アナログ派の愉しみ/ドラマ◎『ウルトラQ カネゴンの繭』

ひたすらカネをむさぼり食う
ガマ口の怪獣はいま


カネゴンという怪獣を知っているだろうか? 知らないはずはない。だって、あなたもわたしもレッキとしたカネゴンなのだから。

 
摩訶不思議なドラマだった。1966年に「特撮の神様」円谷英二の率いる円谷プロが初めてテレビへ進出し、TBS系列で日曜の夜に放映された『ウルトラQ』シリーズだ。宇宙のかなたから地球侵略をもくろむ異星人やら、地底深くじっと息をひそめてきた古代の大怪獣やら、ごくふつうの日常の空間に暗い口を開けている異次元の裂け目やら……、毎回のエピソードに小学生のわたしはまばたきも忘れるほど見入ったが、その第15話「カネゴンの繭」に登場したのがくだんの怪獣だ。もっとも怪獣とはいえ、他の回でブラウン管の画面狭しと暴れまわる獰猛な連中とは異なり、カネゴンは背丈も人間と同じで、特筆すべき腕力や知力もないという、はなはだ冴えない存在なのだ。

 
ガキ大将の少年・加根田金男は、ことのほかカネへの執着心が強く、手当たり次第に硬貨や紙幣をかき集めて溜め込んでいるうちに、ある日、チャリンチャリンと音のする繭を拾ったところが反対に吸い込まれて、カネゴンと化してよみがえる。その外見はと言えば、「頭はガマ口、胴は人間調ですが、頭とのバランスがあるので、腹を出し、尻尾を突き出しました。全体の肌は巻貝のイメージをもっていました」と、円谷プロで怪獣デザインを担当した成田亨が語っているとおり、ユーモラスでありながらどこかもの悲しさの誘う風情で、カネゴンとなった金男は、いったんは周囲を面食らわせたものの、日ごろの行状が祟ってすぐさま受け入れられてしまうのが切ない。

 
このカネゴン、口に入れるのはカネのみで左胸のレジスターに金額が表示され、それが不足して数値がゼロになると死んでしまうという。つまり、カネを手段に何かを手に入れようとか、将来のために貯蓄しておこうとかの目的があってのことではなく、ただひたすらカネをむさぼり食う。いわば中毒状態のようなものだろう。結局、学校の友だちに邪険にされながら、わずかな小銭を口にして、うろうろと孤独な一日を過ごしたのちに、その中毒状態から脱却したとたんカネゴンの悪夢はあっさりと消え失せて、金男はもとの身体を取り戻して終わる。メデタシメデタシ。いや、果たして終わったのだろうか?

 
「いまみたいな世の中、親よりおカネのほうが大事だものな」

 
金男がカネゴンに変身する直前、両親に向かって言い放ったセリフだ。あのころ、生意気盛りの子どもがいる家庭では珍しくもなかったこうしたもの言いが、半世紀を経て、昨今あまり耳にしなくなったのは世間の拝金主義が影をひそめたからか。まさか、逆だ。いまや政府が率先して親子ぐるみのNISA(少額投資非課税制度)のマネーゲームをそそのかしたり、企業はひっきりなしに「お得な」ポイント・キャンペーンをブチ上げたり、日本じゅうがどっぷりと拝金主義に呑み込まれて、もはや家庭にあって倫理観と金銭欲を天秤にかけるまでもなくなったからだろう。

 
かつてのカネは、まだ硬貨や紙幣といった実体をもっていた。だからこそ、そのささやかな代物がともすると人生を狂わせかねない魔性の怪獣であることを、手のひらの感触を介して子どもなりにも理解できたのだ。これに必要以上に執着したらみずからも怪獣になってしまうぞ、と――。しかし、今日ではカネがどんどん具体的な実体を失い、たんなるデータと化して、われわれは手のひらの感触ではなく、もっぱらスマホの操作によってむさぼり食うだけの境遇に陥りつつある。カネという手段によってどうすれば自己の目的を達せられるかの見通しもないまま、やみくもに膨大なデータの前で右往左往しているのが実情ではないだろうか。

 
だれもかれもが、もの悲しいカネゴンになってしまったのである。
 

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