいかも!というこれまた安易な発想からですね。

美容師目指す子ってわりとギラギラしてるんですよね。無論、馴染めなかったし横須賀から2時間かけて恵比寿に通うのが苦痛で仕方なかった。ストレスからか、電車に乗るとパニック障害を起こすようになり毎日遅刻をする日々。
(先生に説明しても理解されない)それでも電車で通い続け無事に卒業、免許を取得できました。

卒業後は大型サロンに就職。
選んだ理由はとにかく早くカットをしたかったから。そこのサロンはスタイリストデビューまでのカリキュラムが平均2年、最短で1年半という当時としては珍しい教育システムのサロンでした。

ただ実際は教育という教育はあまりなく、ひたすら自主練を繰り返し、腕が未熟な状態で入客しながら実践経験を積んでいく。という行き当たりばったりな経営方針でした。

そして、人生で1番自分の中で変化があった時代でもあります。
美容師になったとは言えコミュニケーション能力がめちゃくちゃ低い状態から入社してしまったので当然ですが『何言ってるか分からない変な奴』扱いをされていました。

もちろんとてもいい人達も沢山いましたし、特に年長者のマネージャーからは可愛がられました。
が、当時の店長に目を付けられてしまい営業中に暴言を毎日にように浴びる事になります。
中でも精神的にキツかったのは「美容師に向いてない、やめてしまえ。」という言葉でした。

学生時代までは技術屋の美容師にコミュニケーション能力は必要ないと思っていた自分でも、実際の現場に立ち"現実=コミニケーション能力の重要性"を肌で感じていたのでその時はかなり刺さりました。

めちゃくちゃ悔しくて
僕はひたすらコミュニケーションの本を読み漁り、ネットでマインドコントロールの方法や心理学の知識を調べまくりました。
店に味方がいなかったら心が折れてしまっていたかもしれないですが続けられたのは良くしてくれた先輩や周りの人のおかげです。

入社して1年くらい経つ頃、店長が独立のために退社する運びになったんですよね。
朝礼で報告受けた時に心の中で100回くらいガッツポーズしていました。笑
というか抑えている喜びが顔に溢れてしまいめちゃくちゃニヤついていたと思います。

店長がいなくなってから、自分の足枷が外れたように働く姿勢が変わり技術不足ながら同期最速の1年半でデビュー。

本来ならデビューしちゃいけない技術レベルだったので失敗ばかりで、時にはお客様を怒らせてしまう事もありました。

そんな未熟な中でも2年目の年にカットコンテストで入賞したり、納得出来ないと先輩に楯突いたり、数いる先輩を押し退けて副店長に立候補したりとギラギラするようになった時期でもありました。




〜美容師を辞める。半年で復帰〜

サロン撮影の時の写真


この頃には、気付かないうちに人と接する事にそこまで負担を感じなくなっていきました。自分の意見を拙い言葉ながらも言語化出来るようになり、相手の考えている事が読めたりとコミュ障は少しづつ改善されていきましたね。
相変わらず会話のキャッチボールは下手でしたが。

そんな折、自己主張が強くなりすぎてしまった僕は遂に店舗の新しい店長やスタッフと揉め、美容師としても未熟なうちに離職、半年間美容師から離れるという選択をします。
能力が高いと勘違いをして天狗になってしまっていたんですね。これが3年目の時です。  

フリーター生活を続ける間、誰にも縛られない環境は何かないかと模索し、将来的に経営者になりたいという漠然としたビジョンを持つようになりました。と同時にフリーランスの美容師という働き方がある事をはじめて知ったんですよね。

ただ、何でも1人でこなさなくてはならないフリーランス美容師は技術が不完全な自分にはハードルがとても高く、出来ない技術がない状態にしないといけないという考えから当時まだ学んでいなかった、エクステとヘアセットに強い美容室に就職する道を選びました。

入社する段階で"1年間だけ"しっかり学ぶという事はあらかじめ自分で決めていたので、
周りの引き留める声も気にせずしっかり1年で退職。当時の先輩2人のお誘いもありすぐに2人が所属している業務委託美容室で個人事業主として新たなスタートをする事になりました。


〜初めての個人事業主は衝撃の連続〜

当時のフリーランスサロンでの1枚。
周りの影響で人生で初めて髭を生やしてた(笑)


それまで会社員の経験しかなく、以前在籍していた2社は良くも悪くも昔からの風土が根強く残っているサロンでしたのでとにかく全てが新鮮でした。と、同時に業務内容や社内のルールなどに関して無駄な事や、変なこだわりが多かった事に気付きました。

具体的な例で言うと、その日の自分の仕事が全部終わってるのに、全員が終わって終礼するまで帰ることが出来なかったり(もちろん残業代などはない)誰も発言しない意味のないミーティングを毎週やったり、100枚200枚配って1名獲得できるかどうかのチラシ配りを毎日朝夜こなす等など。生産性を度外視した決まりが多かったんですよね。

新しいサロンでは自由に働ける環境の中でスタッフが本当に活き活き仕事していたんですよね!
今まで在籍していたサロンは休みも少なく、1日12時間近く店にいたので家と店の往復だけでプライベートな時間は全くと言っていいほどない状況な上、めちゃくちゃ給料が低かった。なのでスタッフは疲弊していて口を開けば会社や店長の愚痴ばかりでした。

『ここは天国ですか?』
それが僕が最初に抱いた印象です。

何より驚いたのは自由シフトという概念でした、個人事業主という扱いなのでお休みや出勤時間、退勤時間はもちろん、美容室としては当時タブー視されていた土日休みすら自由。
ストレスフリーで、目の前のお客様に集中できる環境が揃ってました。

入社して2年目には新店舗の店長に抜擢され
5年後には店長として管理していた店舗を買い取る形で独立。


同時に法人化しました。


〜私たちのこれから〜

Atria1年目の忘年会




そして現在3期目に入り、直営4店舗のサロンオーナーです。

本当にありがたい事に、「相談に乗ってください!」というサロンオーナーさんからのお声もあり最近は、事業相談や顧問に入らせて頂くようなことも求めていただけるようになりました。誰かのお役に立てる喜びというのは
美容師1年目から15年経った今でも変わらないですよね。

周りには2、3年で何十店舗を経営されていたり、素晴らしい成果を出されている経営者の方ばかりですが

僕は僕のやり方で地に足を付けてコツコツと積み上げたいという思いがありますし今後も引き続き自社に在籍してくれているスタッフの終身雇用が実現できる経営を目指しています。

ところで、終身雇用って具体的にどんな形にしていくの?って話ですが


「40歳、50歳、60歳とステージが変わってもスタイリストとして売れ続ける仕組み」
「ハサミを置きたくなったタイミングでのポジションの確立」
を模索しながら経営をしていきます。

それにはまず
◎トレンドに左右されないコンセプト設定
◎集客もトレンドがあるので集客方法を1つの媒体に依存しない
◎バックオフィスや店舗マネジメントなどの役割の確立

が必須だと考えています。

まだまだ経営者として未熟ですが一つずつ積み上げていきたいですし、フロント活動も自己の行動でしっかりと活動して自社のスタッフを守れる環境を構築していきます。


拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました!

それではまた🙇

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