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イスパニア日記⑤ コルドバ


歴史と文化薫る街コルドバで「時間旅行」
繰り返されてきた宗教対立に思ったこと等


セビリアに滞在中、日帰りでコルドバを訪れた。
中世には後ウマイヤ朝の首都が置かれ、豪華絢爛なイスラーム文化が花開いた地である。

コルドバの歴史

コルドバについて軽く紹介しよう。
元々ローマ帝国属領時代からキリスト教が普及していたが、イスラーム王朝の支配が始まると、後ウマイヤ朝時代には王都が置かれ繁栄し、多くのイスラーム教徒が住んだ。一方でキリスト教徒やユダヤ教徒は異教徒として扱われ、当初は人頭税を課される代わりに信仰を保護されたものの、後に弾圧されることとなる。
しかし13世紀にレコンキスタの進行に伴い、カスティーリャ王国によってコルドバが制圧されると、再びキリスト教が普及して、今度はイスラーム教徒が異教徒として扱われることになる。イスラームの風習を導入して、当初はイスラーム教徒を保護する動きもあったようだが、イスラム教徒とユダヤ教徒は弾圧または追放されることとなる。度重なる宗教対立というかなりセンシティブな歴史を抱えながらも、同時に両宗教の指導者が融和をも目指そうとした歴史がある。この点は歴史を学ぶ我々に多くの示唆を与えてくれる。今回はこの歴史について少しだけ長く語ることになると思う。
また、この街は美しさもしっかりと紹介していきたい。

コルドバが持つ美しさは、この街が長い宗教対立を経験しながらも、その複雑な歴史ゆえに、時代を経てイスラーム教、ユダヤ教、キリスト教の宗教文化が融合し、独特の文化都市として発展してきたことに由来すると思う。


コルドバのメスキーターその数奇な運命と私見


コルドバで最も有名な世界遺産メスキータはその象徴と言っても良いだろう。
古代にはローマ神殿があったと伝わるが、定かではない。西ゴート王国時代にはキリスト教の教会が建てられていた。それが711年のイスラーム王朝侵攻に伴い、教会の半分をモスクとして供用し、その後キリスト教徒から買い取る形で全敷地がモスクとなる。785年には後ウマイヤ朝の巨大モスクとして本格的に建設が始まり、今の建物の原型が完成する。その後何度も増改築を経るが、キリスト教勢力によるコルドバ制圧(1236年)の後にキリスト教の教会として供用されることとなり、更なる改修を経て現在でも聖マリア教会として使われている。

繰り返すが、このメスキータは複雑な歴史を持ち、今なお根深いイスラーム教とキリスト教の対立を物語る存在である。
イスラーム建築様式の建物の中に、あるいは隣に、キリスト教のレリーフや祭壇が設置されているその様はある種生々しい。しかしこの建物が多くの人を魅了して止まないのは、この建物が持つ美しさによるだろう。

モスクの優れた建築をそのまま保存し、キリスト教の教会として再利用したのは、イスラーム教を駆逐して再征服したというキリスト教徒たちの決意(あるいはプライド)を当然含むとは思う。しかしながら、1,200年以上経過してもなお大切に保存されてきた状態を見るに、イスラーム文化への畏怖と敬意もあったのではないかと感じさせる。
(キリスト教側からの解説でも、イスラーム文化への敬意というのがたびたび語られる。しかしながら、もちろんイスラーム教徒がどう思うかは、当然イスラーム教徒にしか理解し得ない。宗教対立における自己満足的な行動は、たびたび致命的な対立を呼ぶことはスペイン史を眺めても明らかだからだ。)

現在では聖マリア大聖堂という名のキリスト教の教会であるため、訪問者の多くはヨーロッパのキリスト教徒だが、一部イスラーム教徒の姿も見られる。彼らがどのような思いでこのメスキータを訪れているのかは、当事者ではない私には知る術はない。しかし、この施設には彼らが理解し合うためのヒントがあるのではないかと思う。もちろん一部の過激な思想の人々からすれば、このような施設は存在すら許せないのかもしれないし、両宗教の対立はかなり根深いもので、根本的な解決はもはや不可能だ。しかし、人々の心を動かす普遍的な美として今もその威容をとどめ、人々を魅了し続けるメスキータの美しさは、本来それが本質として持ち合わせていた宗教施設という枠すら超えて、普遍的芸術にすらなっているばかりでなく、「宗教とは何か」という根本的な問いすらも我々に投げかけていると私は感じた。

「宗教とは何か」ーこれは簡単に人に問うて良い問題ではないし、周知の通り簡単な問いではない。正解はないどころか、答えは出ない(出せない)可能性が高い。しかしながら、ここを訪れる人々が、このメスキータの辿ってきた奇妙にして稀有な歴史を知り、各宗教文化のことを知り、コミュニケーションを通じて理解を深めていくこと。その行動にこそ意味があると私は言いたい。この考えは当事者からすれば「日本人の傲慢」あるいは「平和ボケ思考」だと糾弾・失笑されることは当然あり得るが、この問いに正解はないのである。

※2023年10月13日現在、つい先日始まったイスラエルとパレスチナの戦闘が激化している。この件については私の思考がまとまっておらず、またこのメスキータとは完全に異なる性質・側面を持つ対立であることから、詳細を述べることは避ける。しかし私が上のようなことをメスキータで思い、その時の経験を思考している最中の出来事であったため、やはり宗教の対立という観点と、それに付すべき私なりの考えを長々と書かざるを得なかった。私の考えは上のようになるが、人によって感想や考えは全く異なるものになることは当然である。それはあえてここで断っておく。
しかしスペイン史を軽く学んだ一般市民としては、いかなる理由・主張があろうとも、罪のない一般市民を巻き込んでまで殺戮を行うことに、正当性や妥当性を見出すことができない。

メスキータの内装

話が長くなった。メスキータの説明に戻ろう。
この巨大建造物のシンボルといえば、まるで無限に続くようにも見える柱である。その幻想的な美しさは、訪れる者を魅了してやまない。
また、壁面に残るモザイクや、キリスト教の教会としての姿も美しい。様々な美しさがこのメスキータには溢れている。

メスキータの外観。
メスキータの象徴とも言える柱。
イスラーム教徒たちの祈りの場であった姿を今でも残している。
モスク時代に施された美しいモザイク。
今も大切に保存されている。
奥まで来ると旧モスクの面影が一変。
一気にキリスト教の空間へと変化する。
キリスト教の祭壇。
キリスト教会としての造形も大変美しい。それと同時に、祈りの場の共存は複雑な歴史を生々しく物語る。


ユダヤ人街


往時のイスラーム文化と、キリスト教文化の融合。
この街が持つ多面的な美しさは、複雑な歴史と宗教の対立、それでも共存してきた人々の努力と葛藤があったからである。
この建物のすぐ近くには今もユダヤ人街があり、こちらもメスキータと共に「コルドバ歴史地区」として世界遺産となっている。

コルドバ駅を降り、新市街に出て、緑豊かな街路樹の大通りをしばらく歩くと、ユダヤ人街の門が見えてくる。
そこを入れば、歴史散歩の始まりだ。
複雑で入り組んだ迷路のようなユダヤ人街を散歩してみると、我々は一気に時間旅行へと誘われる。白い家々や石畳の細い街路、連なる店や古民家。この素晴らしく美しい街をワクワクせずに歩ける人がいるだろうか。

新市街からユダヤ人街への入り口となる門。
門をくぐるとそこはユダヤ人街。壁面にはユダヤ人街であることを示す「JUDÍOS」の文字が見える。
入り組んだ石畳の道が奥までずっと続く。
過去の時代に迷い込んだかのよう。


ローマ橋


ユダヤ人街を西へ抜けて、メスキータを過ぎ、川の方へ出よう。グアダルキビル川に出ると、一気に視界が開ける。
そこにかかる橋は、2,000年前のローマ時代に建設された橋だ。改修を経つつも、今も使われ続けている。ローマの建築技術には驚くばかりだ。

ローマ橋は2000年前の建築。信じ難いが今も現役だ。

この街で私が思い出したのは久保田早紀のヒット曲「異邦人」である。
複雑な街路、幾重にも積み重なった歴史、色々な面を見せてくれる古の都は、私たちを楽しませてくれる。


コルドバの市場

最後にグルメを少し。
今回は緑多い新市街の市場で昼食を食べた。
パエリアとタコのガリシア風。定番タパスであるが、これがなかなか美味しかった。市場のビニールハウスのように囲われたテラスがあり、ゆっくりと食べることができた。

駅から新市街に入ると、大通りに出る。街路樹が多く繁り、公園のよう。街路樹のオレンジがたくさん道端に落ちている。
市場のパエリアはなかなか美味。スペインにはたくさんの市場があるので、そこで食事をするのも一興だ。
タコのガリシア風も美味しかった。


歴史の街コルドバは、今回の旅の中でも特に印象的で感動的なシーンの一つでした。おすすめです。

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