アナログ派の愉しみ/映画◎ジョン・フォード監督『静かなる男』

ジャスト7分間のバトルが
人間関係の再生をもたらす?


ハリウッドの巨匠、ジョン・フォードは136本もの映画を監督したが、そのなかで本人が最も愛したのは『静かなる男』(1952年)だったという。自分のルーツであるアイルランドの美しい田園風景を舞台に描かれたユーモラスな恋愛劇だ。

 
青年ショーン(ジョン・ウェイン)はアメリカでの生活を切り上げて、生まれ故郷のアイルランドの小さな村に帰ってくる。やがて近在の娘メアリー(モーリン・オハラ)と恋仲になり結婚するものの、頑固な兄レッド(ヴィクター・マクラゲン)は持参金を払おうとしない。それは新婦にとってとんでもなく恥さらしな事態で、メアリーは夫に向かい兄との決闘を迫るものの、かつてボクシングの試合で相手を死なせたことのあるショーンは断固拒否する。が、憤怒収まらぬメアリーが家出までしでかすにおよんで、ついにそのこぶしを振り上げざるをえなくなった――。

 
そこからのショーンとレッドのバトルは、映画史上の伝説的なシーンと言っていいだろう。ふたりがたがいに殴り殴られるさまを村じゅうがにぎにぎしく見守り、ともに乱闘をはじめる者あり、オッズを掲げて賭け金を募る者あり、臨終の床にあった老人は立ち上がって駆けつけ、いさかいをたしなめるべき牧師たちも囃し立てる……。いわば全員参加のアナーキーなカーニヴァルと化し、映画を観る側もそのときいっしょに参加して破天荒なカタルシスを味わうのだ。

 
破天荒なカタルシス? わたしは今回久しぶりにそのシーンを前にしながら、ふと思いつくところがあった。DVDを操作して、ショーンがレッドに拳固を見舞ってケンカがはじまり、最後に居酒屋で和解するまでの時間を計ってみると、ジャスト7分。ついで、同じジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『駅馬車』(1939年)のDVDに入れ替えて、あのアパッチ族の襲撃シーンを呼び出した。突如、矢が乗客のひとり、酒の行商人の胸に突き立ったのを合図に、砂塵のなか人間も馬も追う者も追われる者も入り乱れて、やはりアナーキーなカーニヴァルのように銃撃戦が繰り広げられる。そして、救援の騎兵隊が到着し、インディアンが退散するまでの時間が、やはりジャスト7分!

 
西部劇と現代劇の違いはあれ、また、製作には13年の隔たりがあれ、ふたつの名作のクライマックスがどちらもジャスト7分のバトルとは偶然だろうか。偶然かもしれない。しかし、たとえ明確に意識されなかったとしても、手だれのジョン・フォード監督は、映画の文法を逸脱して前後のストーリーからそこだけ独立させ、7分間のアナーキーなカーニヴァルを導入することのカタルシス効果を本能的に体得していていたのかもしれない。

 
わたしは以前に自己啓発セミナーで、アンガー・マネジメントの講習を受けたことがある。それによると、相手への怒りが高じて口や手が出そうになったときに、6秒間待つことで怒りをコントロールできるとか。その伝にしたがうなら、もし6秒間待っても怒りが収まらず、どうしても口や手を振るわずにいられなくなった場合には、いっそ衆人環視のもと、ジャスト7分の時間制限で、カーニヴァルのようにバトルを繰り広げれば、個人や集団のわだかまりを解消して人間関係の再生が図れるのではないだろうか。

 
もちろん、映画と現実を同列には論じられまい。とは言え、昨今、世間のあちこちで陰にこもった暴力事件が頻発しているのを眺めるにつけ、たんに事態の表面をきれいごとで取り繕うのではなく、このうえは内なる暴力を可視化して人間関係のなかに取り込んでいくためのヒントになると思うのだが、どうだろう?
 

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