アナログ派の愉しみ/音楽◎三善 晃 作曲『響紋』

うしろの正面には
だれがいるのだろう?


「童声合唱とオーケストラのための」との副題をもつ三善晃作曲の『響紋』(1984年)は、少年少女のひそやかな合唱で始まる。

 
かごめ かごめ
かごのなかの鳥は いついつでやる

 
もともとは、江戸時代の童謡集に収録された「子守唄(鬼遊びの唄)」にちなむ歌詞だそうだ。わたしも、近所の子どもたちと輪になって口ずさんだ遠い記憶がある――。音楽はその後、暗雲のように不協和音が覆って歌をかき消しては、静寂のうちからふたたび合唱が湧き上がって……と繰り返していく。

 
この15分足らずの不思議な曲を聴くたびに、懐かしさというより、ふいに足場を失ったときの不安感に駆られるのがつねだ。みずからの戦争体験に対峙してきた作曲者によれば、せめて子どもたちの鬼遊びだけでも「生者は死者と手つなぎの輪の中に入れないものだろうか」との切なる思いが込められているという。確かにあの幼い日、それも黄昏の時分には、わたしも友だちと遊びながら、どこかで生と死がないまぜに溶けあう気配を感じ取っていたように思う。

 
『響紋』が発表されたのと同じころ、思想史家・藤田省三は「或る喪失の経験」(1981年)というエッセイで隠れん坊遊びに着目した。「隠れん坊の鬼が当って、何十か数える間の眼かくしを終えた後、さて仲間どもを探そうと瞼をあけて振り返った時、僅か数十秒前とは打って変って目の前に突然に開けている漠たる空白の経験を恐らく誰もが忘れてはいまい」。わたしも忘れていない、ありありと思い出す。その「急激な孤独の訪れ」を、藤田は大人になっていく過程での基本的経験であり、将来の成年式へのエキスであると捉えたうえで、今日住宅地から路地が消え去り、子どもがこうした遊びをやめたことに強い警鐘を鳴らしている。

 
敗戦後の復興から世界でも稀な高度経済成長を成し遂げ、その勢いあまって空前のバブル景気へと突き進んでいく1980年代、日本の地価を合算するとアメリカ全土の倍の金額になると取り沙汰されたなかで、当然ながら路地という余白の空間は押しつぶされ、子どもはみんなで遊ぶ場を失っていった。それは同時に、生者と死者の交流の消滅であり、子どもが大人へと自己を飛躍させる機会の消滅であったろう。

 
そして、現在――。もはや屋外で子どもたちの遊ぶ姿を目にすることさえ珍しい。放課後には塾と習いごとに追われ、あるいはSNSやゲームに没頭し、かれらの成人式はディズニーランドで行われることを社会のだれもが当たり前と受け止めているいま、日本人は一体、何者になろうとしているのか? 『響紋』の最後は、少年少女の合唱がこううたって完全な沈黙に返る。

 
うしろのしょうめん だぁれ

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