アナログ派の愉しみ/音楽◎ミュージカル『レ・ミゼラブル』

惨めな人々のあくまでしぶとく
純粋に生きる姿がドラマの原動力だ


1987年6月17日、東京・日比谷の帝国劇場。『レ・ミゼラブル』の日本公演初日にわたしも立ち会うことができた。アラン・ブーブリル作詞、クロード=ミシェル・シェーンベルク作曲によるミュージカルは1980年にパリで上演され、5年後に世界市場向けにバージョンアップされたロンドン版が完成して大きな評判を呼び、これにもとづく日本語の上演がいよいよ幕を開けるというわけだ。にわかに拍手が起こったら、わたしのすぐ頭の上の2階席最前列に、皇太子ご夫妻と浩宮さま(現在の上皇ご夫妻と天皇陛下)がお出ましになったことも思い出される。

 
19世紀初頭のフランスを舞台に、ひと切れのパンを盗んだために19年間牢獄につながれたというジャン・ヴァルジャンの物語は、小学生のころから『ああ無情』でわたしにも馴染み深かった。だから、オーケストラの力強い伴奏にのって囚人たちの合唱がはじまり、鎖をつけたジャン・ヴァルジャンが登場すると、あっという間にドラマのなかに取り込まれていく。感動のピークは第2幕に入ったところで訪れた。エポニーヌによる『オン・マイ・オウン』だ。愛する相手が気づいてさえくれない、その思いを高まりゆく情感とともにうたいあげる。島田歌穂の絶唱に満場の客席が息を呑み、

 
 愛してる 愛してる 愛してる でもひとりさ(岩谷時子訳詞)

 
のフレーズで結ばれたとたん、わたしは熱い涙をこぼし、おそらくこの日、いちばん大きな拍手喝采が沸き上がったのではなかったか。女心の切なさという演歌風のモチーフが琴線に触れたのかもしれないが、どうやらこうした事情は日本にかぎるわけではなく、各国の公演でもエポニーヌ役がとかく話題を集めるようだ。

 
私見では、ジャン・ヴァルジャンは孤児のコゼットを救い出して、かつての事業で築いた資産を背景に優雅な隠棲生活を送るようになってから存在感がにわかに薄れ、そのコゼットも哀れな里子の立場を脱したとたん、ただの深窓の令嬢でしかなくなる。真摯なサディストのジャベール警部だっていつしか法という観念にみずから呪縛され、ジャン・ヴァルジャンがそこに小さな亀裂を入れただけであえなく自殺を遂げる。いずれも血肉のともなわない、ただの人形たちと化してしまうのだ。たとえ、それが原作者ユゴーの構想した壮大なヒューマニズムを描くために必然的な措置だったとしても。

 
一方で、波瀾万丈のドラマを最後まで支えるのはテナルディエ一家だ。似た者同士の夫と妻は万事欲得づくで、養育費と引き換えに預かったコゼットをこき使い、ジャン・ヴァルジャンから手切れ金をせしめたあとも執拗につきまとい……、およそカネのためなら盗みも人殺しもおかまいなしの手合いだ。しかし、そのぶん夫妻は観念などにだまされることなく、日々を羽振りよく過ごすためだけに実直なのだともいえよう。そして、5人きょうだいの長女エポニーヌはコゼットとは逆に零落の境遇にあってはかない愛に殉じ、長男ガブローシュは学生や市民が築いたバリケードで勇敢な死を迎える。

 
極論するなら、このミュージカルの後半はジャン・ヴァルジャンとコゼットが不在でも成り立つけれど、テナルディエ一家の面々が失われたらがらがらと崩れてしまうに違いない。そう、かれらこそ、まさにレ・ミゼラブル(惨めな人々)を体現して、あくまでしぶとく、かぎりなく純粋な生き方をもってドラマの牽引を担う主人公なのだ。かくて、レ・ミゼラブルの有象無象がついに決起して、

 
 砦の向うに世界がある 戦え それが自由への道

 
と声高らかに唱和しながら明日への希望に立ち向かっていく。それにしても、とわたしはあの夜、考えたものである。そのあげくに革命は国家権力によって粉砕されるという悲劇の結末を、当時の皇太子のご家族はどのような思いでご覧になられたのだろうか?
 

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