アナログ派の愉しみ/映画◎ダルドリー監督『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

それはアメリカ社会が
夢見たイリュージョンだ


わたしたちが当たり前のように日常生活を送っている社会に、ある日、見ず知らずの外部から正義の名のもとに攻撃が加えられておびただしい一般市民が犠牲となる。そうした理不尽なカタストロフにこれまで多くの国々が出会ってきたが、こと20世紀の覇権国アメリカにとって初めての体験が2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターで起きた出来事だった。イスラム過激派テロ組織アルカイダによるハイジャック機の激突作戦は、超高層オフィスビル群に居合わせた2192人の民間人(他に消防士・警察官、航空機の乗客・乗員)の生命ばかりでなく、アメリカの社会精神の重大な部分をも奪い去ってしまったと言えるだろう。

 
スティーブン・ダルドリー監督の『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011年)は、その空白を埋めようと試みた映画だ。マンハッタンに住む10歳の少年オスカー(トーマス・ホーン)もまた、突然、世界貿易センターで商談中だった父親トーマス(トム・ハンクス)を失った。かれにはアスペルガー症候群という、特定の事項には集中力を発揮する一方で周囲との関係を築くのは苦手という病気があり、かねて父親との「調査探検」ごっこが世界との接点だっただけに、その死を受け止めることができず、遺体がないままの葬儀の席でぶつぶつとつぶやくばかり。

 
「いま生きているひとは人類史上の全死者数より多い。死んだひとの数は増えていくのだから、いつかひとを埋める場所がなくなる。じゃあ、生者用の超高層ビルの下に死者用の超高層ビルをつくったら? そうやって地下100階分にひとを埋葬すれば、生きる世界と死んだ世界が完全にできるだろう」

 
こんな奇妙な独白が、映画のファーストシーンだ。それから1年後、亡き父親のクローゼットに忍び込んだオスカーは青い花瓶のなかに封筒を見つけ、表面には「ブラック」という宛て名があり、どこかの貸し金庫のものらしい鍵が入っていた。そこで、ニューヨークの電話帳に載っているブラック姓の472人をひとりひとり訪ね、父親と謎の鍵について問い合わせようと計画を立てると、ザックにガスマスクとタンバリン、双眼鏡、カメラ、ホーキング博士の著書、携帯電話、イチジクの菓子を詰め込んで、未知の世間へと繰り出す。そんな無謀な冒険に、やがて協力者が現われた。祖母のアパートに最近間借りするようになった失語症の老人(マックス・フォン・シドー)で、ふたりはときにいがみあい、ときに励ましあいながら連日の調査に取り組むうち、訪問先の「ブラック」たちのだれもが身近な喪失を抱え込んで懸命に生きている現実を知ることに。

 
つまり、こうした構図ではないか。実のところ、第二次世界大戦中にドイツのドレスデンで大空襲に遭ったことで言葉を失ったという老人はオスカーの祖父(父親の父親)に他ならず、同時に長い歴史のなかで理不尽なカタストロフに何度も見舞われてきたヨーロッパのメタファーであり、一方、その叡智に手を引かれるようにしてアスペルガー症候群の少年が初めての危難に立ち向かう姿は、アメリカそのもののメタファーである、と――。結局、問題の鍵は父親のものではなかったことが判明するのだが、その代わり、わが息子がいつかこうした試練を乗り越えると予測していたらしい父親からの手紙を発見するのだった。

 
「おめでとう、オスカー。年齢を超えた驚くべき勇気と知恵だ。きみは第6回『調査探検』を制覇した。きみが証明したのは、きみ自身の素晴らしさだ」

 
このメッセージは、アメリカ社会が初めての理不尽なカタストロフを克服して、ふたたび寛容と調和の未来に向けて足を踏み出すことを表しているのだろう。しかし、それは現実のものだったろうか。この映画が登場したのは、同時多発テロからちょうど10年が経過して、国外においてはアフガニスタン・イスラム首長国へ攻め入ってアルカイダとのあいだに報復戦を繰り広げ、ついに最高指導者ウサマ・ビン・ラディンの殺害を果たし、また、国内においては社会的な格差と分断があらわになって不可逆的に拡大していくタイミングで、オスカーの物語がただの可憐なファンタジーと化したことが、アカデミー賞をはじめ主要な映画賞にノミネートされながら受賞を逸した理由かもしれない。しかし、今日に至ってもはや民主主義の終焉さえ叫ばれる状況を眺めるにつけ、あのとき、アメリカ社会が夢見たイリュージョン(幻影)はいっそう胸に迫ってくる気がするのである。
 

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