アナログ派の愉しみ/音楽◎由紀さおり 歌唱『1969』

ひとり無限の宇宙で
心を遊ばせる歌


当節、人物批評の名手と言ったら心理学者の小倉千加子だろう。その関心の向かうところは古今東西におよび、まさに快刀乱麻といった態なのだが、とりわけ切れ味の増す対象がある。小倉の著作『草むらにハイヒール』(2020年)には、前回のブログで取り上げた上野千鶴子や栗木京子の他にも、中島梓、佐野洋子、ターシャ・チューダー、谷亮子、美空ひばり……といった具合に、母親とのあいだの葛藤、また、母親であることの葛藤を抱え込んだ女性たちについての論評が並ぶ。それらは、男にはとうてい手の届かない闇の深さを白日のもとに晒して、わたしをおののかせるのだ。

 
歌手の由紀さおりも、小倉が俎上にのぼせたひとりだ。彼女の代表的な持ち歌『夜明けのスキャット』(山下路夫作詞/いずみたく作曲)は、まるまる一番が意味のない発声でうたわれることで、聴く者を音楽の万華鏡へと誘い込み、もう半世紀以上も耳に染みついてきたのは決してわたしだけではないだろう。

 
ところが、小倉の分析によると、由紀さおり(本名:安田章子)は旧世代の最後に属する歌手であり、「この仕事に命をかけなければやれない」と仕込まれる一方で、新世代のシンガーソングライターと違って、プロの作詞家と作曲家が書いた借りものの歌を流行させるしかなく、おのれの存在理由をめぐってずっと不安に苦しんできたという。しかも、彼女の場合、眼前に君臨していたのは実の母親だった。いつしかヒット曲から見放され、常連だったNHK紅白歌合戦に呼ばれなくなったころ、事務所の社長でもあった母親の差し金によって「由紀さおり」を封印し、そのころ家庭に入っていた東京芸大卒の姉の祥子と組んで童謡や唱歌をうたうという路線に進出するのだ。

 
 その母の夢は二人を一緒にステージに立たせることだったのである。(中略)二人にレールを敷いたのは母である。由紀は母に完全にコントロールされてきたと認めている。母の干渉があるために結婚はうまくいかなかった。しかし、歌を母から教えられた。

 
小倉がここで言及しているとおり由紀は結婚生活の破綻を経験するかたわら、安田シスターズの童謡コンサートは大きな反響を呼んで、たちまち日本レコード大賞企画賞に輝き、NHK紅白歌合戦への復帰も果たす。余人を交えない、母娘三人による挑戦としては空前のサクセス・ストーリーと言えるだろう。その母親が乳がんで1999年に世を去ると、由紀は2度目の結婚に踏み切るがふたたび離婚に終わったのち、新たな音楽活動を模索する。そうしたなかで、アメリカのポートランド出身のジャズ・グループ、ピンク・マルティーニとのコラボレーションがはじまり、2011年の東日本大震災でコンサート活動が休止になったのを機に、急遽アメリカへ出向いてレコーディングが実現する。

 
64歳の由紀がつくりあげたこのアルバムは、『夜明けのスキャット』発表の年にちなんで『1969』と名づけられ、当時の流行歌を組み合わせている。そこには『ブルー・ライト・ヨコハマ』や『いいじゃないの幸せならば』などの日本の歌だけでなく、『パフ』『マシュ・ケ・ナダ』『イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?』といった海外のヒットナンバーも含まれるが、やはり主役は『夜明けのスキャット』であり、若いときの録音よりも陰影の勝った歌唱を披露して、このアルバムが50か国以上で発売・配信されてベストセラーを記録したことにより世界的な名曲の仲間入りを果たす。なんら言語の意味を持たない歌について、彼女は自伝『明日へのスキャット』(2019年)のなかでこう語っている。

 
 実は私、この曲を歌うときにいつも心に浮かぶ、あるイメージがあります。そのイメージは、『満天の星』。私は、自分の歌う曲それぞれに、思い浮かべるイメージがあるのですが、中でもこの曲のイメージは特別です。
 「ルー、ルールルルー」と、始まるときは、暗い夜空が見えていますが、「ラー、ラーラララー」と、最初のメロディが2度めに繰り返されるときには、そこにだんだん星が増えてきます。
 「パー、パパ、パーパパーパー」と、曲がクライマックスに近づくにつれて夜空が高く広がります。暗かった空が満天の星に彩られて、まぶしいほどに輝いて、美しく見えるのです。

 
これをうたうとき由紀はおそらく、芸能界のしがらみからも母親の呪縛からも解き放たれて、さらには人間世界さえも遠く隔たり、ひとり無限の宇宙で心を遊ばせているのだろう。われわれだって本来、宇宙と出会うためには言語の意味など邪魔なはずだ。それを察知しているからこそ、このフレーズが耳の奥底にいつまでも染みついて離れないのかもしれない。わたしはそんなふうに思うのである。
 

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