アナログ派の愉しみ/本◎アンディ・ウィアー著『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

この破天荒なSFは
コロナ禍がもたらした?


アンディ・ウィアーのSF小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、コロナ禍のまっただなかの2021年5月に発表された。同年12月には早くも日本語版の上下2巻が出たのだが、ここではネタバレが過ぎないよう上巻の内容にかぎって読後感を書き留めたい。

 
「彼はクモだ。バカでかいクモ。〔中略〕まんなかのカメの甲羅みたいなところから五本の脚が放射状に出ている。甲羅はほぼ五角形で、直径一八インチくらい。厚さはその半分程度。目や顔はどこにも見当たらない。/脚にはそれぞれまんなかに関節がある――肘と呼ぶことにしよう。それぞれの脚(それとも腕というべきなのか?)の先には手がある。つまり彼には手が五本あるわけだ。それぞれの手に、さっきまじまじと見た三角形の指がある。どうやら五本の手はぜんぶおなじ形のようだ。どっちが彼の  “まえ”  で、どっちが  “うしろ”  なのかわからない。きれいな正五角形なのだ」(小野田和子訳)

 
人類がついにファースト・コンタクトを果たした知的異星人は、こんなふうに描写されている。いかにもグロテスクな外見に、わたしは通勤列車のなかで読んでいた本を思わず取り落としかけたものだ。

 
『火星の人』『アルテミス』に続く、アンディ・ウィアーの第三長篇となるこの作品では、実際、新型コロナウイルスのような未知の怪物が登場する。もっとも、アストロファージと名づけられたそれは人間ではなく、なんと太陽に襲いかかるのだ。高温の熱を莫大なエネルギーに転換すると、金星に降り注いで二酸化炭素をエサに増殖してはまた太陽へ取って返すというエンドレスの循環により、このままでは太陽が衰弱して数十年のうちに人類は死滅してしまう。のみならず、観測の結果、同様の現象があちらこちらの恒星でも生じており、アストロファージの感染が銀河系全体に広がっていることが判明するが、地球から12光年の距離にあるタウ・セチはなぜか異変を免れていたため、そこに調査チームを派遣してなんらかの打開策を見出そうと「プロジェクト・ヘイル・メアリー」が企てられる。かくて、細胞生物学者の「ぼく」も超高速ロケットでタウ・セチに向かうが、4年間の冬眠から目覚めると他のクルーは死亡しており、ひとりだけでミッションに取り組む羽目に。

 
いや、ひとりだけではなかった。暗黒の宇宙空間でもう一機のロケットと出くわし、そこにクモの外観を呈する宇宙人が乗っていたのだ。かれもまたアストロファージの危難を打開するためにやってきたものの、同様に他の乗員は命を落として取り残されたという。孤独な冒険者同士。だが、相手が故郷とするエリダニ40星系の第一惑星は、母星との距離が太陽・地球間の5分の1、質量は地球の8.5倍、地表重力は2倍強、地球よりずっと大きな鉄の核があって磁場も強力で、アンモニアを含む大気は地球の29倍の濃度に達するという、およそ似ても似つかぬ自然条件のもとにあった。したがって、おたがいに一瞬たりとも同じ環境を共有できない間柄だったのだ。

 
まったく異質な両者ではあったけれど、わたしの理解するところ、「ぼく」とかれのあいだにひとつの共通点が存在したことでバディの関係が成り立ったと思う。サイズ。そう、身体の大きさがほぼ同じだったゆえに、それぞれが(たとえば宇宙服をまとって)自分用の環境を保持すればあとは対等の立場で交流できたのではないか。

 
あらためて考えてみると、同じ地球上でも動物にはアメーバからシロナガスクジラまでのサイズの差があるとき、たとえ双方が知的生命だとしても人間とクジラが対等に交流しあうのは至難に違いない。まして、種の存亡を賭けた絶体絶命の局面でパートナーシップを結ぶとしたら、やはりサイズの一致が必須の条件ではないだろうか。だからこそ、まったく別の言語であってもコンピュータのサポートにより会話し、科学的な知見を交換しながらタウ・セチの謎の探求に乗りだすことができた。むしろ、ふたりは外見とは別の次元でおたがいの相似にすっかり驚嘆して口々に叫んだものだ。

 
「ぼくらは家族の可能性」

 
わたしはこの場面に感動したあまり、通勤電車の吊革につかまりながら不覚にも涙をこぼしてしまった。そのとき、ふいに思い当たったのだ。この破天荒なSFはコロナ禍がもたらした成果ではないか。あの世界じゅうを恐怖のどん底に陥れたパンデミックのさなか、人類が初めて人種や宗教・国家の違いを超えて協力しあい、いわば同じサイズの生命同士として危機に立ち向かった経験がここに刻印されているのではないか、と――。

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