アナログ派の愉しみ/映画◎原 一男 監督『全身小説家』

かつて小説家という
摩訶不思議な種族が存在した


井上光晴の小説をずいぶん昔にいくつか読んだけれど、さっぱり面白くなくて、わたしにとっては無縁な作家と受け止めてなんら関心を持たないまま過ごしてきた。そうしたところ、原一男監督の『全身小説家』(1994年)に出くわし、およそ想像もしなかった形で再会を果たした。その66年の生涯の最後の2年半を追ったキュメンタリーは、同じ監督がアナーキスト・奥崎謙三を取り上げて世間を揺るがせた前作『ゆきゆきて、神軍』(1987年)に勝るとも劣らぬ凄まじい内容だったのだ。

映画は、井上が全国各地に設けていた私塾「文学伝習所」の場面からはじまる。老若の会員たちに向かって、悲劇について熱弁をふるったのち、夜の宴席ではおもむろに女装してストリップショーを演じてのける。自分を変革しろ。みずからの持論をもって迫り、ときには相手を罵倒して憚らない井上の暴君ぶりが描かれる半面で、中高年の女性たちはインタビューに答えて「いままで会ったひとでいちばん好き」「子どもを欲しいと思った」「いつもキスしてくれる」「永遠に心のなかの夫」……と、口々に井上への恋情を告白する。親交のあった作家・埴谷雄高によると「井上は3割バッター。女であればだれでもよく、10人を口説いて3人は落としたから大したものだ」という。

1989年夏にS字結腸ガンの手術を受けた井上が、その後、肝臓から肺へとガンが転移していくにつれて壮烈な闘いを繰り広げるようすも、カメラは克明に見つめる。圧巻なのは、調布の病院で実施された開腹手術のシーンで、執刀医らの手が肝臓の患部を切り出していく光景には目をそむけた。その摘出された850グラムの内臓のかたまりも、また、井上の表情に次第に濃さを増していく陰りも、最後には必ず人間を打ち負かさずにはおかない病魔のしぶとさを伝えてくる。それでも、井上が「病気には負けない」「5時間でも長く生きたい」「オレのガンは進みながら止まっている。漢方からエセ医学までなんでも試しているから、何が効いているかわからない」と吐き出す言葉は嘘偽りのないものだったろう。

その一方で、1926年中国・大連に生まれ、幼くして両親と生別し、祖母とともに長崎県の炭鉱町で極貧の生活を送り、そのために中学に進めず、初恋の相手だった朝鮮人の美少女は遊郭に売られ、戦争末期に徴兵検査で入営延期となったのち、敗戦後に共産党の創設にかかわり、その内幕を暴いた処女作『書かれざる一章』で作家生活に入った……と、井上がこれまで自己申告してきた経歴のほとんどが嘘偽りであることが、当時を知る親族や知人の証言によって明かされていく。もっとも、本人自身が「正確な年譜なんてありえない」と開き直り、前記の埴谷は「嘘つきミッちゃん。だから、最高。小説家は堂々と嘘をついていいのだから」と笑い、さらに、井上と愛人関係にあったとされる瀬戸内寂聴は「セックス抜きの友情だった」とぬけぬけと述べているのだから、もはや何をか言わんや。

ひと言で表現するなら、グロテスク。ここに記録されたすべてが虚実ないまぜのまま、われわれをどす黒い不安へと押しやろうとしているかのようだ。しかし、それはどれほどあからさまに人間精神の実相を照らし出していることだろう。「肺ガンの生存率は10%。つまり10人に1人は生きのびるということ。オレは割と試験には強いから大丈夫」の言葉を妻に残して、1992年5月30日、井上はついに息絶える。いまどきの作家のような文学青年・文学少女に毛が生えたものではなく、かつてはこうした摩訶不思議な小説家という種族が存在したのだ。井上の最高傑作はこの映画かもしれない、とわたしは考えている。


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