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表現の不自由展KOBE に触れて

 2022年9月10日、よく晴れた土曜日の昼下り、阪急三宮を出てすぐにあるカフェピカソという老舗の喫茶店で、この文章を書いている。
 先程まで"表現の不自由展KOBE"に訪れていて、自分なりに感じたことを取り急ぎまとめておきたいと思ったからだ。
 まず私にはファインアートを楽しむ素養はあまりない、美術館に訪れることは割とあるが、どちらかというと建築そのものが目的だったり、デザインや建築、アニメーションやイラストレーション作品をコンセプトにした展示目当てで行くことが多い。そんな私がこの展示会に興味を持ったのは、2020年秋に行われていた愛知県大村知事のリコール運動のニュースを見てからだ。

 総合芸術祭である"あいちトリエンナーレ2019"にて展示された表現の不自由展が、昭和天皇や特攻隊を侮辱する内容だとして妨害活動を受け長期間展示が中断、その後実行委員長だった大村愛知県知事をリコールしようという運動にまで発展した。

 その顛末は別の話として、その後表現の不自由展は全国各地で開催されるのだが、またも執拗な妨害を受け中止や延期を繰り返した。検閲を受けるなどして展示を許されなかった作品を集めた展示会が、妨害を受けて開催できないというのは酷い話だ。同時に、一体どんな作品群がそんなに攻撃されているのか、実際に見てみようと思うようになった。
 大阪、京都はタイミングが合わず行けなかったが、今回神戸で開催されるとのことで、早速申し込み今日に至る。
 
 不自由展は神戸市のとある公共施設で開催されているが、駅を出た瞬間から右翼団体の威勢のいい抗議活動が聞こえてきて、沢山の警察官が警備にあたっていた。抗議に対するカウンターのような活動も行われており、会場周辺は物々しい雰囲気だった。展示会はいかにも手作りというか、多くのボランティアらしき方達によって運営されていて、会場は大入りだった。来場者の年齢層は本当にバラバラで、みんな思い思いに作品と触れ合っていた。
  報道によく出てくるのは、慰安婦問題を少女の像で表現した"平和の少女像"と、有名な大浦氏の"遠近を抱えてpart2 "だが、それ以外の作品も多く展示されていた。どの作品もずっしりした重みがあった。個人的には福島県第一原発事故を取り上げた"叫びと囁き"という作品に惹かれた。
 平和の少女像は人気作品で常に人集りができており、女子高生くらいのグループが熱心に注釈を読んだり隣に座って写真を撮っている姿が印象的だった。
映像作品である大浦氏の遠近を抱えてpart2は別フロアで上映しており、こちらも入れ代わり立ち代わり多くの人が観覧していた。私の一番の目当てはこの作品だった。

 実際に映像を全編見て、まず感じたのは違和感だった。これが本当にそんなに攻撃を受ける作品なのだろうか。正直に言うと、この映像作品は相当抽象的、婉曲的な表現が多く、そんなすんなりと理解できる作品ではないと思った。この作品は大まかに、出征前日の従軍看護婦の女生徒が海辺に佇みながら、母親に当てた手紙の朗読が流れるシーン、もう一人の女性が同じ海岸を訪れるシーンの2つで構成されている。昭和天皇のコラージュを燃やすシーケンスは、挿入映像のように使用されている。強く批判されたこのシーケンスは、暗闇の中で従軍看護婦の女性が作品を少しずつバーナーで燃やしているもので、切ないような厳かなような、なんとも言えない雰囲気だった。寂寞感、というのが私の感想だ。
 元ネタであるコラージュ作品、"遠近を抱えて"が右派系議員や右翼団体の強い攻撃を受け、最終的に図録が焼却処分されてしまった"富山県近代美術館事件"を想起させるが、作者はその繋がりを明言していない。

 少なくとも、この作品を見て昭和天皇の侮辱だとか反日だという言葉を持ち出すのは、短絡的すぎるというか、ほとんど記号的な行動だと感じた。天皇に関する作品は他にも複数あり、天皇を木に括ってピストルで処刑しようとする"責任者を処罰せよ"や、ヒトラーと昭和天皇を並べて風刺している"玉乗りNo.1"のほうが遥かに分かりやすい天皇批判作品だと思う。
 富山県の事件では展示会自体は何のトラブルもなく無事に終了しており、しばらく経ってから県議員が騒ぎ出している。愛知の騒動でも、河村たかし市長は当初平和の少女像の方を批判したが、後出し的に大浦作品批判に方針転換しており、どうもこれらの批判は作為的だと感じる。つまり、"天皇のことを持ち出しておけば共鳴する人が多いだろう"という狙いが透けて見える。実際にSNSでは、作品を見ていないどころか富山県の事件にも遡らずに、記号的な、条件反射のような攻撃を繰り返している人が多く存在する。カルトじみていて、はっきり言って気持ち悪い現象だ。
 少しだけ展示会にカンパをして会場を出ると、先程の右派団体の抗議がヒートアップしており、ヤクザ言葉で大声で怒鳴り散らしていた。国旗を模した勲章を胸につけ、軍服姿で抗議するその人は「芸術というものは人を感動させるもので、この展示会は芸術などではない」と叫んでいた。なんて軽薄で思慮の浅い考え方だろう。彼は本当に自分で色々考えた上でそんな結論にたどり着いたんだろうか。
 記号的な抗議活動を続ける軍服姿の活動家と、熱心に少女像に向き合っていた女子高生のグループが、妙に対象的な存在として私の記憶に残った。