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トランプ騒動と福田康夫の公文書管理哲学について

2021年1月6日、米上下院は次期大統領としてジョーバイデン氏を正式に承認した
同時にトランプの演説を聞いていた彼の支持派が連邦議会に乱入、9日現在で5人の死者が確認される大惨事になった
大統領本人、側近、一部メディア、SNS等が撒き散らし続けた様々なデマ・扇動によって先鋭化した過激派の暴走
この数年間のアメリカ社会を象徴する事件だと感じた

この事件に関して"デマや陰謀論"と"公文書管理"というものを並べて書いてみたい

公文書という言葉が日本で浸透したのはおそらく森友学園問題からだった気がする
日報問題、加計学園問題、桜を見る会問題、統計不正、様々な場面で公文書の管理が問題になった
日本では2009年に公文書管理法が制定されており、これを推し進めたのは福田康夫氏とされている
2017年に氏は朝日新聞のインタビューを受けており、彼の哲学が読み解ける
凄く良いインタビューだと思う

インタビューを要約して大切なところを抜き出すと
父の議員秘書をしていた福田氏が、地元前橋市の終戦直後の写真を探したことをきっかけに
ワシントンにあるNARA(アメリカ国立公文書記録管理局)の存在を知る
日本にもこうした機関、きちんとした公文書管理ルールが必要だ、として首相在任中に法律策定の議論を進めた

公文書管理に関する彼の哲学は下記のようなものである


正しい情報を入手することができるのは、民主主義の原点。入手できないと、国民は正しい判断ができない。結果、悪い判断によって悪い政治家が誕生してしまうことがある。

例えば法律も、制定されてから100年後にその趣旨や本質を確認するには、立法過程が残されていることが大事。憲法だって、「アメリカ人が作った憲法だ」「日本人が提案していたんだ」などいろんな話がある。もっと立法過程が明らかになっていれば、そんなつまらない議論をしなくても済む。国をあげての論争にならなくて済む。

最近、明治維新について異論を唱えている人がいるように、時間がたつと歴史は分からなくなってくる。しかし、史実はこれなんだということがはっきりすれば、あまりいろんな拡大解釈はできなくなると思う。

歴史的な事実を積み重ねていった結果日本国になるわけで、公文書館に行けばしっかりした事実があると、そういうところを持つことが日本にとっても必要。そうでないと、100年後、日本とは一体何だったのか、ずいぶんいい加減な国だったんじゃないか、となりかねない。

いいねを50回押したい意見だ
正しい議論の経緯が残され共有されていれば、不毛な議論を無くすこともできる 
結果無駄な手数をかけることなく、より良い仕組みを作るための議論に集中することができる

しかし残念ながら世の中の動きはむしろ逆に向かった
事実がどんどん曖昧になり、いい加減な情報が世の中に溢れた
100年以上前の明治維新や、70年前の憲法制定手続きどころではない、意図的なデマが拡散され、今起きてることに関してもいちいちファクトチェックが必要になった
ずっと、言い表せない息苦しさを感じる

感覚的な話だが、ネットの拡散と共に
"物事には二面性がある"
"一般的に語られていることが必ずしも真実とは限らない"
という価値観が浸透した
それらは間違った考え方ではない、
一つの事象に対し物事を見る角度を変えれば様々な考察が成り立つし、常識として浸透しているからと言ってそれが正しいとは限らない
しかし"確定している真実"をいとも簡単に葬る所までその価値観が暴走している

例えば2020年、Jリーグの優勝クラブは川崎フロンターレだし、最も売れたKpopソングはBTSのdynamiteだ
それらは事実であって、二面性は存在しない 覆るとすれば不正やカウントの不備が考えられるが、
明確な根拠無しに否定することは単なる言いがかりだ
川崎フロンターレよりも2位のガンバ大阪の方がいいサッカーをしていた!とか、BTSよりもBlackpinkのLSGの方が名曲だ!と主張するのはもちろん個人の自由だ
だからといって、川崎フロンターレが1位なんてあり得ない!2位のはずだ!と叫ぶのはただの言いがかりだ
更に先鋭化すると、川崎フロンターレが1位だなんてJFAによる捏造だ!FIFAはガンバ大阪を排除しようとしている!と暴走する
こうなってくると、もう"優勝は川崎フロンターレだよ"という言葉は彼らには届かない

議会への過激派の乱入と複数の死者という最悪な結末を迎えたトランプ騒動
もう一度事実をきちんと積み重ねて、正しい情報を誰もが共有できるまともな世の中にならないといけない、そこがプラマイゼロ、社会の在り方の基点だ
日本もアメリカも、マイナスがあまりにも多すぎる

事実の集積が国家なんです。
最近、明治維新について異論を唱えている人がいるように、時間がたつと歴史は分からなくなってくる。
しかし、史実はこれなんだということがはっきりすれば、あまりいろんな拡大解釈はできなくなると思う。

歴史的な事実を積み重ねていった結果日本国になるわけで、公文書館に行けばしっかりした事実があると、そういうところを持つことが日本にとっても必要。

そうでないと、100年後、日本とは一体何だったのか、ずいぶんいい加減な国だったんじゃないか、となりかねない。

私達は福田氏が目指したような国家観にたどり着けるだろうか