アナログ派の愉しみ/音楽◎ロッシーニ作曲『弦楽のためのソナタ』

子どもがスキップするように
重力から解き放たれた音楽


週末に愛犬を連れて近くの公園へ散歩に出かけて、小学生の子どもたちが遊んでいるのを眺める。そんな折り、かれらがふいにスキップをはじめたりすると、つい口元がほころんでしまう。片足で2歩ずつ交互に飛び跳ねていく動作には、重力から解き放たれたかのような浮遊感がある。それは子どもならだれでもできるだろうが、いい大人がやるのはサマにならないし、ましてや、いまのわたしの年齢であればぎくしゃくした手足の動きが見苦しいだけだ。まだできたての柔らかい筋肉と骨格、そしてからだの芯から自然に湧き上がるエネルギーがあってこそ成り立つ、子どもの特権的な動作なのだろう。

 
そんなことを考えたのも、ロッシーニ作曲の『弦楽のためのソナタ』(1804年)を聴くたびに、音楽がはじまったとたん、軽やかに浮遊する旋律がまるで子どもたちのスキップのようで、やはり口元がほころんでしまうからだ。

 
ジョアッキーノ・ロッシーニは18世紀末にイタリアのペーザロで生を享け、わずか12歳のときにこの作品をつくった。それぞれ三つの楽章を持つ第1番から第6番までの全6曲のソナタで構成され、上記の冒頭を飾る第1番がト長調、以下、イ長調、ハ長調、変ロ長調、変ホ長調、ニ長調と、いずれも長調を基本としている。はなはだ陳腐な比喩だけれど、そこにはイタリアの雲ひとつない青空にように、どこまでも溌剌とした明るさがあって、同じ神童でもモーツァルトの作品にはとかくひと刷毛の陰りが溶け込んで、かれの故郷ザルツブルクの暗鬱な空を思わせるのとは対照的だ。

 
そのあたりの天真爛漫な雰囲気を味わうには、カラヤン指揮ベルリン・フィルの華麗さやイ・ムジチ合奏団の優雅さをたっぷり湛えた演奏よりも、幼いロッシーニが企図したとおり、弦楽奏者4人だけの編成のほうがふさわしいと思う。わたしは1978年に名ヴァイオリニストのサルヴァトーレ・アッカルドらが録音したCDを愛聴しているのだが、そのライナーノーツには『弦楽のためのソナタ』の草稿にロッシーニ自身が後年書きつけたというメモが引用されている。

 
「私がまだ通奏低音のレッスンさえ受けていない、ごく若い頃に、私の友人でもありパトロンでもあったアゴスティーノ・トリオッシの(ラヴェンナに近い)別荘で作曲した6曲の“ひどい”ソナタの第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、コントラバスのパート譜。これらの曲はすべて3日間で作曲、写譜され、トリオッシ(コントラバス)、トリオッシの従兄弟モリーニ(第1ヴァイオリン)、モリーニの弟(チェロ)。私自身の第2ヴァイオリンによって、きくにたえない演奏が行われた。実をいえば、私自身がグループの中では一番ましだった」(佐藤章訳)

 
いやはや。これだけの規模の作品を子どもが3日間でつくったのにも驚愕するが、それ以上に、だれの耳にもチャーミングに響くだろう音楽についての当人のいたって冷淡な態度には開いた口がふさがらない。いくらでも旋律が湧きだしてくる天賦の才の厚かましさ、と言ったらいいか。

 
ロッシーニはその後、24歳のときに『セビリアの理髪師』を発表するなり、オペラ作曲家としての名声をヨーロッパ全土に轟かせて、ウィーンへ出かけてはそのあまりの人気の高さがベートーヴェンを嘆かせ、パリではスタンダールに「ナポレオンは死んだが、また別の男が現れた!」と言わせるなど、向かうところ敵なしの活躍ぶりを繰り広げる。しかし、37歳のときに39作目の『ウィリアム・テル』を書いたのを最後にオペラの筆を絶ち、44歳で楽壇から完全に引退すると、以後はもっぱら美酒美食に興じながら、76歳で世を去るまで長い隠居生活を送った。

 
ロッシーニの音楽はよくジェットコースターに譬えられるように、重力の桎梏から解き放たれた自在さを特徴とし、最後まで分別臭い老成とは無縁のものだった。つまりは、子どもがスキップをするときのような、満面の笑みだけが似合う感受性のもとで作曲活動を終始させたというわけなのだろう。
 

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