アナログ派の愉しみ/本◎加藤周一 著『日本の庭』

龍安寺の石庭に
わたしが見たものは


この春、龍安寺の石庭を初めて体験した。いままで京都へ出張する機会は何度もあったけれど、仕事の合間にはとてもそんな気分にならずにきたところ、今回は新型コロナ感染防止の行動制限が解かれたのを機に、親しい知己が誘ってくれた気楽な観光旅行だったので、長年の宿願を心置きなく果たすことができたのだ。

 
わたしが龍安寺の石庭に関心を持ったのは、高校の教科書で加藤周一の『日本の庭』に出会ったのがきっかけだから、同世代にはきっと同じ思い出のあるひとも多いだろう。当時、加藤の作品はしばしば大学入試に出題されるため恐れをなしていたせいで、いっそう脳裡に刻まれたのかもしれない。「修学院離宮の庭には境がないが、龍安寺の庭は額縁のなかにある」という物思わせぶりな出だしは、いまでもはっきりと覚えている。そして、こんなふうに続く。

 
「修学院では、人は自然のなかに入るので、庭のなかに入るのではない。龍安寺では、人は庭をみるので、庭のなかに入るのではない。一方では庭は庭でないし、他方では庭はみられるものにすぎない。低い白壁によって三方をかこまれた額縁のなかの自然は、近代劇の舞台のように、第三の壁を観客にむかってひらいている。庭は寺の広縁から、みられるためにあり、みられるためにのみある。(中略)自然は常に、人間に対する自然として意識される。庭は自然を模倣せず、自然的な素材の効果を厳しく拒絶しながら、純粋に人間的な精神的な方法によって、即ち、かの相阿弥が、熟達し、精通し、自在に駆使した象徴主義的方法によって、自然の本質をとらえている」

 
いかにも試験問題にふさわしい文章だが、それはともかく、加藤はこうして修学院離宮の自然そのままを取り込んだ庭と、龍安寺の庭を対比させたうえで、双方を止揚するようにして成り立った桂離宮の庭を「宇宙」と表現して究極の調和と見なす。ついで、該博な知識を繰りだし、欧米や中近東・中国のさまざまな芸術を引きながら日本固有の美意識を解き明かしていく。まことに気宇壮大な議論で、おそらく十代の自分にはほとんど手に負えなかったろう。が、生意気盛りのこと、ナントカ離宮といった皇族の所有地が贅を凝らしたところで当たり前だ、むしろ、それらに引けを取らないらしい、ちっぽけな寺の砂と石だけの庭のほうがずっと面白そうだ――。とまあ、以来、半世紀近くにわたってそんな思いを抱えてきたのだった。

 
かくして、ついに対面が叶った龍安寺の石庭とは? 実は、ちっぽけな寺などとはとんでもない、龍安寺は室町時代にもともと皇族や貴族とゆかりの深かった衣笠山の麓に建立されただけに、現在でも広大な境内を持つ(桂離宮の約7倍の面積)。そこに点在する建物のうちのひとつ、方丈に面して、東西25m×南北10mのスイミングプールほどの長方形に白砂を敷きつめ、大小15個の石を配したのが石庭だ。これが何を表現しているかについては、かねて議論百出の様相を呈してきた。加藤の『日本の庭』(1950年)は本来、五つのパートから構成され、教科書にのっていたのは最後のパートだけだったが、それに先立つ個所で、かれは石庭の光景を「秋の瀬戸内海」に譬えて「岸に沿って一時間近くも疾走するジープから眺めたときの印象と、寸分ちがわぬものであった」と述べている。

 
実際、この抽象的な庭は眺める者によってどんなイメージも可能だろう。そのうえで、いちばんのポイントは、これが臨済宗の禅僧たちが起居する方丈に設けられていることで、ということはつまり、かれらが日々坐禅を行うときに向きあうための装置だったことだ。となれば、「額縁のなかの自然」や「秋の瀬戸内海」といった観察は見当違いもはなはだしい。禅は「不立文字」として言葉による理解を拒むけれど、もしあえて言葉で近似させるなら、石庭が表現しようとしたのは『般若心経』が説く「色即是空、空即是色」の光景に他ならないだろう。さらに想像を逞しくすると、先人は世界文化遺産への登録など歯牙にもかけず、かえって庭のどまんなかで立ち小便をするぐらい剛毅な禅僧の出現を期待していたのではないか……。

 
春の一日、わたしは気ままにそんな思いをめぐらせたものだ。やがて、修学旅行と思われる制服姿の群れと入れ違いに退去する際、胸をよぎったのは、加藤が『日本の庭』の結びに書きつけたのと同じ感想だった。

 
「即ち、――われわれにとって、庭は、美しい」

 

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