アナログ派の愉しみ/音楽◎中田喜直 作曲『夏の思い出』

音楽療法に適した
歌の条件を考察してみると


もう10年以上前になるが、神奈川県の郊外にひっそりと佇む特別養護老人ホームへ出かけ、ボランティアの大学生による音楽療法の実践を見学したことがある。施設の職員とともに食堂に集まった高齢者のほとんどが車椅子を使っている。持ち込まれた電子ピアノやスピーカーなどの準備が整うと、リーダーの背の高い女子学生がマイクを握ってにこやかに呼びかける。ちょうど初夏の季節だったからだろう、最初に取り上げられたのは『夏の思い出』だ。

 
夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空

 
学生たちの若々しい声に導かれ、高齢者も合唱に参加する。はじめはためらいがちだったのが徐々にくつろいで、年季の入ったソプラノの美声を披露したり、調子外れのドラ声を張り上げたり、ぶつぶつぶつぶつと念仏のように唱えたり……。なかには、かなり認知症が進んだらしい様子ながら、口をぱくぱくさせて涙をこぼしている老婦人もいる。あとでリーダーの女子学生に聞いたところでは、長年のつれあいや子どものことを忘れ、自分自身のことさえもわからなくなってしまった者でも、幼いころにインプットされた歌はいつまでも記憶に残っていて、みんなで声に出してうたうことで心身のリハビリに役立つのだという。

 
こうした世代を超えた交流の姿にわたしはすっかり感動して、もらい泣きしたくらいだけれど、改めて思い返してみると少々腑に落ちない点もある。

 
というのは、このとき他に取り上げられた『ふるさと』(1914年)や『赤とんぼ』(1927年)などの古き良き童謡のたぐいであれば、確かに音楽療法に効能を発揮するだろう。しかし、1949年に誕生した『夏の思い出』は、あの老人ホームの入居者からすると年齢を重ねてから出会った歌のはずだ。しかも、『ふるさと』や『赤とんぼ』は日本列島のどこでも見られる風景を写しているのに対して、『夏の思い出』が描く尾瀬ヶ原を実際に訪れたことのあるひとはごく限られていよう。

 
読売新聞文化部がまとめた『唱歌・童謡ものがたり』(1999年)によると、敗戦後の国民を励まそうとNHK「ラジオ歌謡」の企画が立てられ、詩人の江間章子は一曲30円の謝礼を目当てに、戦時下に群馬県片品村の山間部で見かけたミズバショウの可憐さを詞に仕上げたという。そして、軍隊から戻って東京・三鷹で借家住まいしていた中田喜直があっという間に曲をつけたものの、他ならぬ作曲家自身、尾瀬など見たことも聞いたこともなかった……。ちなみに、ミズバショウが湿原で小さな白い花を咲かせるのは梅雨入りのころで、わたしがかつて8月に出かけたときには、その葉っぱが背丈ほどにも巨大化してだらしなくそっくり返っていたものだ。

 
そうしたやっつけ仕事の、と言って語弊があるなら、大向こう受けを狙う野心とは無縁に生まれた歌だったからこそ、その風景は懐かしく、現実の尾瀬を知っていようが知っていなかろうが人々の胸に染み入っていつまでも残ったのだろう。

 
以上の考察を踏まえれば、音楽療法に適した歌とは、(1)自然を主役とした叙景歌であること、男女の色恋模様などもってのほか、(2)広く親しまれながら、紅白歌合戦出場をめざすようなケレン味がないこと――。つまり、(1)(2)とも流行歌にまつわりがちな生々しさの対極を指し示しているのだ。あれ? 『夏の思い出』以後、この条件に見合う歌はどれだけあったろうか? わたしも音楽療法のお世話になる日がもはやそう遠い将来ではなさそうないま、脳裏のレパートリーを点検してみると、そのときには車椅子のうえでやはり尾瀬ヶ原の情景を口ずさんでいるのかもしれない。

 

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