見出し画像

8年前のドライブノォト(自然の不思議)

8年前も、
確か今頃のような初夏の頃。
快晴の一日だった。

地元の高知に戻って、レンタカーして、
母親のいるところに向かって、
一世一代の宣言をしにいくところだった。


当時、高速バスで高知まで帰っていたけれど、
その3時間半、わたしは緊張でえずきそうだった。

なぜなら、
何年も言えなかったことを、
いや十年以上たっているか、

ひたすら我慢していたことを宣言するのは、かなりの勇気がいるし決行するのはそれなりのエネルギーが必要だったから、緊張もただごとではない。

でももう、
ここまで来たのだから引き下がるわけにはいかなかった。



意外に、
本人を前にしたら、さっきまでのえずきそうな緊張は影をひそめ、

「もうこれからは、お母さんにお金を出せません」

極めて冷静に、静かに、大切な一言を宣言できた。

母は一瞬だまり、
そのあと、
素直に「そうか」だけ言った。

何かもっと、抵抗されるかと覚悟はしていたのに、
あっさり受け入れてくれたので拍子抜けしたことを覚えている。

そして、
窓から差し込む、真昼の光がまぶしくて、部屋が明るくて、
ひかりの粒子が舞っていた印象が残っている。

それから、しばらく他愛ない話をして、
じゃあ、と言ってわかれ、
わたしはレンタカーに乗って高知で一番好きな場所、
牧野植物園へ向かった。

言えた!言えた!

と高揚した、達成感と言うべきか、
そして解放された気持ちと、
やれやれという安堵と、すべてをないまぜにして
溶けてなくなってしまいそうな充足感を感じながら、
車を走らせた。


五台山にある、牧野植物園はわたしにとって以前から特別な場所。


車を駐車場に止めて、しばらく歩いて入口付近に立ったときから、
わたしは不思議な感覚を味わう。

それは、土地なのかもしれないし、植物からかもしれないが、

来たね、来たね、
おいで、おいで、
いらっしゃい、いらっしゃい、

という全方位からのWELCOMの感覚。

すべての植物園でそういった感覚を味わったことがないから、
わたしはこの場所と波長が合っているのかもしれない。

この日もそんな歓迎ムードを感じ、
幸せな軽やかな気持ちで園内をゆっくりまわった。

牧野富太郎博士が愛したバイカオウレン。(すべて高知の友達の写真より)
牧野植物園から、高知市の風景

父が他界してから、奔放さに拍車がかかり、
自由に生きてくれるのはわたしもうれしいことではあったけれど、

ただ、母の遺族年金込みの年金は、わたしの月給より上回っている、、、

なのに、何年も母のATMになるのはいい加減自分の老後やばいな、
と感じていたとき、
当時、一番仲良かった友達が、

「自分の人生を大切にして、自分を優先して!」

と背中を押してくれた。


それがきっかけでわたしは勇気を出して、
自分の人生を守るため高知に向かったのだった。

牧野植物園をざくざく歩く。

展示館を超え、展望台を過ぎ、ローズ園に入ったところで、
左に下る道がある。

樹木がうっそうと茂っていて、
少し薄暗い散歩道のような。

わたしはその小径に入り、少し歩いて、なにげなく後ろを振り返った。

そのとき、目に広がった光景は、
樹木が伸び伸びと大きく枝を伸ばした雄大な景色と、
美しい空のコントラストだった。

それを見たとき、一瞬で涙が吹き出し、
わたしは泣いた。

もの言わぬ樹木たちから、
いや、あの土地から感じた強い気配は、
まさに「抱擁」。

わたしは優しく包まれ、よく頑張ったね、と言われているようで、
誰も来ない苔むした場所で嗚咽をもらしてしばらく泣いた。

ありがたくも、
優しさに包まれた不思議なひとときだった。

機会があれば五台山 牧野植物園にぜひ。

今は、あじさいなども咲いたりしているのだろうか。

最近は特に牧野植物園、クローズアップされているから、
あのときのことが思い出され、
改めて、自然の包容力はすごいなと感じずにはいられないのでした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?